杵屋六郎ブログ

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芸談 かたつむり

2016-09-28 23:07:41 | 日記

8世竹本綱大夫 芸談 でんでん虫の続き。 布井出版 昭和41年発行
この本では発声法について以下のように記述されている。
義太夫の発声法としては、あまり咽喉を締めず無理のない発声をするのが一番の理想となっております。語り物によって時代物には誇張があり、世話物は殆ど地声でやるという違いはありますが、一定の声の修行をしてある程度まで来たら、無理な発声をしないことが最も理想的な義太夫とされています。それで、「声を似せる」ということは私どもではいけないことになっていて、落語の口真似風な語り方は忌みますから、若い大夫が老人を演ずる時少々ぐらい若く聞こえても教えとしては声を似せるより良いとされています。
 謡曲でもあまり女の声などを作って謡わないように、大昔の義太夫は老人、女などの作り声をせず、すべて自然な発声でやったらしく思われますが、古老に伺っても、そういう浄るりは聞いたことがないといわれますし、今のように変わったのは何時頃からであったか分かりません。作り声で語るより精神から入って語るのが何より大切とされているのであります。
 詞には舌の使い方が非常に大切で、また口捌きにも苦心が要ります。特に世話物の詞は誇張がありませんので、言語が明瞭でなければなりません。これには先天的な条件と大分関係がありまして、口腔の中の上ぐりが深いと声が自由に出るとか、口が大きく殊に出歯の大夫には美声が多いとかいうことはありますが、これも練習次第である程度はよくなるものです。それに、いわゆる美声といわれるものが義太夫に適しているかどうかは疑問です。近世の美声といわれた摂津大掾師匠は、そういう意味から申しまして、難声といわれたというお話も伺っています。
中略
舞台で座りますのは、勿論正座法が叶っているのでありますが、膝を少し割って、胸郭を張って、それから肩の力を抜くという事が必要であります。往々にして力を入れ過ぎて肩に力が入り、前屈みになりますと声は出ないものです。

8世竹本綱大夫による貴重な発声法の書かれた本を入手出来たことはとても嬉しいです。一定の声の修行は個人差があるので想像する以外ありませんが、何事も10年を一つの目安とすることは誤りではないと考えられます。
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山城少掾

2016-09-27 01:06:54 | 日記

名人と呼ばれた山城少掾は8世竹本綱大夫の師匠です。義太夫の歴史的な名演奏を数多く残しています。山城少掾の演奏を聞けば義太夫の魅力を発見できるはずです。三味線の名人との演奏に何回も感動を覚えました。繰り返し聞いてもその魅力は変わりません。
感動できる生演奏に勝るものはありませんが義太夫を知るきっかけには名人の演奏が適しています。

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

豊竹 山城少掾
トヨタケ ヤマシロノショウジョウ

職業義太夫節太夫(文楽)
専門人形浄瑠璃
肩書日本芸術院会員〔昭和21年〕,重要無形文化財保持者(人形浄瑠璃文楽・太夫)〔昭和30年〕
本名金杉 弥太郎(カナスギ ヤタロウ)
別名前名=片岡 銀杏,竹本 小津賀太夫,竹本 津葉芽太夫,豊竹 古靱太夫(2代目)(トヨタケ コウツボダユウ)
生年月日明治11年 12月15日
出生地東京府 浅草区(東京都 台東区)
経歴明治14年片岡銀杏と名乗って歌舞伎の舞台に立つ。20年5代目竹本津賀太夫に入門、小津賀太夫を名乗る。22年大阪に出て、2代目竹本津太夫(7代目竹本綱太夫)に師事、津葉芽太夫を名乗る。42年2代目豊竹古靱太夫を襲名。以後、3代目鶴沢清六・4代目清六を相三味線にコンビを組んで昭和初期の文楽黄金時代を築き、津太夫、土佐太夫とともに“三巨頭”といわれた。3代目津太夫没後の昭和17年に文楽座を代表する16代紋下となり、34年に引退するまで、“山城風”という芸格は文楽の座高峰と見られ、義太夫界の6代目菊五郎とも呼ばれた。21年日本芸術院会員、30年人間国宝、35年文化功労者。この間、戦後間もない22年、秩父宮家から山城少掾藤原重房の掾号を授けられる。24年4代目清六との相三味線を解消、27年鶴沢藤蔵が相三味線を務める。代表曲に「摂州合邦辻・合邦庵室」「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」「艶容女舞衣・酒屋」など。また、番付、丸本の集大成につとめた。著書に「山城少掾聞書」「文楽の鑑賞」がある。
受賞日本芸術院賞(第3回)〔昭和18年〕,文化功労者〔昭和35年〕 勲三等旭日中綬章〔昭和39年〕
没年月日昭和42年 4月22日 (1967年)
伝記昭和の名人 豊竹山城少掾―魂をゆさぶる浄瑠璃 渡辺 保 著(発行元 新潮社 ’93発行)
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でんでん虫

