Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

大多喜城址

2008年10月31日 02時26分03秒 | Eos5D
EF24mmF2.8
「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭と本多平八。」と武田信玄の近習が謳ったというエピソードがある。唐の頭とは中国兜のことで、本多平八とは徳川四天王の一人である本多忠勝のことである。家康が関東に転封された時に、忠勝に大多喜十万石が与えられた。その後この城は阿部氏・松平氏などが入り、明治維新に至る。
 しかし、この日はあいにくの臨時休館であり、城内に入ることも展示品を見ることもできなかった。したがって写真は外観のみである(残念!)

24mmの単焦点レンズを始めて使ってみたが、かなり良い。城壁が白く飛んでいるのは、私の腕の未熟さ故であり、レンズのせいでは断じてない。




EF50mmF1.8II
こちらはいつもの50mmで撮影。石垣は修復された箇所であっても、古くからの石の切り出し方法を用いているのが素晴らしかった。城の建築技術を後世に伝えるためにも、お城の再建は各地で行ってもらいたいものである。




EF50mmF1.8II
この日は晴天に恵まれたので、休館ではあったが、まぁ良かった。

鋸山に行く

2008年10月29日 17時57分16秒 | Eos5D
EF24-105mmF4L
房総にある鋸山に行きました。レンズは24-105mmと50mmを持っていきましたが、50mmの活躍する場がありませんでした、残念!
 写真は日本寺の大仏。



鋸山の「地獄覗き」と言われる場所。絶壁です、コワイです。オソロシイです。



トンビです。

お寺の鐘

2008年10月23日 17時44分35秒 | Eos5D
EF50mmF1.8II

上総国分寺の鐘楼。国分寺は聖武天皇が国分尼寺とセットで建立した国家鎮撫の寺である。上総国は親王任国といわれ、国司に親王(つまり皇族)が任じられた国のことを言う。日本全国の親王任国は上総国、上野国、常陸国の三つだけで、いずれも大国である。律令時代には国の等級は四つに分かれており、「大国」「上国」「中国」「下国」の順に規模が大きい。上総、上野、常陸は、現在の千葉、群馬、茨城の地に相当するが、この三国だけが親王任国になっていることから、当時関東は財源としてかなり重要な地位を占めていたことが推察される。
 ただし親王任国では、親王が実際に現地に赴任することはなかった為、実務上の最高官は、次官の「介」である。いわゆる「長官=守」「次官=介」「判官=掾(じょう)」「主典=目(さかん)」という四等官の二番目の役職が国政を預かったわけである。
 この慣例は、名目的にはかなり後の世まで踏襲されたようで、織田信長も「上総介」、忠臣蔵の吉良も「上野介」とあるように、彼らは皇族ではないので「上総守」「上野守」を名乗ることはできなかった。
 ということで、上総国分寺はいわば国分寺の中では抜群の上位ではあったが、残念ながら現在では史跡としてはほとんど残っているものがない。

夕日シリーズ

2008年10月21日 20時08分40秒 | Eos5D
EF135mmF2.8
いつもの場所から夕日の撮影です。秋の夕日は、真西よりもややに南に沈むのが良く分かる。この事からも地軸が傾いているのが確認できる。振り返ってみれば、夕日ばかりを撮っているが、夕日がきれいだから仕方が無い。工場の煙突は相変わらず汚いが、なかなか田舎とはいえ、日没が拝める景色の良い場所はない。あったとしても、良い夕日に巡り合ったときに撮影が間に合う場所でなければならないので、この要件を満たすのも難しい。

千葉県某所

2008年10月19日 01時50分08秒 | Eos5D
EF24-105mmF4L

千葉県某所のビルの10階から撮影しました。○○とネコは高いところが好きと言いますが、その例にもれず私も大好きです。私鉄小湊鉄道はこの駅から発車します。この駅のJR線の乗降客数は2万以下。菅原孝標の娘が書いた更科日記は、この地方から始まるお話である。

EF50mmF1.8IIとAF NIKKOR50mmF1.4Dの比較。

2008年10月15日 02時42分06秒 | Eos5D
結論から先に言うと、この写真では違いがほとんど分からなかったです。
同じ条件にしたかったので、室内撮影にしましたが、被写体である将棋盤と駒の色は単調なので、比較画像としては不適切であったのです。とはいえ、折角撮ったのでUPしました。
上の写真はEF50mmF1.8II。露出は2.0。シャッタースピードは1/100秒。ISO感度は500です。



