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YouTube: The Beatles - She said she said
『リボルバー』 ("Revolver") は、イギリスにおいて1966年8月5日に発売されたビートルズの7作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバムである。「リボルバー」って好きな曲多いアルバムです。アルバムとしても冒頭が「Taxman」なのでロック的にインパクト強いリフで良いしね、実験的な「エリナー・リグビー」に繋がるのも面白い。それだけバンドのスタイルってのが確立できないバンドってのも珍しいと思うんだよな。こういう音です、っていう定義がないってことで。「And
Your Bird Can SIng」のギターイントロとかソロ。最後の「TOmorrow Never
Knows」のヘヴィさには敵わないが…、と普通に書くだけで随分と文章が長くなる。冷静に聴いても、こんだけ多様な音を出してアルバム一枚に収めているバンドってないワケで、そういう所がThe
Beatlesの一番凄い所なんじゃないかと。一貫性の無さ、かね。それが一回りして最後に到達したのが「アビイ・ロード」B面ってな話になるとこれはもうプロデューサー側の意思としてもひとつの輪廻転生。う~ん、そんなこと考えずに「リボルバー」楽しもう。35分しかないけど、ぎっちり詰め込まれたカラフルなサウンド、聴いても軽さが募るばかりだけど、深みは増す、そんな作品かな。、『リボルバー』発表後『リボルバー』の曲がビートルズのコンサートで演奏されることはなかった。ライヴ・バンドからレコーディング・バンドへと変化する、過渡期の作品と言えます。アルバムタイトルは、「レコードは何をする?」「回転する!」「Great!(いいね!)」というメンバーのやり取りから「リボルバー」となった(2009年リマスター版収録のインタビューにて)。
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YouTube: The Beatles - We Can Work It Out [Official Video] [HD]
’65年12月3日に英国で発表。「ディ・トリッパー」両A面シングルで、ミリオンセラーとなり、アイヴァー・ノヴェロ賞に輝いている。翌年アメリカでは、A面でリリースされ、2週連続1位を記録する。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共同作だが、リード・ヴォーカルはジョンが勤め、ポールはそれに美しいハーモニーをかぶせている。基本アイデアは、ポールで中間部は、ジョンという分担を軸に2人で書き上げた曲というのが、実態に近いようです。曲の一部に、3拍子を取り入れたのは、ジョージのアイデアによるものです。またビデオクリップ撮影も初めてで、「MTVは自分達の発明だ」とジョージは後で述べているほどです。」サウンド面でもハーモニウムが登場するなど、しっかりした音作りにしてこの曲は作られたようです。これからもよろしく!
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YouTube: The Beatles - Norwegian Wood (very rare)
ビートルズの曲「ノルウェーの森」Norwegian
Wood:壺齋散人による歌詞の日本語訳
いつかぼくには ひとりの恋人がいた
彼女の部屋は ノルウェーの 森の中
彼女はぼくに 座るようにといったけれど
どこを探しても椅子は 見つからなかった
絨毯の上で ワインを飲みながら
話し続けていると 彼女は言った 寝ましょうと
彼女はぼくに ご苦労様といって笑った
ぼくはベッドを這い出して 風呂の中で寝込んだ
目覚めると 小鳥はいない 飛び去ったんだ
それでぼくは ノルウェーの森に 火をつけたんだ
1965年のアルバム「ラバーソウル」に収録。ジョン・レノンとポール・マッカートニの合作とされているが、レノンが主に作った。ジョージ・ハリソンがシタールを演奏して、幻想的な雰囲気を演出している。
この曲をめぐっては様々な臆説が立てられた。まず題名については、文字どおり「ノルウェーの森」とするものと、「ノルウェー製の松の木材」とするものとがある。また歌の内容は、ジョンの浮気を歌ったのだとする解釈が流布している。
