杵屋六郎ブログ

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六郷満山1300年記念行事11月11日(土)

2017-11-12 21:04:53 | 日記

六郷満山1300年記念行事ライトアップイベント 勧進帳の写真。

ウイキペディアによる六郷満山の解説
歴史[編集]
伝説によれば、仁聞菩薩が、養老2年(718年)頃に、国東半島の各地に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれている。

実際には、古来国東半島にあった山岳信仰の場が、奈良時代末期から平安時代にかけて寺院の形態を取るようになったものである。古来の山岳信仰が、近隣の宇佐神宮及びその神宮寺である弥勒寺を中心とする八幡信仰、さらには天台系修験と融合した結果、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されたと言われる。今日でも、33の寺院と番外に宇佐神宮を加えた「国東六郷満山霊場」(国東半島三十三箇所)が構成されている。

名前の由来[編集]
国東半島には、中央にそびえる両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って、武蔵(むさし)、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、六郷と呼ばれていた。また、国東半島の寺院群は、学問をするため本山(もとやま)、修行をするための中山(なかやま)、布教をするための末山(すえやま)の3つの群に分けられ、これらは合わせて満山と呼ばれていた。このことから、国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶようになった。

六郷満山文化[編集]
八幡信仰と天台修験が融合し発達した国東半島独自の宗教文化[3]。国東半島の大部分が宇佐八幡の荘園だった奈良・平安時代に八幡宮や神仏習合の六郷満山寺院が多数建造されて特異な宗教文化が生まれ、平安末期には国東半島だけで約1000の伽藍があったという[2]。その後時代が下るにつれ、鎌倉仏教系、禅宗系、浄土真宗系寺院への転向や建立がなされ、独特の伝統行事や習俗文化が育まれ、今に引き継がれている[2]。国宝の富貴寺大堂に代表される平安建築や、熊野磨崖仏をはじめ、六郷満山文化が最盛期だった平安時代の古仏や石窟など石造美術も多く遺る。

修正鬼会[編集]
修正鬼会は、旧正月(1~2月)に六郷満山の寺院で行われていた火祭り。この行事に登場する鬼は、悪鬼ではなく、祖先が姿を変えたものとされる。現在では、天念寺(豊後高田市、毎年)、成仏寺(国東市、西暦偶数年)、岩戸寺(国東市、西暦奇数年)の3つの寺で行われている。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
http://www.millennium-roman.jp/rokugou1300/ 

APU京都ウイーク11月10日(大分にて演奏)

2017-11-12 20:32:08 | 日記

11月10日(金)立命館アジア太平洋大学(APU)京都ウイークに長唄さくら会の演奏に参加した。演奏曲は花見踊。
APUの学生にさくら会を主催する杵屋六絹也師の依頼により演奏に参加した。

ウイキペディアによるAPU特徴
京都府京都市に本部を置く学校法人立命館が大分県別府市に創設した私立大学。教員および学生の約半数が外国籍という環境である。アジア太平洋学部、アジア太平洋マネジメント学部の二つの学部を持つ。アジア太平洋地域を意識した教育で英語を習得することが求められるのはもちろん、任意でアジア太平洋地域の言語(中国語、韓国語、マレー・インドネシア語、スペイン語、タイ語、ベトナム語)を1つ以上習得することもできる。 2009年5月1日現在、世界78ヶ国から、2,786名の留学生[8]。 (留学生をAPU内部では「国際学生」と呼んでいる)が集まる大学であり、この数字には含まれないが1年などの短期での留学生も協定校から多数受け入れている。日本人学生(国内学生)の数は3,069名。国内外問わず春季と秋季の年2回、学生を受け入れている。立命館大学との間で、相互に半年または1年の交換留学プログラムがある。2006年度にインスティチュートとして両学部に跨った学際的コースとして、CAPが置かれた。学長はモンテ・カセム教授(CASSIM, MONTE教授)。教員の約半数が外国籍であり、多種多様なバックグラウンドをもつ教員のもとで学ぶことができる。ただし、立命館学園は一方的な雇い止めによる教員の雇用問題が発生している。APUは、ディスカッションやプレゼンなどをする機会が多く、コミュニケーション能力の向上が期待される。 キャンパスが別府市の標高300mを超える山地(最高点:標高338m)にあり、周りには一切民家などがないような土地に位置するためアクセスが不便である(自動車通学は禁止)。