Rockzy 倶楽部 Ⅱ

♬~私の喜怒哀楽の想い出は音楽と共に~♬

☆The BeatlesでA Day In The Lifeこの曲は、フィルインの多いドラム、壮大な

2012-12-19 17:23:22 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles A Day In The Life (2009 Stereo Remaster)
今日も雪が降り続き、車での移動は時間の約束がない限り無理!今年も、もう終わるというのに、心配に、なってきた!今日は久し振りにThe BeatlesのA Day In The Life」。

ジョンが新聞を読んでいるときにできた曲だと言われており、美しい弾き語りから始まるも、間奏において凄まじい展開を見せ、最もサイケデリックな曲の一つである。歌詞の中に麻薬を連想させる部分(”i'd love to turn you on""4,000holes")があるため、BBCでは放送禁止となった。サウンド面では、ジョン作曲の部分とポール作曲の部分をつなぐ、オーケストレーションが印象的である。これはジョンの「ゼロから始めて、世界の終わりのような音を出したい」という希望を、ジョージ・マーティンが41名のオーケストラを使い、それぞれの楽器の出せるいちばん低い音からいちばん高い音までを段階的に鳴らすということで実現をさせたようだ。ポールのボーカルパートの直前に目覚まし時計の音が入っているが、これは元々クレッシェンド部分の終わりを示すための目印として入れたものである。また、エンディングの1拍(Eメジャー・コード)は、オーケストラとメンバー全員によるピアノオーバーダビングしたものに、エコーなどによる残響音を加えたものだが、とても効果的な、余韻を残すものになっている。その間、余韻を可能な限り引き伸ばす為に音量を上げ切った為に、椅子などがきしむような音や譜面と思われる紙をめくるような音なども、わずかに聞こえる。
  1. ジョンはこの曲を新聞記事(デイリーメール紙)からインスピレーションを受けて書いた。タラ・ブラウン(彼はビートルズと友人関係)の死亡記事と、ランカシャー州ブラックバーンの通りに空いた4,000の穴を舗装し直すという記事である。
    「イギリス軍がどうやって戦争に勝ったか?」という部分はジョンが出演した映画、「僕の戦争 How I Won the War」の事だと言われている。
  2. ポールは中間部分を書いたが、学生時代の情景をそのまま歌ったものらしい。あと、サビの「I'd love to turn you on,」もポールによって考え出された。ドラッグ文化の象徴であるこの「Turn you on」という言葉を歌詞で使う事にジョンとポールは顔を見合わせて、無言でうなずいたそうだ。
    しかしこの歌詞のために「ドラッグソング」と疑われてBBCでは放送禁止になってしまった。
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☆今日はThe Quarrymen(the beatles)That'll Be The Dayクォ

2012-12-16 18:27:17 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles (The Quarrymen) -1958
休みも、終わろうとしている。明日から一週間で、実質仕事も終わり、あとX’msを待つだけ、あっというまに今年も過ぎていくのか~!今日はビートルズの原点といえる、バンド「クォーリメン」を聴いてみようかな。