An anecdote ~ こぼれ話
- この曲は、ジョンが当時の嫁さんのシンシアにバレないように「他の女との情事」を曲にしたものらしい。朝起きたら鳥(女の意味)はいなくなっていて、最後にそこに火を付ける、というオチの歌詞なんだけども、当時の邦訳には「暖炉に火をつける」という訳になってた覚えがある。
まあ、直訳すれば「ノルウェー木材」に近いそうだし、それぐらいの意味の取り違えもあるだろうけども。 - アンソロジーが出る前に日本では定番になってた映像作品「コンプリート・ザ・ビートルズ」での、この曲の使われ方はとても印象深かった。車に乗って立ち去るメンバーの映像にこのイントロが被さり、そして演奏がオールインした時にこのアルバムのジャケがデン!っと写る編集で、この映像のおかげでこの曲、そしてこのアルバムを買う原動力になったのでした。
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YouTube: John Lennon Tribute - "In My Life"
ジョン・レノン曰く「真面目に作った最初の曲」らしく、それまでの作品とは趣が異なる。人生を回想しながら様々な思い出が駆け巡るも、最後は恋人への思いで締めくくられる。
この曲の原型は、ジョンが少年期や十代の頃を回想しながら書いた長い詩である。リヴァプール時代に利用していたバスの路線から歌詞の着想を得たとされる。このバスは『ペニー・レイン』など、彼が子供時代に住んでいた地区を通っていた。
- ジョン曰く「生まれて初めて真面目に取り組んだ曲」らしく、彼の詩にしてはめずらしく昔を振り返り懐かしみ、そして今の恋人に向けられた歌詞である。ただしジョンは「ポールと共作した」と述べているのに対して、ポールは「作曲は自分が一人でやった」と発言しており、今では真相はわからないままである。
- ジョージは1974年のツアーの際に、なぜかこの曲をセットリストに入れて演奏している。
アレンジはホーンを取り入れたブラスロック風に変更されている。
しかし、「In my Life, I Love You More」の歌詞を「In my Life,I Love God more」と変えて歌った為に観客からブーイングを浴びたらしい。 - ローリング・ストーン詩の「最も偉大な曲500」では23位、CBCの「50Tracks」では2位に選ばれている。その為か非常にカバーバージョンが多い曲であり、ベッド・ミドラー主演の「フォー・ザ・ボーイズ」の中で、戦場の慰問の場において兵士の前で歌われるこの曲は、屈指の名場面である。これからも、よろしく!
YouTube: The Beatles - I Want You (She's So Heavy)
今日も朝から雪やまず、しっかり積もっているし、今年になって真冬日から、抜けだせないなんて、最近記憶にない。今夜はビートルズの中でも難しい楽曲アイ・ウォント・ユーを聴きながら探究してみよう。アイ・ウォント・ユー(I Want You (She's So Heavy))は、1969年に発表されたビートルズのアルバム『アビイ・ロード』に収録された曲。前半ではジョン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンによる「Heavy」の合唱合戦が聞かれ、ラストではジョンによるモーグ・シンセサイザーによる演奏(ホワイト・ノイズ)が延々と続く。この曲はアナログアルバムではA面最後の曲だが、いきなり止まって終わる。実際の演奏時間は8分4秒あったのだが、ミックスを聴いていたジョンが「そこでテープを切れ!」と叫んで、エンジニアのジェフ・エメリックが7分44秒の位置でテープを切ってしまったために今のような形になった。
- ミックスする際に延々と最後の繰り返しが続く中、ジョンは「そこだ!そこでテープを切れ!」と叫び、ジェフ・エメリックが慌ててテープを止めたために、この曲のエンディングはぷっつりと途切れている。
曲順を決める際にはA面とB面(アナログです)を逆にする案も出ており、もしこれが採用されたとなるとこの曲でアルバムが終わる事になり、いかにもジョンらしい。 - 「究極のラブソングを書いた」とジョンが発言している様に、歌詞は至極単純な言葉でできている。
マスコミには当時「作詞能力がすでにもうない」とか言われたが、現在では「逆に深い」と言われているのがおもしろい所である。これからも、よろしく!