こちらはAF NIKKOR50mmF1.4Dです。条件は上と同じで露出2.0。シャッタースピードは1/100。ISO感度は500です。条件は同じハズですが、5Dの内部露出計では、2メモリ分、露出オーバーになっていました。1メモリは誤差の範疇と割り切っても、やはり2メモリというのは大きい。EF50のレンズと比べて、NIKKOR50mmはちょっと明るめに撮らないと同等の露出は得られないということは分かりました。

写真の駒は中将棋といって、すでに絶滅した将棋です。酔象とか麒麟などという駒もあります。合計96枚の駒があり、現行将棋の二倍以上の駒がある将棋です。この将棋はチェスと同じで駒の取り捨てです。駒をはることは出来ません。

マウントアダプター使用

2008年10月14日 03時43分51秒 | Eos5D
5Dにニコンの50mmF1.4をつけて撮影してみた。
ニコンのレンズは、後玉のレンズに金属の出っ張りがあるので装着や脱着する時が恐い。勿論AF機能は死んでいるし露出機能は当てにならない。完全に銀塩時代と同じく、カンと経験で合わせに行くしかないのだが、こういうのもタマには面白い。しかもこのレンズはF1.4なので、さらに明るいのだ。なぜ、ニコンの50mm単焦点があるのに、キヤノンの50mm単焦点を買ったのだ?というツッコミもありそうだが、やはり純正の標準レンズはまずは欲しいのである。AF機能がないのと、露出が分からない仕様だと、どうしても常備するには不安が残るのだ。



なかなか悪くない。今度時間があったら、ニコン50mmとキヤノン50mmの比較写真でも作ってみようと思う。値段的にはおそらくニコンレンズの圧勝になるハズだが、利便性とトータルすると、はたしてどうか?乞うご期待。



花の写真は難しい。どう構図をとれば良いのか、正直分からない。圧倒的に場数が足りません。

鳥と夕日と工場と

2008年10月12日 23時29分54秒 | Eos5D
EF50mmF1.8IIで撮影
単焦点の50mm、なかなか見事な絵を吐きだすではないか。ちょっと試しに夕日でも写そうかと思ってシャッターを切るが、現像してみるとこちらの予想を上回ったものになっていたのに驚いた。
それ以外にもF1.8という明るさが良い。この所F4のレンズしか使っていなかったために、シャッタースピードが1/250秒を越えたのを殆どみたことが無かったが、流石は明るいレンズだけあって、1/1000秒も結構使ったりします。こうなるとボケを強調するような写真が撮りたくなります。お花を探しに行こうかな・・・。

標準レンズEF50mmF1.8 II

2008年10月09日 23時40分10秒 | Eos5D
EF50mmF1.8IIで撮影。

私の持っているレンズは
EF24-105mm F4L IS USM
EF20-35mm F2.8L
EF15mm F2.8 Fisheye
EF24mm F2.8
EF135mm F2.8
EF100-300mm F5.6L

である。この中でEF24-105mmだけが私の購入したレンズである。それ以外のレンズは、銀塩時代に親父が使っていたレンズで、私が譲り受けたものである。こうしてみると、所有レンズにハッキリと偏りが見受けられる。つまり私は広角か望遠しか持っていないのである。真ん中がポッカリ抜けているのである。
 そこで今回、標準レンズのEF50mmF1.8IIを買った。マウント部がプラスチックなのは気に食わないが、とにかく安いのが良い。24-105mmのレンズでも50mmには対応できるけれども、F4で暗いのが使いにくい。それに単焦点の50mmは欲しかったレンズである。仮に失敗しても一万円もしないので諦めもつく。
 
もう一つ、マウントアダプターを手にいれた。これも親父からせしめたものである。親父はキヤノンよりもニコンのレンズを数多く持っているので、いずれEos5Dにニコンのレンズをつけて撮った写真もUPするかもしれません。



こちらもEF50mmF1.8IIで撮影。
夕方に鳥の群が巣に戻るところを写したもの。

旅程一覧表 目次

2008年10月09日 00時27分40秒 | クロアチア旅行記2008年8月
リンクをクリックしてください。











































旅の終わり(十二日目:9月2日)

2008年10月08日 23時00分39秒 | クロアチア旅行記2008年8月
9月2日。この日の午後6時に飛行機は出発する。昼頃、首都ザグレブに到着。市内を短く観光した後、飛行場に向かう。レンタカーを返したのが午後二時ごろ。この十二日間の全走行距離は3960kmであった。



