出生前診断で障害があるかも知れないと分かると
産まない選択をする人が多いそうです。
診断の特性から、それを受けること自体がそういう想いがあるからかも知れません。
でも、障害があったら何で悪いの?と言いたい気持ちいっぱいです。
どこが悪いんでしょう?
それはもちろん、生活が大変なことは大変です。
でも普通の子どもでも大変なことはたくさん起きます。
家族みんながそのことでひとつに繋がり
特性を生かしてあげたら、とても濃い人生を送ることができると思います。
障害がなくても寂しさ悲しさ辛さを抱えている子どもがいっぱいです。
日本では3割の子どもが孤独を感じて生きているのです。
障害があってもなくても、
子どもがそんな想いをしなくていいようにしなくては。
ご自分の周りにそんな子どもはいませんか?
障害と言えば、
たぶん、私も子どもの頃はADHDだったかも知れないと思います。
のんびり、ボーッとしていました。
今も話し言葉では、なかなかうまく自分の想いを伝えられません。
家庭環境もありますが、
自分の言葉で自分の想いを伝えるということが
だいぶ大きくなるまでよく分かりませんでした。
でも言葉ではないコミュニケーションが、そのおかげで得意になりました。
最重度障害の子ども達とコミュニケーションをするのが得意でした。
人生は最後まで生きてみないと分かりません^^;
産まない選択をする人が多いそうです。
診断の特性から、それを受けること自体がそういう想いがあるからかも知れません。
でも、障害があったら何で悪いの?と言いたい気持ちいっぱいです。
どこが悪いんでしょう?
それはもちろん、生活が大変なことは大変です。
でも普通の子どもでも大変なことはたくさん起きます。
家族みんながそのことでひとつに繋がり
特性を生かしてあげたら、とても濃い人生を送ることができると思います。
障害がなくても寂しさ悲しさ辛さを抱えている子どもがいっぱいです。
日本では3割の子どもが孤独を感じて生きているのです。
障害があってもなくても、
子どもがそんな想いをしなくていいようにしなくては。
ご自分の周りにそんな子どもはいませんか?
障害と言えば、
たぶん、私も子どもの頃はADHDだったかも知れないと思います。
のんびり、ボーッとしていました。
今も話し言葉では、なかなかうまく自分の想いを伝えられません。
家庭環境もありますが、
自分の言葉で自分の想いを伝えるということが
だいぶ大きくなるまでよく分かりませんでした。
でも言葉ではないコミュニケーションが、そのおかげで得意になりました。
最重度障害の子ども達とコミュニケーションをするのが得意でした。
人生は最後まで生きてみないと分かりません^^;
以前の日記にも書きましたが
生きていると
本当にさまざまなことが起きて来ます。
でも、それは自分に必要なことが起きてくるのだと思うのです。
パズルの最後の1ピースのように
それを経験すると人生がより完成に近づく。
そんな気がします。
びっくりするようなことが起きると
やっぱり私も人間だからびっくりするけれど
そこに意味を見いだすのも早くなりました(笑)
誰が分かってくれなくても
天にいる息子が見ていてくれたらそれでいい。
そこが私の基準です。
写真は先日の月食の始まり
生きていると
本当にさまざまなことが起きて来ます。
でも、それは自分に必要なことが起きてくるのだと思うのです。
パズルの最後の1ピースのように
それを経験すると人生がより完成に近づく。
そんな気がします。
びっくりするようなことが起きると
やっぱり私も人間だからびっくりするけれど
そこに意味を見いだすのも早くなりました(笑)
誰が分かってくれなくても
天にいる息子が見ていてくれたらそれでいい。
そこが私の基準です。
写真は先日の月食の始まり
子どもは模倣して育ちますね。
何でもまねっこして育ちます。
自由にさせてあげる、と言っても
精神的自由を保障してあげるということで、
何でもありという訳ではありません。
やはり親として子どもに伝えていきたいことはある訳です。
早ね早起きやご飯を食べる時にいただきます、を言う
ありがとうやごめんなさいを言うなど
生活の中でよいものは伝えていきたいですね。
そのお家独自のものもあるとすてきですね。
それは、口でうるさく言って教えるのではなく、
お父さん、お母さんが自然にやってみせてあげ、
子どもがまねっこするという形で伝えていくものだと思います。
我が家のことで言えば、
息子の障害の関係でどうしても早ね早起きは無理でした。
でも、一日の流れはだいたい決まっていました。
病気の関係で大変なことも多かったけれど、
必ず一日のうちに楽しいことを組み込んでいて
普通の日を楽しむことにしていました。
これがシンプルな我が家スタイル。
(今は・・なかなか出来ていません・・反省^^;
やはり子どもの存在は大きいなぁ)