1957年3月、イギリス・リヴァプールのグラマースクールのクオリー・バンク(Quarry Bank)でジョン・レノンを中心に結成された。

ジョンはまず6歳の頃からの一番の親友ピート・ショットンを誘い「ザ・ブラック・ジャックス」を結成。1週間後、同級生のロッド・デイビス、ビル・スミス、エリック・グリフィスが加入し、バンド名を学校の名前からとって(クオリーは採石場の意味があり、石=ロックということから)「ザ・クオリーメン」に改名した。8月にコリン・ハントン、レン・ギャリーが加入し、ビル・スミスが抜ける。その後、ピート・ショットンが抜ける。1957年7月6日、ウールトンのセントピーターズ教会の野外バザー会場で行ったコンサートで、共通の友人アイバン・ボーンの紹介によりポール・マッカートニーと出会う。数日後ポールはクオリーメンのメンバーになることを決め、10月にクオリーメンとしての初のステージを踏む。 ジョンはリバプール・カレッジ・オブ・アートに入学。1958年2月、ポールの紹介でジョージ・ハリスンがクオリーメンに加入。前後してエリック、レン、ロッドが脱退。3月にポールの友人だったジョン・“ダフ”・ロウが、ジェリー・リー・ルイスの「Mean Woman Blues」の出だしの難しいアルペジオ部分が弾けるということで加入。1958年7月12日、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、コリン・ハントン、ジョン・“ダフ”・ロウの5人のメンバーで17シリング6ペンスのお金をかき集め、リバプールの貸しスタジオ「フィリップス・サウンド・レコーディング・サービス」で記念すべき初レコーディングを行い、1枚の78回転レコードを自主制作した。A面に「That'll Be The Day」(オリジナルは1957年のバディ・ホリーの曲)、B面に「In Spite Of All The Danger」(ポールが書いた曲)が収録された(ラベルの写真)。このレコードは長年に渡ってジョン・“ダフ”・ロウが所持していたが、1981年になってポールが買い取り、現在所持している。この音源は1995年にアルバム「ザ・ビートルズ・アンソロジー1」の収録曲としてリリースされ、その際「In Spite Of All The Danger」はジョージがギターソロを弾いたことから唯一の「マッカートニー=ハリスン」作品としてオリジナルの表記通りクレジットされた。レコーディング後すぐにジョン・“ダフ”・ロウが抜け、ジョン、ポール、ジョージ、コリン・ハントンの4人で活動し、1959年1月にコリン・ハントンが脱退。バンド名も「クオリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」と名乗るようになる。その後ジョンのアートカレッジの友人スチュアート・サトクリフが参加、バンド名が「シルバー・ビートルズ」になる。しかし、ドラマーがなかなか決まらず、ケン・ブラウン、トミー・ムーア、ノーマン・チャップマンなどメンバーが頻繁に入れ替わった。1960年8月、カスバ・コーヒー・クラブの経営者の息子ピート・ベストをドラマーに迎え、ジョン、ポール、ジョージ、スチュアート・サトクリフ、ピート・ベストの5人となり、バンド名も「ザ・ビートルズ」となった。(*Wikipedia~より~)これからも、よろしく

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☆今日はレコードデビュー’62年の8月キャバン・クラブでのホール演奏、皮ジャンではないけれど、演奏は

2012-12-15 17:58:44 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The beatles (The cavern club, 22nd august 1962)
今日で、今年もあと半分に、なってしまった、色々とせわしないけど、時間はあっというまに、すぎていく感じです。天気もいまいちだし、気分だけは、はれていたいものです。1962年8月22日に、50年前今日、「若干のOther Guy」(彼らの生のショーの普通の一部で、BBCの上で実行した歌)を歌っているグラナダ・テレビで、ビートルズCavernクラブで舞台上で薄皮でおおわれました。ジャクソン・リバプール・ビートルズ・ファン夫人(その人は今日ショーに出席しました)は我々に話しました。「Cavernクラブ・ビートルズが『若干のOther Guy』のパフォーマンスを再現するためにステージに向かったとき、Cavernは詰められました『。』彼らがし始めたAs、あなたはそのような強い行動感覚と歴史を感じることができました。私がCavernの誰でも50年前その歴史的な出来事にしたにちがいないと確信するちょうどその時、そこにいた誰でも我々が今日本当に特別な何かを目撃したことに同意しました。」と云っているように、今のよううなビートルズ神話まで、のぼりつめるとは、だれもが、想像しただろうか!?これからも、よろしく

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☆今日は「The Beatles---She Loves You」ビートルズ初期のナンバーとしては、

2012-12-14 17:37:44 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles - She Loves You (1965)_HQ
待ちに待った金曜だけど、寒いし雪は降り続くし、道路は車幅が狭く、滑るのでトロトロ渋滞とあまりいい事がない今週になりそう。こいう時はビートルズ「She Loves You」でも聴いて、部屋で大人しく、しているのが、いいかも。

レノン=マッカートニーの作品。ボーカルはジョン・レノンポール・マッカートニー。二部コーラスになる部分では、ジョンが下のパートを、ポールが上のパートを担当している。フレーズの繰り返し部分と "She loves you Yeah! Yeah! Yeah!" の部分のみジョージが加わる(ライブでは、この部分でポールの左利きベースとジョージのギターが対に向き合い、"Woo!" で首を振り長髪を振り乱す。これは「ツイスト・アンド・シャウト」と同じ演出である)。エンディングの "Yeah!" のバックではG6コードが使われている。プロデューサーであるジョージ・マーティンのアイデアで、リンゴのドラムロールのみによるイントロに続いてすぐにサビの部分から曲が始まる、当時としては斬新なアレンジの曲である。またハイハットの代わりにバスタムを使用して迫力を出す、エンディングに6thコードを使い、当時イギリスでは下品とされた "yeah" を連呼する歌詞等、いろいろな工夫の跡が見られる。「プリーズ・プリーズ・ミー」や「抱きしめたい」などと共に、世界的に彼らの人気を不動のものにしたヒット曲であり、一般的な「初期のビートルズの音楽的イメージは、この曲にある」と断言してもいいほどの作との記載がある。映画ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!の劇中コンサートのラストソングだったことも大きな印象を与えた。これからも、よろしく

