黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

足尾銅山 #07 本山坑

2012-11-01 02:29:14 | 産業遺産
8月の頭にブログでご案内した、
足尾銅山の写真家、橋本康夫氏の追悼写真展に、
会期の最後となる9月末に訪た時の足尾銅山のリポート。

足尾銅山・本山坑
足尾銅山・本山坑

足尾銅山で一番の主力坑道だった本山坑、またの名を有木坑の坑口。
これまで見て来た通洞坑や小滝坑のように周囲をコンクリートで固めていないが、
よく見ると、特に左側に半円形のくり抜きの跡が見てとれる。
本山坑も他の坑口同様、周囲を積み上げた丸太で囲っていたのが分かる。

明治10年(1877)に操業を開始した古河は、
当初有望な鉱脈がみあたらず苦戦を強いられたそうだが、
この付近に点在する、江戸時代から掘られていた鷹の巣坑や本口坑で、
相次いで有望な鉱床を発見し、発展の礎となった。
やがてこれらの坑口を本山坑にまとめ、
閉山まで主力坑道として使われ続けた。





足尾銅山・本山坑
足尾銅山・本山坑

閉山まで使用されていただけあって、
その規模も大きく、作りもしっかりしているが、
周囲には前述の鷹の巣坑や本口坑の他、
鑿ひとつで手掘りした、規模も小さいたぬき堀りの跡も、
沢山残っていると案内板に書いてある。





足尾銅山・本山坑
足尾銅山・本山坑

坑口の横に残る小さな変電所。
いや、トランスなどがないので、
スイッチ室かもしれない。





足尾銅山・本山坑
足尾銅山・本山坑

坑口から少し離れた岩肌沿いに軌道が残っていた。
斜めに傾斜する軌道は、
坑道から出て来たトロッコが移動するためのものだと思うが、 





足尾銅山・本山坑
足尾銅山・本山坑

その先を見ると建物があり、
建物の内部2階部分にはホッパーの跡があった。





足尾銅山・本山坑
足尾銅山・本山坑

更に建物の1階には、
ホッパーからの吐き出し口の様な構造も残っていた。
これらから、坑道から出て来たトロッコが、
鉱石をホッパーに入れ、
この建物から選鉱所へ搬出されていたと考えられるだろう。
しかし、道に掲示された案内板には、
ちょうどこの建物の付近に、音楽堂と書かれてあった。





足尾銅山・本山坑浴場
足尾銅山・本山坑浴場

建物の前には浴場があった。
今はもう上屋は無くなってしまっているが、
小滝の浴場よりは遥かに規模も大きく、
また床面のタイルが残っているので、
なるほど浴場だったんだと納得がいく。





足尾銅山・本山坑スケート場
足尾銅山・本山坑スケート場

案内板を見ると、浴場の横にスケート場と書いてある。
鉱口のすぐ近くに浴場というのはわかるが、
スケート場とはどういうことだろうか?
実際にその場所を見てみると、
確かに周囲をコンクリートで固めた浅いプールのような構造が残っている。
大きさは25m四方くらいだろうか。
スケートをするにはちょうどいい大きさだ。
しかしなんでまたスケート場なのだろうと思うも、
橋本氏の写真展が開催されていた通洞の足尾歴史館の横の敷地も、
かつてはスケートリンクだったそうだ。
足尾とスケート、その繋がりは気になるところだ。





googlemap有木坑

本山坑周辺の施設跡は、地図のちょうど5の付近にあたる。

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