2016-09-19 22:48:08 | 日記
「でんでん虫 」8世竹本綱大夫 著 布井書房
義太夫が全盛の時代の最後に登場した8世竹本綱大夫の芸談について書かれています。最も印象に残った言葉は師匠の山城少掾から言われた言葉ですが「稽古で自分の声を探しなさい」というものです。
とても意味深い言葉でありますし、一言で核心をついています。人の真似をしていると声色になってしまい、本来の自分の声になりにくいものです。本当の自分の声に到達するには想像を絶する義太夫の修行がないとできません。言い換えれば自分の声を見つけることが大事です。
この一言だけでも「でんでん虫」の価値は大いにあります。





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修行過程の違い

2016-09-16 00:40:26 | 日記
何事においてもプロとアマチュアでは修行の過程が異なるものです。三味線の場合でも同様です。プロの場合、最初に学ぶのはツレですが、アマチュアの場合はタテの真似事から学びます。従って、いくら年月が経ってもツレが出来るようになることは滅多にありません。修行過程の違いはお稽古においても現れやすいものです。ツレが出来る人は稽古上手です。色で言えば先ずは無色透明になるようなものです。タテ三味線を弾くことは個性の強い色を出すような作業になるので、色が付いたものも無色に戻すことは難しくなります。
ツレは無色透明になろうとする修行です。色を付けるタテ三味線とは真逆の修行になるのです。プロでツレが上手に弾ける人は出世が早く、活躍する場を多く得られるものです。
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8世竹本綱大夫

2016-09-14 00:31:27 | 日記


8世竹本綱大夫の声はお手本にするのに最高の声です。どうしたらあのような声で語れるのかを疑問に思っていましたがヒントが思わぬところにありました。それは山川静雄著『綱大夫四季』です。
綱大夫の発声は無理に喉を締めない自然な発声が大事だと綱大夫が対談していたのです。
綱大夫のお手本の声は名人の山城少掾であり、相三味線が竹澤弥七であったことも綱大夫の声のルーツになっていると思われます。8世綱大夫の舞台を見ることはできませんでしたが、竹澤弥七の三味線は国立劇場の文楽公演で見ることが出来たのはとても幸せです。今から40年以上も前のことですがその時の印象は今でも鮮明です。生の演奏の素晴らしさは格別ですが後世に残るような音源として8世綱大夫や弥七の演奏を伝える必要性を感じます。



8世竹本綱大夫(1904年7月23日 - 1969年1月3日)
大阪生まれ。本名・生田巌。明治44年(1911年)、2代目豊竹古靱太夫(豊竹山城少掾)の弟子2代目豊竹つばめ太夫を名乗る。昭和11年(1936年)、新義座に参加するが、昭和13年(1938年)、文楽座へ復帰、4代目竹本織太夫を襲名し、昭和23年(1948年)、8代目を襲名。昭和30年(1955年)、人間国宝。1963年、日本芸術院賞受賞[1]。昭和44年(1969年)、日本芸術院会員。著書に『でんでん虫』(布井書房, 1964)、 『芸談かたつむり』(同, 1966)があり、山川静夫による評伝『綱大夫四季』(現在、岩波現代文庫)がある。実子は初代豊竹咲太夫、母方の従兄に瀧廉太郎がいる。
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