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YouTube: The Beatles - Let It Be
"Let it be."-「それ(一般的状況)をそのままにしておく」-という言葉は,捕らえ方によってはきわめてあいまいな言葉と言わざるを得ない。「なるがままにせよ」「そのままでよい」と言われたとき,一般の日本人なら「人事を尽くして天命を待つ」という能動的・積極的な意味と,「神頼み」「後は野となれ山となれ」という責任放棄的消極論との両方のイメージを感じ取るに違いない。実際この曲に対する後者の歌詞理解をもってすれば,この曲は「どうせなるようにしかならないのだから,今さらじたばたしたってしょうがないじゃないか,いさぎよくあきらめよう,それが人生というものだ」という諦観的人生論を語ったものであると(皮肉交じりに)語る人がいるのも確かである。しかし,それは正しいのであろうか。
- ポールはビートルズの活動が悲観的な状況に陥りつつあるときに、母のメアリー・マッカートニーが夢に出てきて「あるがままに全てを受け入れなさい」とつぶやいた事からこの曲を書いたと発言している。
確かにビートルズのラストシングルとしては、絶妙な歌詞だとは思うが個人的には話が出来すぎてるとは思う。まあ、こういう神話的な部分もビッググループには不可欠なんだろうけど。「レット・イット・ビー...ネイキッド 」にはまったく未発表のテイクから組み合わせた物が収録されている。映画「レット・イット・ビー」と同じテイクと説明してあるのを見かけるがポールのピアノ、ジョンのベースの導入部分などが映画の物とは全く異なっている。ただしジョージのギターソロに関しては映画と全く同じテイクである。
まだまだ沢山のやりとりや、言動、録音チームワークなど、説明していない部分は、ありますが、後日ということで、これからも宜しくお願いします!
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YouTube: The Beatles - I Feel Fine (Live)
今日はきのうの、東京のような雪、こちらでは普通なのかもしれないけど、寒いものは、寒い!そんなわけでビートルズの熱いライブ「シェアースタジアムライブ」から<I Fell Fine>とてものりがよく好きな一曲。実質的にはジョン・レノンの作品である。リードボーカルはジョン。ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンがコーラスをつけている。
本作の演奏ではイントロで使われているフィードバック奏法が大変印象的である。これは、リハーサル時にアンプに立てかけてあったギブソン・J-160Eが偶然ハウリングを起こしたことから曲に採用され、第1テイクから入れられていた。録音に際し、ジョンのJ-160Eをアンプに繋いだ状態で5弦開放、ポールがヘフナー・500-1で3弦の開放でピッキングして、ジョンがそのままヴォックス・アンプに近づくという方法によりこの音を出している。ジョンはライヴでこの曲を演奏する際にも、時折フィードバックを披露していたことがある(1965年8月30日のハリウッド・ボウル公演や1966年7月1日の日本武道館公演において。日本武道館公演では映像でもその模様が確認できる)。
ジョンはPLAYBOY誌のインタヴューで「1920年代のオールド・ブルースは別にして、この曲より前にフィードバックを使ってい曲なんかありっこないと断言できる。/ライブでフィード・バックやすすんでいる奏法をみんなやっているけど、レコードにこの手法を使ったミュージシャンはいなかった。これが最初のフィード・バックさ。ビートルズのために声を大にして言いたいね。(ジミー)・ヘンドリックスよりもザ・フーよりも、誰より先だったとね。」と語っている。同じく印象的なギターフレーズは、ボビー・パーカーの「ウォッチ・ユア・ステップ」のギター・フレーズを弾いているうちに出来てきたものであることをジョンが後に語っている。これからも、よろしく!
YouTube: The Beatles - Yesterday (1966)_HQ 今日も夜中のブログ書き込み。3連休と云う事も、あって、時間がずれているかも。今日は、ブログでも初めて、ビートルズのYesterdayをとりあげてみようかな。この曲は、あまりにも有名でスタンダードに、なってしまった感がありますが、とてもビートルズを語るうえで重要な位置にある曲だと思います!
- この曲はアメリカと日本ではシングルカット(カップリングは「アクト・ナチュラリー」)されて、USチャート1位を4週間記録した。本国イギリスでシングルカットされたのは1976年で、解散6年後の事であった。
- 1966年のツアーではこの曲も取り上げられたが、その場合バンドアレンジで演奏されている。
キーも演奏上の都合で、録音されたものより1音高くなっている。
日本公演でもこの曲は演奏された。 - ポール曰く、「寝てるときに夢の中でこの曲ができて、起きてから慌ててコードを付けたんだ。あまりにも自然に浮かんできたから、誰かのパクリじゃないかと思って、みんなに聞いてもらったけど、誰もこのメロディを知らないと言うから僕の曲にすることにしたんだ」とか。
しかも仮タイトルは「Scrambled Egg」だったそうです。 - ポール自身、この曲はお気に入りの様で現在のライブではほぼ定番となっている。
ある日インタビューで「いつもイエスタデイばかりで飽きないのか?」と聞かれた際にポールは
「たとえばストーンズ見に行って『サティスファクション』やらなかったら、金返せ!って思うだろ?」と
サラリと答えたそうな。うーん、オトナだねえ。 - 当時、日本ではビートルズ=やかましい連中という認識があったみたいで、あるテレビで
「私はビートルズみたいなうるさいヤツラは大嫌い。あんなヤツラよりこういう『イエスタデイ』みたいな曲を歌うグループが好きなんです!」という、ウソみたいな発言があったとかw - この曲をレコーディングする際に、ストリングスを入れたらどうか?と提案したのはプロデューサーのジョージ・マーティン卿なのだが、ポールは「軟弱な感じになるのは困る」と渋ったらしい。
じゃあカルテット(弦楽四重奏)にしたら?との提案に、ポールは「それでいいけど、その代わりヴィブラートは一切なしだ!」と答えて、結局マーティン卿とガッツリと一緒にアレンジを考えたとか。 - 1984年の映画「ヤァ!ブロードストリート」でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この時はストリングスではなくホーンを取り入れています。これからも、よろしく!