何でもまねっこして育ちます。
自由にさせてあげる、と言っても
精神的自由を保障してあげるということで、
何でもありという訳ではありません。
やはり親として子どもに伝えていきたいことはある訳です。
早ね早起きやご飯を食べる時にいただきます、を言う
ありがとうやごめんなさいを言うなど
生活の中でよいものは伝えていきたいですね。
そのお家独自のものもあるとすてきですね。
それは、口でうるさく言って教えるのではなく、
お父さん、お母さんが自然にやってみせてあげ、
子どもがまねっこするという形で伝えていくものだと思います。
我が家のことで言えば、
息子の障害の関係でどうしても早ね早起きは無理でした。
でも、一日の流れはだいたい決まっていました。
病気の関係で大変なことも多かったけれど、
必ず一日のうちに楽しいことを組み込んでいて
普通の日を楽しむことにしていました。
これがシンプルな我が家スタイル。
(今は・・なかなか出来ていません・・反省^^;
やはり子どもの存在は大きいなぁ)
最近いろんな親子を見ていて感じます。
私と息子がそうだったように、
最初は歯車が合わず大変な思いもするけれど、
親が子どもに鍛えられ、
子どもの後について行けるようになると
だんだんお互いのわだち(轍)が合うようになり、
何とも言えないよい関係が生まれて来るのだなぁと。
そこには、他にどの親子も真似が出来ない
素敵な関係が生まれる。
その証拠に
お子さんの笑顔が
とても輝いているのです
親が子どもの後をついて行く。
前から引っ張るのではなく、
後からついて行けるようになると
子どもの良さが発揮され
子どもが輝けるようになるんだなぁと。
それは
子どもが何ができるとかいう
能力とは関係のないもので
純粋な生の輝きとでもいうようなものです。
私と息子がそうだったように、
最初は歯車が合わず大変な思いもするけれど、
親が子どもに鍛えられ、
子どもの後について行けるようになると
だんだんお互いのわだち(轍)が合うようになり、
何とも言えないよい関係が生まれて来るのだなぁと。
そこには、他にどの親子も真似が出来ない
素敵な関係が生まれる。
その証拠に
お子さんの笑顔が
とても輝いているのです
親が子どもの後をついて行く。
前から引っ張るのではなく、
後からついて行けるようになると
子どもの良さが発揮され
子どもが輝けるようになるんだなぁと。
それは
子どもが何ができるとかいう
能力とは関係のないもので
純粋な生の輝きとでもいうようなものです。
親の言動というものが
子どもの無意識の中に
深く刻み込まれるものなのだなぁと実感したのは、
私は自己評価がとても低くて、自信がなく、
私がやれることは当然みんながやれるのだと思い込んでいました。
でもそんなことはなくて、
私だから出来ることも結構あるんだなぁということに
最近になって気づきました。
そんなビリーフを持って生きていたことに気づいて
自分でもびっくりでした。
子どもの頃に
自分は自分のままでいいんだ、ということを信じられたら
自分のユニークさを生かして生きていけたら
その子はきっと120%?の力を発揮できるようになると思います
一番幸せなのは、
自分のユニークなところを生かしていける生き方をすることではないかなぁ。
私は自由な子育てひろばでは働けても
一般の幼稚園では自分の持ち味を生かせないと思います。
自分を知る、ということ
それが自分を生かしていく時にとても大切ですね。
子どもの無意識の中に
深く刻み込まれるものなのだなぁと実感したのは、
私は自己評価がとても低くて、自信がなく、
私がやれることは当然みんながやれるのだと思い込んでいました。
でもそんなことはなくて、
私だから出来ることも結構あるんだなぁということに
最近になって気づきました。
そんなビリーフを持って生きていたことに気づいて
自分でもびっくりでした。
子どもの頃に
自分は自分のままでいいんだ、ということを信じられたら
自分のユニークさを生かして生きていけたら
その子はきっと120%?の力を発揮できるようになると思います
一番幸せなのは、
自分のユニークなところを生かしていける生き方をすることではないかなぁ。
私は自由な子育てひろばでは働けても
一般の幼稚園では自分の持ち味を生かせないと思います。
自分を知る、ということ
それが自分を生かしていく時にとても大切ですね。
もうひとつ、私が木のこんでやっていることがあります。
自由に親子が遊んでいる中に入っていると
親子の課題がそこに見えてくることがあります。
みんなそれぞれですが。
そういう時に、遊びを通して関わっていったり
お母さんにお話ししたりしながら
よりよい関係を作れるようにお手伝いをしています。
実は、大人になって仕事をしている時に一番影響するのは
子どもの頃の親子関係だったりします。
ここで積極的になれないのはどうしてだろう?
