月と太陽の歴史の続編です。トルコ(トルキスタン)と日本の友好について追加します。
軍艦・エルトウールル号の遭難から始まるトルコ人と日本人の友情。95年後のイラン・イラク戦争時の日本人215名の救出のためにトルコ航空機が飛び立った「日本人が決して忘れてはならない命がけの恩返し」。
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1890年(明治23年)9月16日に紀伊半島南端沖合で発生したトルコ軍艦エルトウールル号遭難事件だった。ハミト皇帝が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトウールル号が、帰路暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合の樫野灯台付近の岩礁に衝突難破し、特使を含む518名が溺死した事件で、死を免れた69名は、地元民の手厚い救護の後、明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられた。
当時24歳、義侠心に富んだ山田寅次郎は、この事件を知るといたく同情し、ー民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、それを携えてトルコに渡った。
約4ヵ月かけて1892年4月4日にイスタンブールに上陸した彼は、外務大臣サイド・パシャに義損金を手渡し、皇帝アブドウル・ハミト2世に拝謁して明珍作の鎧兜と豊臣秀頼所持とされる太刀を献上する。現在トプカピ宮殿に展示されているのはそのときの品々なのだ。
日本人の真情に触れた皇帝からトルコに留まって士官に日本語を教えてくれるように請われた寅次郎は、以後国賓待遇で延べ約20年間トルコに滞在することになる。この間イスタンブールに妻の姓で中村商店という雑貸店を経営しながら、彼は蔭に日向に日本とトルコの友好親善に尽くした。
みなさんは、平成の”寅次郎”でしょうか?!