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山と自然を楽しみ、より良き社会を望む自由人。
飛騨 鈴鹿 大峰など日本百名山から里山まで山の魅力と美しさを記録する。

晩秋の鈴鹿・日本コバに登る

2018-11-20 10:51:42 | 鈴鹿の山々
 鈴鹿中央部の愛知川の支流、御池川の流域は「小椋谷」と呼ばれ、この谷の最奥の集落である君ヶ畑や蛭谷集落は「木地師発祥の地」とされている。
 近年は奥永源寺地域とも呼ばれている。859年(平安時代)ごろ、惟喬親王が隠れ住み轆轤(ろくろ)の技術を伝えたという伝承がある。惟喬親王は文徳天皇の第1皇子だが、母親の違う弟(藤原良房の孫)との皇位継承争いに遭い弟の惟仁親王が皇太子となり後に即位するが惟喬親王の即位は叶わなずこの地に追われたとされている。この小椋谷の木地師達が磨いた轆轤技術が日本中に広がったことから「木地師発祥の地」と言われるようになった。
 今回の登山は、愛知川が御池川と神崎川に分流する御池川の入口にあたる箕川や政所の西に聳える「日本コバ」を目指すことにした。
 僅か934.1mの山でありながら、たいそうにも「日本コバ」と、日本を冠する山名を持っている。しかも、鈴鹿に多いカタカナ表示で「コバ」と表されている。
「コバ」は、「木場(きば)」が転じたとも言われているが諸説あるようである。

登山は、「道の駅・奥永源寺渓流の里」からスタートし、愛知川沿いの「如来堂」の春日神社の参道が登山口となっている。


藤川谷を登り、日本コバの頂から尾根筋を周回して、政所に下る。



登山道は、この藤川谷を登り、数度の渡渉を繰り返し頂上に至るルートである。






途中、豹の穴や「岩や」(奇人の屈)と言われる洞窟がある。

内部は意外と広い





このあたりは、岩場もありこの岩場が「屈」となっている。




「奇人の屈」の入口。内部は意外と広い





奇人の屈の前からの展望は、一本松の向正面に竜ヶ岳が聳える。


この標識が政所からの登山ルートとの合流点。ここを過ぎれば渓流が流れる窪地・湿地が現れる。







この湿地から尾根へ抜ければ「日本コバ」934,1mの頂にでる。頂は展望があまりよくないがそれでも木間から東近江の風景が一望できる。




頂上の周遊コースの尾根道から、湖東平野や琵琶湖を望むことができる


頂上で昼食の後、頂上から中央の窪地・湿地を取り巻く尾根道を周遊するコースをめぐって、「政所」の集落へと至るルートから集落内の茶畑へ下った。



周回コースを一周してきた。右が周回コースからの道、左が「如来堂」からの道と「政所」コースの道との合流点に100mで至る。手前が「政所」へと下る道





政所集落の茶畑に下る


政所の秋。紅葉が集落をつつむ。山村集落の晩秋の風景が美しい。


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