前回、前々回の記事で、
御茶ノ水の煉瓦高架に残る駅跡を見て来たので、
今回もその流れで神田まで足を延ばしてみようと思います。
ヨーロッパ等の大都市の地図を見ていつも思う事は、
鉄道の始発駅がはっきりとわかること。
南方へ行く鉄道の始発駅は都市の南寄りに、
また北方へ行く始発駅は都市の北寄りにあって、
何処から乗ればどこへ行けるのかが一目でわかります。
ところが東京の地図を見ると、
上野や東京の存在を知らない限り、
何処から乗ればどこへ行けるのかが地図を見ても分かりません。
かつて東北方面は上野、東海道は新橋、中部方面へは万世橋と、
それぞれあった始発駅を、
明治末期から大正にかけて、全てくっつけてしまったからですね。
そしてその跡が、新橋から上野、そして神田から御茶ノ水にかけて、
赤煉瓦高架橋として現在も残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/5d/1dbc1d575c422806d0e65c42d363022c.jpg?random=7ad532b9d1c7996e320c171c40067451)
御茶ノ水~神田の赤煉瓦高架。
新橋~有楽町の赤煉瓦高架に比べると、
ちょっと造りに手抜き感が感じられるものの、
それでも延々と続くかまぼこアーチの赤煉瓦は壮観です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/77/81209f51b849db5ad0d1c820f2bbd92e.jpg?random=feb0df9ed0b62f6599627608ecf9df95)
神田駅下の赤煉瓦に張られたビラに、
赤尾敏 (あかお びん) という名前が見えます。
赤尾敏…
もともと共産思想を強く持ち、自らも実践していたものの、
天皇制批判で投獄されている間に転向。
戦後大日本愛国党を結成し、
街宣車に乗って、常に辻説法をしていた、
いわば昭和の怪人物ですね。
すでにご存知ない方も沢山いるかと思いますが、
かつて数寄屋橋の交差点へ行くと、
必ずこの人が演説をしていたのを思い出します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2b/ba5344d030eb5b9f0e53e753cc26a21c.jpg?random=be7aa47eda97442d99466c728ddc5a82)
煉瓦高架のアーチの下には様々な店舗が入居していますが、
この神田駅からほど近い一つのアーチの下には、
看板を見る限る8軒の店がひしめいているようですね。
→Mapion
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5d/9cced0c6b545793b260fa94f78012e9b.jpg?random=e7aab84d460b2e2b4bbf4361159167cd)
さらに南へ進むと、煉瓦高架の途切れたガード下に、
今川小路と書かれた看板を発見。→Mapion
ノスタルな匂いを感じて、路地を入って見ると…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/7dbb99ad90052a5bf0b46b05f3834e54.jpg?random=4c380e6ed8d81b84736895d34c4c1685)
素晴らしきノスタルなガードした呑み屋街。
その名も「があどした」というお店から、
「大松」や「耕」など、
ノスタル度満点の店が軒を連ねています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0d/498204c1172ca52e98e02e68e1c63947.jpg?random=5b8750eecdbe02a8e1b286469a3b4dcf)
店先をうろつく猫の様子をみると、
どうやら生活は苦しそうではないので、
結構賑わう飲屋街なんだと思います。
この時は時間もなくすぐに移動しなくてはならず、
日が暮れる迄いられなかったのは残念ですが、
次回は上記の雑居飲食店アーチとともに、
是非とも訪れてみたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f4/b6d7a540f993745d27dd010dfa29a65b.jpg?random=5cd2975b0c3c496eb4b4465e5b17594f)
赤煉瓦高架もさることながら、
神田駅は駅下を通るガードが数多くあり、
その鉄脚もまた趣があります。
→Mapion
こうして断片的に集めた神田を改めて見直してみると、
神田って奥深いんですね。
改めて神田を散策してみようと思いました。
御茶ノ水の煉瓦高架に残る駅跡を見て来たので、
今回もその流れで神田まで足を延ばしてみようと思います。
ヨーロッパ等の大都市の地図を見ていつも思う事は、
鉄道の始発駅がはっきりとわかること。
南方へ行く鉄道の始発駅は都市の南寄りに、
また北方へ行く始発駅は都市の北寄りにあって、
何処から乗ればどこへ行けるのかが一目でわかります。
ところが東京の地図を見ると、
上野や東京の存在を知らない限り、
何処から乗ればどこへ行けるのかが地図を見ても分かりません。
かつて東北方面は上野、東海道は新橋、中部方面へは万世橋と、
それぞれあった始発駅を、
明治末期から大正にかけて、全てくっつけてしまったからですね。
そしてその跡が、新橋から上野、そして神田から御茶ノ水にかけて、
赤煉瓦高架橋として現在も残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/5d/1dbc1d575c422806d0e65c42d363022c.jpg?random=7ad532b9d1c7996e320c171c40067451)
御茶ノ水~神田の赤煉瓦高架。
新橋~有楽町の赤煉瓦高架に比べると、
ちょっと造りに手抜き感が感じられるものの、
それでも延々と続くかまぼこアーチの赤煉瓦は壮観です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/77/81209f51b849db5ad0d1c820f2bbd92e.jpg?random=feb0df9ed0b62f6599627608ecf9df95)
神田駅下の赤煉瓦に張られたビラに、
赤尾敏 (あかお びん) という名前が見えます。
赤尾敏…
もともと共産思想を強く持ち、自らも実践していたものの、
天皇制批判で投獄されている間に転向。
戦後大日本愛国党を結成し、
街宣車に乗って、常に辻説法をしていた、
いわば昭和の怪人物ですね。
すでにご存知ない方も沢山いるかと思いますが、
かつて数寄屋橋の交差点へ行くと、
必ずこの人が演説をしていたのを思い出します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2b/ba5344d030eb5b9f0e53e753cc26a21c.jpg?random=be7aa47eda97442d99466c728ddc5a82)
煉瓦高架のアーチの下には様々な店舗が入居していますが、
この神田駅からほど近い一つのアーチの下には、
看板を見る限る8軒の店がひしめいているようですね。
→Mapion
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5d/9cced0c6b545793b260fa94f78012e9b.jpg?random=e7aab84d460b2e2b4bbf4361159167cd)
さらに南へ進むと、煉瓦高架の途切れたガード下に、
今川小路と書かれた看板を発見。→Mapion
ノスタルな匂いを感じて、路地を入って見ると…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/7dbb99ad90052a5bf0b46b05f3834e54.jpg?random=4c380e6ed8d81b84736895d34c4c1685)
素晴らしきノスタルなガードした呑み屋街。
その名も「があどした」というお店から、
「大松」や「耕」など、
ノスタル度満点の店が軒を連ねています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0d/498204c1172ca52e98e02e68e1c63947.jpg?random=5b8750eecdbe02a8e1b286469a3b4dcf)
店先をうろつく猫の様子をみると、
どうやら生活は苦しそうではないので、
結構賑わう飲屋街なんだと思います。
この時は時間もなくすぐに移動しなくてはならず、
日が暮れる迄いられなかったのは残念ですが、
次回は上記の雑居飲食店アーチとともに、
是非とも訪れてみたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f4/b6d7a540f993745d27dd010dfa29a65b.jpg?random=5cd2975b0c3c496eb4b4465e5b17594f)
赤煉瓦高架もさることながら、
神田駅は駅下を通るガードが数多くあり、
その鉄脚もまた趣があります。
→Mapion
こうして断片的に集めた神田を改めて見直してみると、
神田って奥深いんですね。
改めて神田を散策してみようと思いました。
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