黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #42 サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂

2011-05-24 02:36:48 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂@ローマです。

これからしばらくは、一回聞いただけでは覚えられそうにない、
長~い名前の聖堂を幾つかアップしようと思いますが、
これがまたどれもこれも強者ぞろいです。

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

以前の記事でアップしたパンテオンのすぐ近く、
というよりは隣接した場所にある、
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂。
ソプラとは「上の」と言う意味で、もともとその場所にあった、
ミネルヴァの神殿の上に建てた聖堂という意味だそうですが、
実は勘違いで、当時周辺に建っていた3つの神殿のうちの、
実際にはイシスの神殿の上に建てられていたそうです。(wiki)

ここにもまたオベリスクがありました。
このオベリスクは、エジプトオリジナルのオベリスクで、
この付近に倒壊していたものを、17世紀に復活させたものだそうです。
そしてオベリスクの台になっている、ちょっと変わった象の彫刻が、
またまたベルニーニ作です。
この人はナヴォーナ広場でもオベリスクを彫刻の上に載せていました。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

全く普通の建物としか思えない地味な外観とは裏腹に、
内部は、ゴシック様式のkなり大きく壮麗な聖堂です。
中央に写る柱の麓に建つ十字架を持った彫像は、
ミケランジェロ作『あがないの主イエス・キリスト』
この聖堂もまた、ルネサンスの巨人達の作品が目白押しですが、
その辺はウェブ上にも沢山アップされているので、
あまり見かけないアイテムを幾つかアップしようと思います。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

中央祭壇の、妙にリアルなステンドグラス。
ゴシック建築と言えばステンドグラス。
フランスの幾つものノートルダム大聖堂のそれに比べると、
イタリアのものは極めて牧歌的で小規模のものばかりですが、
かと言って趣がないわけではなく、
これはこれで大げさなフランスとは違う味わいがあると思います。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖母マリアを中心に、百合の花と聖人で出来たステンドグラス。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

ステンドグラスをもう一枚。
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂は、
ガリレオ裁判で、ガリレオが地動説を放棄させられた場所として、
その名を知られる聖堂でもあります。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

堂内にはいくつもの礼拝堂があります。
礼拝堂とは聖堂の中央祭壇以外の場所に作られた空間。
この空間はフィレンツェのサン・マルコ修道院の記事で触れた、
聖ドメニコの礼拝堂です。
8世紀初頭からあた聖堂をゴシック様式に改築したのが、
このドメニコ会の運営になってからの事で、
同じくサン・マルコ修道院の記事で触れた、
フラ・アンジェリコの墓も堂内にあります。





サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(画像はクリックで拡大します)

パイプオルガンを配した礼拝堂。

ちなみに、wikiをはじめウェブ上ではこの聖堂に関して、
「サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会」というように、
「教会」と付けているのを良く見かけますが、
これまでの記事でアップして来た聖堂も含めて、
全てイタリア語で「バシリカ~(聖堂の名称)」なので、
この聖堂も聖堂でいいんじゃないかと思いますが、
あえて教会と付けているのには何か理由があるんでしょうか。

それにしても、ローマの街を歩くと、
何らかの知っている事にまつわる物件が多い事に驚かされます。


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