山火事あり、コソボあり、ギリシャ無謀走破ありの弾丸旅行であったが、あっという間の十二日間であった。

クロアチア旅行記おわり。

再びプリトヴィッツェ湖群国立公園 (十一日目:9月1日)

2008年10月06日 20時51分23秒 | クロアチア旅行記2008年8月
プリトヴィッツェ湖群国立公園内にあるホテル「イェゼロ」に泊まる。今日一日は、まるまる国立公園の観光である。写真はスラブ系(?)のお姉ちゃん方である。若い白人の女性は流石に綺麗である。



湖面にエメラルドグリーンの領域がある。太陽光の直射に照らされて出来ているのだが、なんとも幻想的である。



まさにバスクリンの水の色である。水の青さは遠くから見下ろさないと、普通は際立たないものだが、この国立公園では水辺の目の前で見ても青い。



前回と同じ構図からもう一度撮影した。さすがは世界遺産である。



湖の底に石灰岩の大岩がある。まるで湖に沈んだエメラルドのようだ。



木々には小鳥がちらほら見える。人間が危害を加えないため、鳥もほとんど警戒しない。



湖の沿道も緑で覆われ、なかなかきれいだ。



滝。



再び、滝。



珍しい色のトンボを発見。濡れた羽を乾かしている最中なので逃げません。

今回の旅行の集大成ともいえる一日 (十日目:8月31日)

2008年10月05日 05時42分43秒 | クロアチア旅行記2008年8月
この日の空は抜けるような快晴。全旅程の中で一番空がキレイな日であった。この日の予定は、またもや移動である。目指す目的地は、クロアチアのプリトヴィッツェ湖群国立公園である。そこは、旅行の二日目で訪れた場所だが、撮影的に思い残しがあったのと、やはり水と滝の風景が頭に残っていて、せめてゆっくり朝から夜まで一日かけて国立公園を観たいと思ったのである。
さて、今日の一日の始まりは朝のスヴェティ・ステファンである。我々はこの旅行の当初から中頃にかけて、アドリア海沿岸を北から南に時間をかけて下ってきたが、今日はそれの逆コースである南から北へ一気にあがるのである。これまで見てきたコトル、ドブロブニク、アドリア海沿岸をもう一度通過する。すでにブログで公開した写真と同じ構図のものが以下に出てくることになるが、この日の景色は非常によく、取り直した写真の方が良く仕上がっている。
 そして、これまで数日間かけて走ってきた道を、一日で逆再生するかのように一気に遡るのは、ノスタルジーが喚起されて、私の中では非常に印象深い想いとなったのである。



ここはコトルの南側。我々は北上しているので、景色は以前の南下していた時とは違い、反対側からみた風景となっている。空と海が青い。ギリシャでエーゲ海の一部を見たが、個人的にはアドリア海の方が遥かに美しく感じた。



コトル湾の一番狭くなっている箇所を撮影する。山の緑が湾の水に反射して面白い。



絵の具でも流したかのように、嘘くさい青さの水だが、本当にこんな色をしている。



以前、公開した構図とまったく一緒の場所で撮った写真。この日の空は驚くほどクリアーであった。



この日になってコトルの本当の美しさに気付くのだった。



どこにカメラを向けても、絵になってしまうのがコトルの凄いところである。



コトルを通過し、モンテネグロ国境を越えてドブロブニクへ。写真はドブロブニク手前の風景。モーターボートの航跡が海にいつまでも残っている。波はほとんどなく、非常に穏やかである。



青い、ひたすら青い。



ドブロブニクの町。



この青さはいったい何なのだろうか?



対岸の小山に城壁が見える。あれは以前カキを食べたStonの町である。ここの海は浅瀬なので、海は青ではなく、バスクリンのような水色になっている。



飛び地からボスニア・ヘルツェゴビナ国境のネウムを越える。写真はその付近のものである。パノラマ写真として編集してあります。



国境の町ネウムを越えて、アドリア海沿岸をひたすら北上する。沿岸部は写真のようにアドリア海を上から見下ろすような場所も多い。



幹線道路上にある何気ない風景でも、絵になってしまう。



海岸線にはほとんど砂浜もなく、山が海に浮いているな地形が続く。だが浜辺はエメラルドグリーンに染まる。不思議。



水の透明度は異常。船が飛んでいるようにすら見える。

この後、アドリア海沿岸から内陸部に入って行き、いよいよプリトヴィッツェ湖群国立公園向かう。プリトヴィッツェ国立公園内にあるホテルに到着したのは、午後5時をまわっていた。この日の移動はこれで終わり。まさに今回の旅行の集大成ともいえる一日であった。