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☆寒いけど「The Beatles--You Can't Do That」ビートルズ独自のロックの出

2012-12-13 17:56:14 | The Beatles (Ⅴ)
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    YouTube: The Beatles / Live!! You Can't Do That
    今朝は今シーズン一番の冷え込みとなり、車での通勤あきらめ、久し振りに電車を利用したけど、大変だということを、実感!今日はThe Beatlesの「You Can't Do That」ライブとシングル盤ちょっと違うけど、レコード録音は、ジョージの12弦ギターのリフで組み立てられた。この頃は、まだスリーコードが多かったけれど、メロディーラインが意気で、コード感覚も独自、そしてハーモニーも無理なく実にまとまっている、アルバム。この後の究極のアルバム「アビー・ロード」でロックを極めますが、「ハード・デイズ・ナイト」はロックそのものの、出発点といっても、いいと思います。あらためて、感慨深く聴いてみたいです。家に帰れば」と同じく、ジョン曰く「ウィルソン・ピケットを狙ってみたんだ」との事。
    R&B好きはこの時期まだ健在なようです。この曲のギターソロはこれまでの録音にはあまりなかった事だが、ジョンが弾いている。和音を使った荒々しいソロがいかにもジョンらしい。余談ではあるが、演奏する際にはイントロの7thコードのスライドも外せないポイントである。これからも、よろしく

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☆今日は「The beatles--Happines is A Gun」この曲は、アメリカの銃器専門

2012-12-11 17:42:18 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles - Happiness Is a Warm Gun
今日はきのうの、夜から雪が断続的にふっている、いい加減おさまらないかな。今日は「The Beatles--Happines Is A Gunジョン独特の持ち味を発揮している。

本作は1968年に発表されたビートルズイギリス盤公式オリジナル・アルバムザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)に収録された曲のひとつ。LPレコードでは、A面最後に配置されていた。レノン=マッカートニー名義だが、実際の作者はジョン・レノン。製作中の仮題は"Happiness is a Warm Gun in Your Hand"。ビートルズのプレス・オフィサーであるデレク・テイラーが作詞に一部協力している。この曲は「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」と「マザー・スーペリア・ジャンプト・ザ・ガン」と「アイ・ニード・ア・フィックス」という3つの曲をつなげたとジョンが語っている。この曲は、70のテイクを重ねた上、うまく演奏できた部分を切り張りして完成された。それは、ギターが4分の3拍子、ドラムが4分の4拍子となるポリリズムが取り入れている部分があり、一度に通して演奏するには複雑なためである。結局、詞も曲調も異なった3つの部分からなる作品に仕上がった。レノンはこの曲について、「ロックンロールの歴史みたいなもの」と述べている。曲はそれぞれ三分以下の五つの部分から成り、軽快な短い部分から始まる。次に、ドラムベース、そしてディストーションのかかったギターが入る。この部分のシュールな曲想は、LSDでのトリップ体験からとられたと言われている。曲は不吉な印象を強めていき、同じ詩節が繰り返される。最後の部分はドゥーワップパロディーで、「バン・バン、シュート(撃て)」というバックコーラスが入る。これからも、よろしく

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☆今日は「The Beatles--Old Brown Shoe」演奏の難易度は、ビートルズの曲の中

2012-12-07 17:34:09 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: THE BEATLES-OLD BROWN SHOE (Stereo Remaster)
今日は、爆弾低気圧の次は、地震、一体どうなっているのか、怖くなってくる。明日はジョンの命日だというのに。今回は、ジョージの作品で、とても評価の高い一曲です。

ビートルズの英国での20枚目のオリジナルシングルである「ジョンとヨーコのバラード」のカップリング曲である。
この曲はイギリスでは1969年5月30日に発売された。
まだ前シングル曲「ゲット・バック」のリリースから一ヶ月半しか経っておらず、
しかも「ゲット・バック」はいまだにチャート1位だった時期である。
  作者のジョージがリード・ヴォーカルを取り、ジョンとポールがコーラスを付けている。

