黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京ノスタルジア:神田

2011-12-24 06:16:02 | 東京 URBEX
前回、前々回の記事で、
御茶ノ水の煉瓦高架に残る駅跡を見て来たので、
今回もその流れで神田まで足を延ばしてみようと思います。

ヨーロッパ等の大都市の地図を見ていつも思う事は、
鉄道の始発駅がはっきりとわかること。
南方へ行く鉄道の始発駅は都市の南寄りに、
また北方へ行く始発駅は都市の北寄りにあって、
何処から乗ればどこへ行けるのかが一目でわかります。
ところが東京の地図を見ると、
上野や東京の存在を知らない限り、
何処から乗ればどこへ行けるのかが地図を見ても分かりません。

かつて東北方面は上野、東海道は新橋、中部方面へは万世橋と、
それぞれあった始発駅を、
明治末期から大正にかけて、全てくっつけてしまったからですね。
そしてその跡が、新橋から上野、そして神田から御茶ノ水にかけて、
赤煉瓦高架橋として現在も残っています。



御茶ノ水~神田の赤煉瓦高架。
新橋~有楽町の赤煉瓦高架に比べると、
ちょっと造りに手抜き感が感じられるものの、
それでも延々と続くかまぼこアーチの赤煉瓦は壮観です。







神田駅下の赤煉瓦に張られたビラに、
赤尾敏 (あかお びん) という名前が見えます。

赤尾敏…
もともと共産思想を強く持ち、自らも実践していたものの、
天皇制批判で投獄されている間に転向。
戦後大日本愛国党を結成し、
街宣車に乗って、常に辻説法をしていた、
いわば昭和の怪人物ですね。

すでにご存知ない方も沢山いるかと思いますが、
かつて数寄屋橋の交差点へ行くと、
必ずこの人が演説をしていたのを思い出します。







煉瓦高架のアーチの下には様々な店舗が入居していますが、
この神田駅からほど近い一つのアーチの下には、
看板を見る限る8軒の店がひしめいているようですね。
Mapion







さらに南へ進むと、煉瓦高架の途切れたガード下に、
今川小路と書かれた看板を発見。→Mapion
ノスタルな匂いを感じて、路地を入って見ると…







素晴らしきノスタルなガードした呑み屋街。
その名も「があどした」というお店から、
「大松」や「耕」など、
ノスタル度満点の店が軒を連ねています。







店先をうろつく猫の様子をみると、
どうやら生活は苦しそうではないので、
結構賑わう飲屋街なんだと思います。
この時は時間もなくすぐに移動しなくてはならず、
日が暮れる迄いられなかったのは残念ですが、
次回は上記の雑居飲食店アーチとともに、
是非とも訪れてみたいと思います。







赤煉瓦高架もさることながら、
神田駅は駅下を通るガードが数多くあり、
その鉄脚もまた趣があります。
Mapion

こうして断片的に集めた神田を改めて見直してみると、
神田って奥深いんですね。
改めて神田を散策してみようと思いました。


最新の画像もっと見る

post a comment