ということを見ていくと、
子どもの頃にあれはダメ、これはダメと言われていたことが原因だったりします。
お父さん、お母さんは我が子のために良かれと思ってやっているのですが、
そのことがトラウマを作ったりしていることがあります。
そういう時に親が気づいて変わると、子供も変わります。
それをさりげなくサポートできる人も育てていきたいと考えています。
私もまだまだ勉強中ですが。
自由に親子が遊んでいる中に入っていると
親子の課題がそこに見えてくることがあります。
みんなそれぞれですが。
そういう時に、遊びを通して関わっていったり
お母さんにお話ししたりしながら
よりよい関係を作れるようにお手伝いをしています。
実は、大人になって仕事をしている時に一番影響するのは
子どもの頃の親子関係だったりします。
ここで積極的になれないのはどうしてだろう?
ということを見ていくと、
子どもの頃にあれはダメ、これはダメと言われていたことが原因だったりします。
お父さん、お母さんは我が子のために良かれと思ってやっているのですが、
そのことがトラウマを作ったりしていることがあります。
そういう時に親が気づいて変わると、子供も変わります。
それをさりげなくサポートできる人も育てていきたいと考えています。
私もまだまだ勉強中ですが。
木のこんは自由にやりたいことをやりながら
自主性や創造性協調性を育てていく場所です。
大人になってもなかなか自分が何をやりたいのか、どうすればいいのか
自分で考えたり行動したりできなかったりします。
今の幼稚園や学校教育は「与える教育」が殆どなので
どうしても子ども達が受け身にならざるを得ませんね。
テストの点が良かったりすると学力があるということになりますが、
あくまで学力は学力、
生きていく力は別のところにあると思います。
本当に自分の人生を切り開いていく力があれば
これからの時代を自分で創造して生きていけるのではないかと思います。
今ある企業や会社に就職するのではなく、
または今ある会社を変えていく。
時代に合ったものを模索していき
平和で自然と共存できるよりよい社会を創って行ける。
そんな子ども達が育っていくと頼もしいですね。
そのうち、木のこんのような場所のスタッフをやりたいという方のために
講座を開いていこうかと考えています。
木のこんでやっていこうとしていることは「引き出す教育」です。
でも、なかなかそれをやっていける人がいないので
これからそういう人を育てていきたいと思うのです。
自主性や創造性協調性を育てていく場所です。
大人になってもなかなか自分が何をやりたいのか、どうすればいいのか
自分で考えたり行動したりできなかったりします。
今の幼稚園や学校教育は「与える教育」が殆どなので
どうしても子ども達が受け身にならざるを得ませんね。
テストの点が良かったりすると学力があるということになりますが、
あくまで学力は学力、
生きていく力は別のところにあると思います。
本当に自分の人生を切り開いていく力があれば
これからの時代を自分で創造して生きていけるのではないかと思います。
今ある企業や会社に就職するのではなく、
または今ある会社を変えていく。
時代に合ったものを模索していき
平和で自然と共存できるよりよい社会を創って行ける。
そんな子ども達が育っていくと頼もしいですね。
そのうち、木のこんのような場所のスタッフをやりたいという方のために
講座を開いていこうかと考えています。
木のこんでやっていこうとしていることは「引き出す教育」です。
でも、なかなかそれをやっていける人がいないので
これからそういう人を育てていきたいと思うのです。