各オリジナルアルバムには未収録のために、編集盤「パスト・マスターズ vol.1&2」に収録されている。

この曲が取り上げられたのは、正式なアルバムセッション開始より前の1969年2月25日。
この日、ジョージはアビイ・ロードスタジオに一人で出向き、
この曲と「サムシング」「オール・シングス・マスト・パス」のデモテープを一人で録音している。
ちなみにこの日はジョージの26歳の誕生日であった。

1969年4月16日。アビイ・ロード第3スタジオ。
ジョン(ギター)、ポール(ピアノ)、ジョージ(ギター)、リンゴ(ドラム)のラインナップで
4テイクのリズムトラックを録音。
  第4テイクをベストとして、ポールのベース、そしてジョージのリードギター、ジョンとポールのコーラス、ジョージのリード・ヴォーカルをオーバーダブ。
ジョージは自然な残響音を得る目的で、マイクから離れてスタジオの隅で歌ったそうである。この曲で思い出されるのはやはり1991年のジョージの来日公演ではないだろうか。
1曲目の「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」でも度肝を抜かれたが、続いてこの曲が演奏された時には
思わず脱糞しそうになってしまいました。いや、だってまさかこの2曲がオープニングに来るなんて思わないじゃないですか。これからも、よろしく

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☆本当の自分を歌った「The Beatles---Yer Blues」英国の音楽シーンを茶化し、ジョ

2012-12-06 17:47:21 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: Yer Blues - The Beatles
今日は、爆弾低気圧なるものが、来る模様で、先週に続いて、2回目。この間は、停電など、大変だったけど、今回は、一体どうなるやら、もう吹雪に近い状況。今日は最近ブルースをよく聴くんだけど、ジョンの「Yer Blues」を聴いてみよう。

本作は1968年に発表されたイギリス盤公式オリジナル・アルバムホワイト・アルバム』に収録された曲のひとつでジョン・レノン作のブルースロック

1968年頃、イギリスのポップス界ではブルースが流行し、デビュー以来ロック一辺倒だったバンドまでもがブルースを発表してひと稼ぎするなどというケースが出た。レノンはこの状況を嫌い、皮肉の意味を込めて作ったという(『ホワイト・アルバム』の制作前後に行われたインド旅行で何も得られなかった失望から生まれたとも言われる)。また、この曲のくだりには「ミスター・ジョーンズ」という人名が出るが、これはボブ・ディランの曲「やせっぽちのバラッド」に登場する、自分に起こる出来事が理解できない人物であるが、ディランの曲に出てくる人名を拝借することによってディランを皮肉っているのだとされる。後にレノン自身がソロでカバーした。

ローリング・ストーンズが1968年に収録したTVショー「ロックンロール・サーカス」ではザ・ダーティー・マックのグループ名でジョン、エリック・クラプトン(ギター)、キース・リチャーズ(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)がこの曲を演奏している。この曲はジョンにとっても、ひとつの分岐点として、聴いてみるのも、面白いかも。これからも、よろしく

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☆今日は「The beatles---Helter Skelter」最高にラウドでダーティな曲で、ポ

2012-12-05 18:05:02 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles - Helter Skelter #TheBeatles
12月もスタートして、もう5日、寒さも中途半端、仕事もX’msまで、忙しそう。こんな時は、もやもや考えていないで、頭すっきりに、なるよう「The Beatles---Helter Skelter」でも聴いて、もやもやを、吹っ飛ばそう!

本作は1968年に発表された2枚組アルバム『ザ・ビートルズ』に収録された。ポール・マッカートニーが騒がしい作品を意図して作った、ビートルズの楽曲の中でも極めて激しい楽曲である。"Helter Skelter"の意味は、イギリスだと遊具すべり台のことだが、語句自体は「狼狽(する)」、「混乱(した)」といった意味も持つ(日本盤の対訳には、「しっちゃかめっちゃかだ」と書かれている)。ポールがこの曲を作るきっかけとなったのは、ザ・フーピート・タウンゼンドが「ザ・フーの新曲『恋のマジック・アイ』は、これまでのどの楽曲よりも激しく妥協のない曲だ」と発言したインタビュー記事に触発されたため。

担当楽器は、ポールがギター(フェンダー・エスクワイヤー)、ジョンがベース(フェンダー・ベースVI)。ジョージギブソン・レスポールで参加している模様。ドラムスはリンゴジョンがサックス、ロード・マネージャーのマル・エヴァンズトランペットを吹いているが、ほとんど聴こえない

