昨日(5/4)、緊急事態宣言は延長されました。
最近では、夕方のテレビニュースで東京都の新たに発生した
感染者数が報じられるのが気にかかっています。100人を下回るかどうか?
今日は、こどもの日 なんですね。立夏なんだ~。
“ことば”について、当ブログにもこれまでいくつか、その意味や面白さについて
記事アップしました。これらはいずれも自己流の解釈が中心でしたが、今回は、国語
学者の 金田一秀穂氏の講演録が、一昨日に手元に届いた会報にあり、面白く拝読しま
したので、無断ですが、ここに紹介させていただいた次第です。
金田一氏の講演は、今年(2020年)1月に行われたもので、その演題は「今どきの
日本語」というもので、先生が教える教育現場の学生の反応などを踏まえた経験を交
えて、今どきの日本語の流れや、学生の「言葉について考えること」などは、もはや
失われているとの感触を抱きながら、しかし、身近な“ことば”について普段見過ご
されている事柄を取り上げて面白く述べられていました。
「犬猫」は、どうして「猫犬」とは言わないのか? 大方の人は「犬猫」の方が
「猫犬」よりも語順のすわりの良さを感じているからなんでしょう。 しかし、それ
はなぜそうなのか? いまだに分からないそうです。韓国語は「犬猫」だそうですが
中国語は「猫犬」で、その方が響きが美しいのだそうです。英語は「Cats and Dogs」
ですね。フランス語もそうだそうです。
(ネット画像より)
和語では、「西東(にしひがし)」「右左(みぎひだり)」といいますが、漢語で
は「東西(とうざい)」「左右(さゆう)」といいますし、「裏表(うらおもて)」
も「表裏(ひょうり)」といい、「浮き沈み」は中国では「沈み浮き」というそうです。
どうしてこのような並びになるのか? 昔からの習慣でそのように言っているので
しょうが、なぜそのような習慣となるのか 分からないのです。
「一日おき」と「24時間おき」も不思議 とあります。「一日おきに友達と会う」
という場合、1月8日に会ったら、次に会うのは1月10日、そのつぎは12日となります。
が、この一日を24時間に置き換えて「24時間おきに友達と会う」といえば、1月8日
に会ったら次は9日で、その次は10日になってしまいます。
同じことを言っているのに、1日飛んでしまうのはなぜでしょうか? 「一週間
おきに会う」という場合、「毎週会う」と考える人と、「隔週に会う」と考える人は
半々だそうです。「オリンピックは4年おきに開催する」は、実は3年 間が空いて開
催されていますから「3年おき」という方が理屈に合っているのではないか?
そういえば、長野県諏訪大社の「御柱祭」も「7年おき」とありますが、開催され
ない期間は6年ですから「6年おき」といった方が正しい気がしますが、そうはいって
いないのですね。
「一日おき」という場合、デジタルな数値として捉えているので1日飛ぶのですが、
「24時間おき」という場合、連続する長さで捉えているので毎日となるのだと解説さ
れています。
「前」とはどこか? 「前」という言葉の説明は難解だとあります。 「私は机の
前に立っている」というとき、机に向かって立っているときも、机を背にして立って
いるときもどちらも同じ言い方です。とても不思議・・だとあります。
この場合は、立っている人の向きではなく、机と人との立ち位置の関係を言ってい
るのだと思いますが、机の傍(そば)ではちょっと違うのですね。
これは机の上ですね。
「前」はさらに問題がある・・というのです。「私たちの未来は前にあるか、後ろに
あるか」という問いに対して、私たちは未来に向かって進んでいるので「未来は前に
ある」と思っていますが、「この前」といえば、過去のことで「この後」といえば未
来のことを指す・・なぜ、過去が前なのでしょうか?
講演者 金田一氏の父君である金田一春彦氏編「国語大辞典」が手元にありました
ので、1831ページの「前」の項を見てみました。 かなり長い解説がされていますが、
ポイントを挙げてみました。
①(空間的に) 目・顔・体が向いている方。あるものに向かい合ったとき、その
者に近い方。手前。自分の行為の向かう方。物の正面にあたる方。着物の打ち合わせ
た部分。陰部(ーを隠す)。他人に対する外聞。
②(時間的に) その時より早い方。げんざいより以前。過去の時点。ある状態に
対する以前。前科。 ③順序が先の方。
また、接尾語として、人数に相当する量。その相応の内容、価値を表す。三人前。
朝飯前。上前。名前。気前・・など。
確かに、時間的には過去を表すのですね。先の「机の前」というのも、「机の正
面」に立っている意なんですね。
金田一先生(講演者)は、『今の国語の授業は、知識中心に偏っていて、どうも変
だと思います。私たちの使っている日本語、言葉がどうであるのかを見つけるような
言葉学があっていいのではないか』とも述べられ、同時に『「本当に自分がどう考え
るか」ではなく、「教師はどう考えるか」を察して、教師の考えをコピーすることに
長けている人が、いい成績をとり、結果、社会を動かしてる』と苦言を呈しておられ
ます。
また、『若い人は、自分の頭で考えることを面倒くさがり、すぐに答えを欲しがり、
それがだめならヒントを欲しがり、自分の考えなどないかのように、リーダーや上司
の考えを忖度する危険にある』との警鐘を発しておられます。
私が現役のころ(もう40年も前のこと)に、友人と交わしていた内容が思い出され
てきました。「最近の若い人達は、すぐに答えを求める傾向にあり、答えを出そうと
懸命に努力しているが、取り組む事象に答えがあるとは限らない、むしろ答えがない
方が一般的であるのに、学生のころには答えのある問題ばかりを相手に取り組んで
偏差値を争ってきたまじめなお利口さんが多い」と。
言葉の成り立ち・・などを考えるのは面白いですね。
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