シルクロードと科学 ある物理学者の独りごと Silk Road and Science

天山山脈の北の麓の都アルマトイに、私が初めて訪れたのは平成7年(1995年)10月でした。

今、わが国の核抑止力構築を

2010-12-15 15:06:03 | 平和と国防

国民新聞 平成22年11月25日号より

 http://www.kokuminshimbun.com/events2010/11/h2211c05.html

 今、わが国の核抑止力構築を

 札幌医科大学教授 高田純

◇世界最高の核科学

 一九三八年(昭和十三年)にドイツの科学者オットー・ハーンがウランの核分裂を発見するやいなや、西欧列強国の科学者たちは、これまでにない莫大なエネルギーを発生させる核爆弾の研究に大いなる関心を抱いた。当然、世界の先端にあった日本の核物理学研究は、第二次世界大戦下、帝国海軍と帝国陸軍に注目された。両軍は昭和十八年、それぞれ独自に核爆弾開発研究を開始した。米国の核兵器開発計画であるマンハッタンプロジェクトが開始した半年後のことである。

 陸軍は理化学研究所の仁科芳雄博士を指導科学者とした「二号研究」、海軍は京都大学荒勝文策教授を指導科学者とした「F研究」である。それらに当時の日本の核物理学者がほぼ全員参加した。敗戦四年後の昭和二十四年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹は、理論担当としてF研究に参加していたのだった。

 東北帝国大学の天才彦坂忠義は昭和九年に独創的な核の殻模型理論を発表した。さらに昭和十九年には高速中性子が、ウラン238を分裂できることに注目して、困難な同位体濃縮技術を用いない理論を発見した。しかし早すぎた発見は国内外の学会で理解されなかった。殻模型理論は同じ模型でマイヤーとイエンザンが一九六三年にノーベル物理学賞を受賞し、核分裂理論は、メガトン級の大型熱核爆弾の原理および、高速増殖炉の原理となり、実用化された。

 広島・長崎の核被害の科学調査が直後から正確に実施できたのも、当時からわが国の科学水準が高かったからである。隠蔽されてきた核の昭和史が最近明らかになった(拙著『核と刀』明成社平成二十二年刊)。

◇封印された核開発

 敗戦後、マッカーサー総司令官は、わが国の核科学者たちを公職追放しなかった代わりに、核兵器開発にも向かわせなかった。GHQは、実験装置を破壊し、一旦日本の核実験研究全体を停止させた。理論などの基礎研究のみを最初に、その後核の平和利用分野に限定した研究を認めた。こうして日本の核兵器開発を敗戦後、GHQは封印した。そしてわが国の核科学者たちは核の昭和史に沈黙した。

 しかも、米国は湯川秀樹をプリンストン高等研究所に招聘し親米家にしつつ、アインシュタインとともに、世界の反核兵器運動家に誘導する高等手段を実行した。こうして戦後の日本人科学者たちは自国の置かれている現実を直視することなく、核兵器の脅威を「核兵器廃絶」という一言で、昭和二十年の歴史の一こまに閉じ込めてしまったのだった。これが核の現実を考えさせない国内世論を形成し、米国の当初の狙いは成就することとなった。

 ただし、昭和二十九年三月一日に発生したマグロ延縄漁船第五福竜丸の核被災に端を発した親ソ親中の反米反核運動が擡頭した。その結果、冷戦下、湯川ら親米の民主主義派と親ソ親中の共産主義派の両陣営の偽りの反核運動によって、わが国の核は完全に封じ込められてしまったのだ。

◇平和主義と抑止力

 世界で最初に核の脅威を認識していたのは実は昭和天皇であった。天皇は陸軍が開発しようとしていた核兵器について、使用は世界の滅亡に繋がるとして杉山陸軍大臣に開発中止を求めたことの証言がある。陛下は、昭和十九年春に理科学研究所の仁科博士を訪問し、ウラン爆弾の脅威を知ったのだった。

 陸軍航空技術研究所の所長である安田武雄中将は、二号研究を進める一方で、米軍基地を核攻撃する作戦を練っていた。彼は無人ロケットに核弾頭を搭載し、米国本土を攻撃することも考えていた。今でいう弾道ミサイルである。形勢逆転の作戦だった。

 玉音放送として知られる終戦の詔勅の中に、アメリカが新型爆弾を使用したことは人類の文明をも破却すると述べられている。

 「…しかのみならず、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻りに無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る。而も、尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を将来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし…」

 一方、世界で最初に核爆弾を戦闘使用した米国大統領の思いは、天皇とは真逆だった。トルーマンは広島を陸軍の軍事基地と偽り、核攻撃を正当化する趣旨を、八月六日ホワイトハウスで新聞発表した。非戦闘員である一般国民を無差別に殺傷する毒ガスや細菌兵器の使用は国際法で禁じられているのだから、当然、核弾頭による都市攻撃は国際法違反となる。つまりトルーマンは偽りの声明をしたのだった。

 戦争末期の混乱のなか、時代の先を読み人類文明の危機を昭和二十年に心配された天皇陛下は偉大である。これこそ真の平和主義。

 私たち国民は誇りある昭和史をしっかりと胸に刻み、帝国主義国家中国の尖閣諸島、東シナ海、沖縄への侵略という未曾有の国難に対処しなければいけない。有事の際に、中共からの核恫喝に屈服してはならないし、三度、国土が核攻撃を受けてはならないのだ。今が、わが国の核抑止力を構築する時である。使うためにではなく、七千万人を虐殺した悪魔に使わせないために。続く