この曲のラストに発せられる絶叫はリンゴによるもので、"I've got blisters on my fingers."(指にまめができちゃった)と叫んでいる。実際、レコーディングに際して非常に激しくドラムスを叩いたため、リンゴの指にはまめができてしまったとされる。[3]

1969年シャロン・テートらを信者に惨殺させたチャールズ・マンソンに多大な影響を与えた曲としても知られる。マンソンは白人と黒人の最終戦争を「ヘルター・スケルター」と呼び、砂漠に疑似生活共同体「ファミリー」のみで隠れ住むよう信者に説いていた。また、この事件をきっかけに公の場で演奏することを封印していたが、2005年に発売されたポールのDVD『In Red Square』には、ビートルズ時代を含め史上初のライブ演奏の模様が収められている。

最初期のヘヴィメタルとも言えることからHR/HM系グループの多くからカヴァーされており、特にモトリー・クルーはこの曲を多くのライブでカヴァーしており、エアロスミスボン・ジョヴィMötley CrüeMONORALVOW WOW浜田麻里もこの曲をカヴァーした。それ以外にもオアシスU2スージー&ザ・バンシーズステレオフォニックスなどもカヴァーしている。

An anecdote ~ こぼれ話

  1. 元々この曲はザ・フーのギタリスト、ピート・タウンシェンドが「今度のオレ達の新曲『I Can see for Miles(恋のマジック・アイ)』は今までより最もハードで、汚くて、妥協のないサウンドだ」と発言している記事を、ポールが読んだ事がきっかけとなって作られた。
        「それならオレもそんな汚くてハードな曲を書いてみよう」とこの曲を書いたのである。
    しかし、ポールはそのザ・フーの曲を聴いたことがなく、未だに知らないそうである。これからも、よろしく
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☆今日は「The Beatles--Norwegian Wood(This Bird Has Flo

2012-12-04 17:54:30 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: Norwegian Wood (This Bird Has Flown)- The Beatles (Rubber Soul)
今日は朝から雨、今は雪と雨の繰り返し、ただ風がないのが、一番です。今回はThe Beatlesの「ノルウェーの森・・・Norwegian Wood」サブタイトル<This Bird Has Flown>この邦題については、当時東芝EMIの高嶋氏が勘違いしてつけたと言っているが、ロマンチックなのが一番なんだけど、実際は、中々・・・・?この曲は、ジョンが当時の嫁さんのシンシアにバレないように「他の女との情事」を曲にしたものらしい。朝起きたら鳥(女の意味)はいなくなっていて、最後にそこに火を付ける、というオチの歌詞なんだけども、当時の邦訳には「暖炉に火をつける」という訳になってた覚えがある。
まあ、直訳すれば「ノルウェー木材」に近いそうだし、それぐらいの意味の取り違えもあるだろうけども。歌詞内容についてレノン自身は、ローリング・ストーン誌やプレイボーイ誌のインタビューで「当時の妻シンシアに気付かれないように、他の女性との浮気を書いたもの」と説明している。一見ふられたような歌詞にも受け取れるが、「it's time for bed(もう寝るね)」は「ベッドへ行きましょう」という意味にも取れ、後の間奏の間に情事があり、その後の歌詞は情事の後の会話として受け取ることもできる。最後の火をつけるラインはポールによるもので、ポールの解説によれば風呂で寝ることになってしまった復讐をするために、その場所を燃やしてしまうことにしたというもの。・・・・・ちよっと、訳詞も覗いてみましょう!

ノルウェーの森 Norwegian Wood:ビートルズ

ビートルズの曲「ノルウェーの森」Norwegian Wood:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  いつかぼくには ひとりの恋人がいた
  彼女の部屋は ノルウェーの 森の中

  彼女はぼくに 座るようにといったけれど
  どこを探しても椅子は 見つからなかった

  絨毯の上で ワインを飲みながら
  話し続けていると 彼女は言った 寝ましょうと

  彼女はぼくに ご苦労様といって笑った
  ぼくはベッドを這い出して 風呂の中で寝込んだ

  目覚めると 小鳥はいない 飛び去ったんだ
  それでぼくは ノルウェーの森に 火をつけたんだ

1965年のアルバム「ラバーソウル」に収録。ジョン・レノンとポール・マッカートニの合作とされているが、レノンが主に作った。ジョージ・ハリソンがシタールを演奏して、幻想的な雰囲気を演出している。この曲をめぐっては様々な臆説が立てられた。まず題名については、文字どおり「ノルウェーの森」とするものと、「ノルウェー製の松の木材」とするものとがある。また歌の内容は、ジョンの浮気を歌ったのだとする解釈が流布している。なにが本当なのか、やっぱり謎のまま、ジョンだけが真実とは・・・・?これからも、よろしく

