Rockzy 倶楽部 Ⅱ

♬~私の喜怒哀楽の想い出は音楽と共に~♬

☆今日は「The Beatles---Something」ジョージの作品で撮影現場で「ポールがジョウ

2012-09-19 18:11:09 | The Beatles (Ⅱ)

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YouTube: The Beatles - Something

Recording Data ~レコーディング・データ

ビートルズの11枚目の英国オリジナルアルバム「アビイ・ロード」の2曲目に収められているバラードナンバー。
このアルバムは1969年9月26日に発売された。 
  作者のジョージがリード・ヴォーカルを取り、ポールがコーラスをつけている。

英国では21枚目のシングルとして、アルバム「アビイ・ロード」からシングルカットされた。
カップリングは「カム・トゥゲザー」で両A面扱いでのリリースとなった。
なお、既存のアルバムからシングルカットされるのは英国ではこの曲が初めてのケースである。
そしてビートルズのキャリアの中で唯一ジョージの曲がA面扱いとなったケースでもある。

運命の1969年。年が明けてすぐの1月2日。ビートルズはトゥイッケナム・フィルム・スタジオに姿を現した。
  混沌とする活動状況を打破する為に、ポールが打ち出したのは「原点に帰る」というコンセプトだった。
デビュー以来の、全世界をコンサートで飛び回っていたあの頃に帰る、という事。
オーバーダブなどしなかった(出来なかった)あの頃に・・・・!

ポールはコンサートツアーの再開を提案したが、他の3人は難色を示す。
  妥協案として1度だけのコンサートも企画されたが、これも結局流れてしまった。
  最終的にリハーサルなどを含むドキュメンタリーを制作しテレビで放送する、という事で合意した4人は
  このフィルムスタジオでリハーサルを開始した。「ゲット・バック(原点に帰る)・セッション」の始まりである。

しかし、いつも撮影されているというプレッシャー、そして薄ら寒いだけの撮影スタジオという慣れぬ環境。
  張り切るポールはあれやこれやとジョージに指示、ジョージはそれに反発して口論となり
5ヶ月前にリンゴがしたように、1月10日にスタジオを飛び出してしまう。
  数日後にジョージは復帰するが、テレビショウに関しては意見を曲げず、結局この企画は流れてしまう。
  映像撮影、そして「オーバーダブをやらない」というコンセプトのアルバム制作は続行されるものの
1969年1月30日のルーフトップ・コンサート、そして翌日のセッションをもってこのプロジェクトを放棄。
  総時間、90時間以上の撮影・録音テープを残したまま、ビートルズはアップルスタジオを去ったのだった。
  後にこの撮影テープは映画「レット・イット・ビー」となり、
  録音物はフィル・スペクターの手によってアルバム「レット・イット・ビー」としてまとめられ、
ビートルズのラスト・アルバムとして翌年の1970年5月8日に発売される。

あの苦しいセッションが終了してしばらく経った頃。ポールはジョージ・マーティンに電話をかけた。
  「もう一枚アルバムを作ろうと思うんだけど、またプロデュースしてくれないかな?本当の意味でね。」
マーティンは「本当に昔の様にできるならいいけど、そうじゃないなら断るよ。」と応え、これを了承した。
4人はすでにバラバラになっているにも関わらず、再びアビイ・ロードスタジオに集結する。 
・・・・・・・最後の奇跡を形にするために。

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☆今日は「The Beatles--The Inner Light」ジョージ初めてのシングル<レディ

2012-09-19 17:42:52 | The Beatles (Ⅱ)




YouTube: The Beatles - The Inner Light - [India / Pic.]


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YouTube: The Beatles - The Inner Light

Recording Data ~レコーディング・データ

ビートルズの英国での17枚目のオリジナルシングル「レディ・マドンナ」のカップリング曲。
この曲はイギリスでは1968年3月15日に発売された。
  作者のジョージがリード・ヴォーカルを取り、ジョン・ポールがコーラスを付けている

この曲はインド・ムンバイにあるEMIレコーディングスタジオでバックトラックが録音されている。
ジョージは元々映画「WONDERWALL」のサウンドトラック制作の為にインドに滞在していた。
サウンドトラック版の録音が予想より早く終わってしまったために、「もしかしたらビートルズで使うかも知れない」と思ったジョージは、雇った現地のミュージシャンを使ってインストゥルメンタルを数曲録音した。
これが1968年1月12日の出来事である。

その内の一つがこの「ジ・インナー・ライト」へと発展するのである。
このインストは5テイク録音されていたようである。

1968年2月6日。アビイ・ロード第1スタジオ。
  持ち帰った2トラックのステレオマスターテープの第5テイクをアビイ・ロードの4トラックレコーダーに移し替え、
これを第6テイクとした。
ジョージは「オレが歌ったら曲を壊すかも知れない、歌いたくない」とかなり消極的だったが、ポールの励ましもあってなんとかリード・ヴォーカルを録音する。
また、「Arrive without travelling」の部分だけがダブルトラック処理されている。

1968年2月8日。アビイ・ロード第2スタジオ。
  先日の第6テイクにジョンとポールのコーラスを加えてこの曲は完成にいたる。
この日の内にモノリミックスが作成された。

以上の経緯でわかるように、この曲ではビートルズは楽器演奏はなにもしていない。

Out Takes ~ミックス、テイク違い&リマスター

  1. モノラルとステレオではイントロ部分の弦楽器のリード・フレーズが異なっている。
    これは当時全く気づかなかったが・・・・・この曲にそれほど注意を払ってなかったって事なのかな・・・・
  2. 今では簡単にステレオバージョンが手に入りますが・・・・
        この曲はビートルズ活動中にはステレオではリリースされなかったのである。
    この曲のリアル・ステレオ・バージョンが収録されたのは1981年に発売された「The Beatles EP Collection」に付いていたオマケEPだけだったのだ。
    お金を貯めてEPコレクションを買って、初めて聴いたとき音の分離、輝きに感激したもんだ・・・・・
    今では普通に手に入ります。

An anecdote ~ こぼれ話

  1. この曲はジョージ作の楽曲が、B面曲とはいえ初めてシングルになった曲である。
        元々この時期には「アクロス・ザ・ユニバース」も録音が進んでいたんだが、ジョンが出来に不満足だった事、そしてこの曲のすばらしさもあって、ジョンが「アクロス・ザ・ユニバース」をシングル候補から取り下げてしまったのである。・・・*データーベースよりこれからも、よろしく!
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