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YouTube: The Beatles I Am The Walrus (2009 Stereo Remaster)
今日は夜中のブログ。今は実家にきているわけで、中々PCにむかえなかった。明日は家に戻る予定だけど、どうなるかな?今日はビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーの一曲でI Am The Walrus、とてもインパクトのある、好きなナンバーです。アメリカでは複数の曲をEP盤の片側に詰め込む事が一般的ではなかったために、アルバムに未収録だったこの時期のシングルを収録した編集アルバムとして、LP盤「マジカル・ミステリー・ツアー」が企画され、本国でのEP発売の10日前にキャピトルから先行発売された。1987年のCDリリースに際して、全世界で音源そしてカタログラインナップを統一する事になり、唯一アメリカ編集盤からこのLPが選ばれて統一カタログにラインナップ入りする事となった。 現行のCDでは「マジカル・ミステリー・ツアー」の6曲目に収録されている。
1967年9月5日にアビイ・ロード第2スタジオにて録音開始。
このレコーディングの数日前、1967年8月27日にデビュー以来のマネージャーであった、ブライアン・エプスタインが死亡している。ビートルズは「船頭」と呼べる唯一の人を失いながらも、まずこのテレビ映画のプロジェクトを完成させるべく動き始めたのである。ブライアンが死んでから初めてのレコーディングセッションがこの日だった。これからも、よろしく!
YouTube: The Beatles - Strawberry Fields Forever - HQ - Original Video
やっと金曜って感じ。それだけ休み呆けが続いたということかな?今日は久し振りにビートルズを、ブログで取り上げてみたいです。昨年も一度書いたので、重複していましたら、勘弁です。
- この曲は、ジョンの故郷リヴァプールにある戦争孤児院「Strawberry Field」をモチーフに書かれた。
本人は実在したという覚えがないと発言しており、架空の場所の事だ、と言っている。
この孤児院は、ビートルズファンの訪問が絶えない場所であったのだが、孤児が減少した事、そして孤児のためには孤児院よりも里親制度のほうが好ましいとの運営側の判断から2005年に閉鎖されてしまう。建物も取り壊されるかも知れないという風評も広まったが、その後2006年10月、祈祷や瞑想のための部屋を備えた修道施設として再オープンした。 - 俗に言う「ポール死亡説」もこの曲のある部分から出ている。
フェイドアウト直前にジョンが「Cranberry Sauce」とつぶやいているのだが、これが「I Buried Paul(オレはポールを埋めた)」と聞こえる!という空耳的な言いがかり風評であった。
ちなみにアンソロジー収録の第7テイクではこのつぶやきがはっきりと聞こえるが、明らかに「クランベリーソース」である。 - この曲もビデオクリップ(カラー制作)が存在するが演奏シーンが全くないもので、こういった試みは世界では初めてである。
- アンソロジーの映像で、ポールがメロトロンを使ってこの曲のイントロを説明する部分があるが、えらくキーが違っており、そのまま強引に原曲につなげてしまう編集の無茶さに苦笑したものであるw
メロトロンは2009年現在でも新機種が発売されており、最近ではiPhoneのアプリとしても配信されている。もちろんこの曲の音色「フルート」はプリセットで入っている。
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YouTube: rod stewart the faces - maggie may 1971
今日は朝から寝坊、会社は遅刻さんざんな、一日だった。今年にはいって、10日間連続真冬日、なんか天候に変化あるのでは?今日はロッドの誕生日、久し振りに聴いてみよう!