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☆12月始めは「The Beatles---And I Love Here」実質ポールで、サビをジョ

2012-12-03 17:41:47 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles - And I Love Her [HQ Original Audio]
いよいよ12月に突入!カレンダーも残り一枚となり、年末、Xmas、ジョンの命日と、あわただしく時間が過ぎていきそう?流れにのまれないように、しっかりと毎日を過ごしていきたいものです。今日は「The Beatles---And I love Here」。

「アンド・アイ・ラヴ・ハー」はレノン=マッカートニーの作品である。実質的にはポール・マッカートニーが作ったとされ、サビの部分はジョン・レノンが手伝ったといわれている。楽曲は途中で半音上げて転調し、曲調に変化を付けている。

ジョンはギブソン・J-160Eをアンプを通さずに、ジョージはホセ・ラミレスのガット・ギターを使用しているので、ポールのベース以外はアンプを通していない。リンゴボンゴクラベスを担当している。

1964年リリースのアルバム『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』に収録された。アメリカではシングルカットされビルボード誌最高12位となったが、同誌の1964年年間トップ100にはランクインしなかった。また、キャッシュボックス誌では、最高14位を記録している。アメリカでは50万枚以上のセールスを記録している。尚、翌年の1965年、R&Bシンガーのエスター・フィリップスが、「アンド・アイ・ラヴ・ヒム」とタイトルを変え、シングル・リリースしているが、ビルボード誌最高位46位を記録している。この曲は、色々なジャンル、ミュージシャンが多くカバーしている、いわばスタンダードの一曲かも。これからも、よろしく

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☆12/02今日は、ブログお休みします。明日から、宜しくお願いします!映像「The Beatles-

2012-12-02 17:07:35 | The Beatles (Ⅴ)

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YouTube: The Beatles - Dont Let Me Down
これからも、よろしく!

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☆12月始めは「The Beatles---Revolution」この曲はシングル、スロー、アバンギ

2012-12-01 17:30:05 | The Beatles (Ⅴ)
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YouTube: The Beatles - Revolution (1968)
いよいよ12月に突入!今日は天気予報と違い吹雪でなく、陽が差して気持ちの良いスタートとなりました。一日がとても早く感じる日が続きますが、見落としのないよう、意識していなくては?今日はビートルズの中でも難しい一曲「Revolution」です。この曲が録音開始されたのは1968年7月9日。アビイ・ロード第3スタジオ。
1968年6月21日に完成していた「レボリューション1」をアップルからの第1弾シングルにしようと考えていたジョンだったが、  当初10分以上あった「レボリューション1」をシングルレコードに収録するのは不可能だった。
よって、この曲は4分18秒にまで縮められたのだが、テンポももっさりしていたためポールとジョージに
シングル向きではない」と言われてしまう。
そこでテンポをアップしたバージョンにリメイクする事にしたのである。
  1. 3つのバージョンがあるこの曲だが、「レボリューション9」はともかくとして
    レボリューション1」とは同じメロディーの曲である。
    しかし、歌詞が違う部分がある。
    「But when you talk about destruction. Don't you know that you can count me out....in
    (もしお前が破壊について語ってんなら、オレを仲間から外してくれ・・・いや入れてくれ)
    の部分はこの「レボリューション」では
    「But when you talk about destruction. Don't you know that you can count me out」
    と「仲間から外してくれ!」とはっきりと歌っているのである。
    社会的影響力もこの時期はすごいものだっただろうし、ジョンは例の「ビートルズはキリストよりも有名」発言騒動で懲りていたのか、ここの部分でも非常に気を遣ったようだ。
  2. この曲にはプロモフィルムが存在する。
    これは「ヘイ・ジュード」と同じく、ヴォーカルだけはライブの物で演奏はオケである。
    しかし、「レボリューション1」でやってた「シュビドゥワ」のコーラスが入っており、
    ジョンも「count me out....in」と歌っている。
    ・・・・・自分たちでもどっちがどっちかゴッチャになってたんじゃないのか?ww
    このプロモビデオが撮影されたのは1968年9月4日。
    後にあの「ゲット・バック・セッション」が開始されるトゥイッケナム・フィルム・スタジオである。
    しかも、この撮影日までリンゴはグループを一時脱退していたのだった。これからも、よろしく
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