
「故郷・気仙沼の義理、人情、友情を奪った、3・11東日本大震災から間もなく4年の月日が経過」
宮城県・気仙沼出身の「ちばき屋」店主、千葉憲二氏。
2011年2月下旬、いつものように日本全国に散らばった中学時代の同窓生が250人、故郷気仙沼に集結。
還暦のお祝いを、気仙沼で開きました。
普段は午後11時には真っ暗になる気仙沼の繁華街も、この日だけはお店が翌朝まで開いていて、5次会まで、40年ぶりに会った同級生とベロンベロンになるまで酔って語り合い、そして朝方、じゃあ次は70歳のお祝いをここでまた開こうな!そう誓い別れた2週間後、3・11東日本大震災が発生。
大地震が、火事が、津波が、故郷・気仙沼の義理、人情、そして友情まで奪ってしまいました。
震災後、千葉さんは何もかも津波で無くなってしまった故郷・気仙沼に立ち、途方に暮れてしまったそうです。
被災した故郷に炊き出しに行ったり、ボランティアで尽力する中で、自分はラーメンで故郷復興のお手伝いをしたいと思うようになり、ご自分が小さい頃から通っていた地元の「かもめ食堂」の復活を通して、気仙沼の街の復興を手助けしたいと思うようになり、新横浜ラーメン博物館の岩岡館長の手助けもあり、まず館内で3年間「かもめ食堂」を営業、その後、気仙沼の街に復興のシンボルとしてのお店を復活させる道を選びました。
仮設の「かもめ食堂」はお陰様で、累計杯数38万杯を間もなく記録、3月6日(金)から卒業イベント「気仙沼の笑顔ウイーク」を開催、皆さんに惜しまれながら、4月5日(日)には新横浜ラーメン博物館を卒業します。
今年の夏頃、気仙沼の地に復興のシンボルとして、新生「かもめ食堂」がオープンします。63歳の千葉憲二さんが全身全霊をかけて挑んだチャレンジは間もなく、ファイナルステージへ。
気仙沼に、義理、人情、友情、そして被災された地元の皆さんの心からの笑顔が戻る日が来ることを私も心の底から願っております。
皆さんもぜひ、新横浜ラーメン博物館の「気仙沼の笑顔ウイーク」に足をお運びください。