近江・浅井氏の居城だった小谷城祉の東、天吉寺山(標高917m)の中腹670m当たりの山中に多くの礎石群が残る「天吉寺廃寺跡」がある。
この廃寺は、貞観7年(865年)に天台僧・安然によって開創されたとつたえられ、平治の乱に敗れた源頼朝が東国へ逃れる道すがら一時隠れたと伝えられている
戦国時代の戦火や織田信長の焼き討ちなどにより大寺院は焼失したが、現在、廃寺跡として山門跡や経堂跡、三重塔跡、鐘楼跡、本堂跡などが草木に覆われて礎石が残っているのみである。「天吉寺山」の登山口である麓の長浜市野瀬町の集落奥に、苔むす参道と山門、本堂がひっそりとたたずむ現在の「大吉寺」がある。
今回は、この「大吉寺」の本堂裏手の登山口から、標高670m当たりの「天吉寺廃寺跡」をめぐって標高917mの天吉寺山頂上を往復する山歩きを総勢15名で行った。
天気は快晴、山も紅葉の終盤とあって気持ちの言い山歩きとなったが、ただ、このコースは思いのほか急傾斜の道が続き、かつ道が荒れているのが難点で要注意である。
野瀬の集落奥に大吉寺の参道と山門がある。
山門を入れば苔むす庭
現在の大吉寺本堂
この本堂裏から登山道が始まる
高度が上がると琵琶湖の景色が広hがる
急傾斜の山道を登ること約1時間で廃寺跡の山門につく。
さらに急傾斜を登る
三重塔跡、この当たりから礎石の跡が幾つもづくく。
鐘楼跡
経堂跡
そして本堂の跡と礎石
本堂の礎石
本堂跡の奥には、源頼朝の供養塔がある
休息の後、「天吉寺山頂上」めざして出発、
本堂後の上段には、「覺道上人」の入定屈がある
急登を登りきると尾根道にでる
紅葉のトンネルと琵琶湖の景色が
びわ湖の・竹生島
頂上手前の急登を振り返ると伊吹山が
山頂一帯は、シロモジ・クロモジ林
12時10分「天吉寺山頂上」に到着。
周囲は灌木に覆われ展望があまり効かないが、それでも昨年登った「ブンゲン」など奥伊吹の山々や真下には姉川ダムが望める
奥伊吹「ブンゲン」を望む
頂上で昼食の後、来た道を引き返えす。途中、琵琶湖の眺めが美しい
午後3時10分、ふもとの「大吉寺」に到着。夕日に苔がはえて見事な景色
この廃寺は、貞観7年(865年)に天台僧・安然によって開創されたとつたえられ、平治の乱に敗れた源頼朝が東国へ逃れる道すがら一時隠れたと伝えられている
戦国時代の戦火や織田信長の焼き討ちなどにより大寺院は焼失したが、現在、廃寺跡として山門跡や経堂跡、三重塔跡、鐘楼跡、本堂跡などが草木に覆われて礎石が残っているのみである。「天吉寺山」の登山口である麓の長浜市野瀬町の集落奥に、苔むす参道と山門、本堂がひっそりとたたずむ現在の「大吉寺」がある。
今回は、この「大吉寺」の本堂裏手の登山口から、標高670m当たりの「天吉寺廃寺跡」をめぐって標高917mの天吉寺山頂上を往復する山歩きを総勢15名で行った。
天気は快晴、山も紅葉の終盤とあって気持ちの言い山歩きとなったが、ただ、このコースは思いのほか急傾斜の道が続き、かつ道が荒れているのが難点で要注意である。
野瀬の集落奥に大吉寺の参道と山門がある。
山門を入れば苔むす庭
現在の大吉寺本堂
この本堂裏から登山道が始まる
高度が上がると琵琶湖の景色が広hがる
急傾斜の山道を登ること約1時間で廃寺跡の山門につく。
さらに急傾斜を登る
三重塔跡、この当たりから礎石の跡が幾つもづくく。
鐘楼跡
経堂跡
そして本堂の跡と礎石
本堂の礎石
本堂跡の奥には、源頼朝の供養塔がある
休息の後、「天吉寺山頂上」めざして出発、
本堂後の上段には、「覺道上人」の入定屈がある
急登を登りきると尾根道にでる
紅葉のトンネルと琵琶湖の景色が
びわ湖の・竹生島
頂上手前の急登を振り返ると伊吹山が
山頂一帯は、シロモジ・クロモジ林
12時10分「天吉寺山頂上」に到着。
周囲は灌木に覆われ展望があまり効かないが、それでも昨年登った「ブンゲン」など奥伊吹の山々や真下には姉川ダムが望める
奥伊吹「ブンゲン」を望む
頂上で昼食の後、来た道を引き返えす。途中、琵琶湖の眺めが美しい
午後3時10分、ふもとの「大吉寺」に到着。夕日に苔がはえて見事な景色