ロデリック・デイヴィッド・スチュワート,CBE(Roderick David Stewart,CBE, 1945年1月10日 - )は、スコットランド家系のイギリスのミュージシャン。 60年代後半からジェフ・ベック・グループ、フェイセズでの在籍を経てソロで活躍。 近年は、『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』の世界的ヒットもあり、カヴァー・シンガーとしての側面も注目されている。
独特のしゃがれたハスキーボイスの持ち主で、そのヴォーカルスタイルは同時代のロックミュージシャンに多くの影響を与えた。 元サッカー選手でもあり、ライブでは客席にサッカーボールを蹴り込むパフォーマンスが定番となっている。
ハードロック、ブルースロックの路線から70年代後半以降は多分に作品がポップになり過ぎたとロックファンから批判を受けることも多く、「「アイム・セクシー」での盗作疑惑や、数多くの女性スキャンダルや派手な生活も相まって、軽薄なイメージが浸透してしまった感もあるが、今なお現役であり続けるロック史上に残る偉大なボーカリストであることには疑う余地はない。
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YouTube: Jimmy Page,Jack White and The Edge playing ,,In my time of dying"
ロック界を代表する3人のスーパー・ギタリストたちが、各自の人生や音楽について熱く語り合い、奇跡のギター・セッションを繰り広げる、魅惑の音楽ドキュメンタリー。
レッド・ツェッペリンのJ・ペイジ、U2のジ・エッジ、そしてザ・ホワイト・ストライプスのJ・ホワイト。各世代を代表する3人の大物ロック・ギタリストたちが一堂に顔をそろえ、ギターについて熱く語り合い、奇跡のジャム・セッションを繰り広げるほか、各自が自らのルーツとなる思い出の地を再訪して、音楽やギターとの出会いや、成功をつかんだきっかけについて振り返る様子も、貴重な映像とともに紹介していく。
この映画は、保存して、何回も繰り返しみても飽きない私には貴重なデーターです。見返すたびに、新しい発見があります!これからも、よろしく!
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YouTube: A Change Is Gonna Come -- Sam Cooke (Original Version in HD)
今年始めてのブログ。今年はビートルズ以外にも、気になったアーティストを、とりあげて新たな発見を探したいものです!今日は大好きなR&Bシンガー・ソング・ライターでもある、Sam Cookeの「A Change Is Gonna Come」をじっくり聴いてみようと思います。1931年1月22日クラークスデイル生まれ。後に家族とともにシカゴに移住。父親は牧師であり、幼い頃から聖歌隊で歌う。19歳のときにゴスペル・グループのソウル・スターラーズのリードボーカルとなり、端正なルックスでゴスペル界ではアイドル的人気を博した。1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し、「ユー・センド・ミー」がヒット。これをきっかけにR&B界で数々のヒットを飛ばし、発展目覚ましかったソウル/R&B界のスターとなる。それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された音楽性が持ち味で、白人層からの人気も高かった。1958年には、マネージャーのJ.W.アレクサンダーと共に音楽出版社を設立。後にはSARレコードを設立する。R&Bが流行した当時、黒人のアーティストは曲を作っても満足な対価を得られず、白人の会社に「搾取」されるのが通例だった中にあって、自らの著作権を管理するのは画期的なことであった。かようにクックは黒人の権利に対する意識が高く、公民権運動にも積極的な関わりを持ち、マルコムXやモハメド・アリとも親交を深める。1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は、人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。続きは、後日あらためて紹介しますので、これからもよろしくお願いします!
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YouTube: The Beatles - Paperback Writer
ペイパーバックライター
紳士淑女のミナミナさま
わたくしの書いた本を読んでいただけますか
書き上げるのに何年もかかりました
是非ご一瞥を
リアという男の小説をもとに書きました
ペイパバックライターになりたいのです
悪い男による悪い小説でね
男に釘付けの妻は悪事に気づきもしない
息子はデイリーメールに勤めている
堅実な仕事なんだが
彼はペイパバックライターになりたいのです
1000ページかそこいらの超大作!
あと1-2週間あればもっと書けますよ
お望みであればもっと続けてもいい
大幅に書き換えることも可能です
ペイパーバックライターになりたいのです
お気に召したのであれば
版権をさし上げてもいい
一晩で大金持ちになれましょうぞ
お気に召さななければ こちらの住所まで
送り返して頂いてかまわない
ただチャンスを下さい
わたくしはペイパーバックライターになりたいのです