Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

嶋穴駅 上総国

2021年05月28日 14時15分00秒 | 歴史


古東海道の駅に嶋穴という場所がある。現に千葉県の市原市にある地名なのだが、ここはかつて上総国の古東海道の駅であった。この道は後の豊臣秀吉が北条征伐の後に房総に進軍した道としても使われている。
嶋穴の地が史料に現れるのは延喜式においてであり10世紀にはすでに存在していた。


市原市を南北に流れる養老川。古養老川は現在の位置よりも南側に流れており、嶋穴駅は川の右岸にあった。ここは海上潟とも呼ばれは天然の良港があったという。
『万葉集』巻十四の東歌の冒頭に、「夏麻引く(なつそひ) 海上潟の 沖つ渚(そ)に 船はとどむめ さ夜更けにけり
との歌があるのが根拠であるとされる。海上潟は、古養老川の河口近くに形成された潟湖と推測され、東京湾と古養老川を結ぶ水上交通の拠点となっており、水運に長じた海人が少なからず居住していたであろうとのことである。

現在の養老川を数キロ上ると海士有木(あまありき)という地名があるし、その付近を通る国道297号線は古代の道と重なる部分が多い。当然のこととして、この養老川の付近には律令時代の国分寺や国衙がおかれていた地域とも重なる。



島穴神社。かつての嶋穴駅はこの寺の最寄りであり




現在、駅と思しき場所には石碑が建立されている。この石碑は嘉永元年1848のもの。


先日の大雨で川の水が増水しており、道路スレスレまで水位がのぼってきている。この地はほぼ海抜0メートルであり、さらに前述したように古養老川はこのあたりに流れていたことを考えると、この地の水捌けは極めて悪く、川の流れは幾度となく変わってきたのだろうと思われる。


現在、島穴神社と嶋穴駅は線路によって左右に分断されてしまっている。写真の中央左の森が島穴神社であり、中央右にすこしある木々の場所が嶋穴駅と比定されている場所である。







麻生のバカ

2021年05月23日 02時00分00秒 | 世間話
1〜2分聴いたら嫌気がさした。
誰かこいつを黙らせて欲しいものである。自民党はもう一回下野したほうがいいんじゃないだろうか。

「義務教育は小学生まででよいのではないか?だれが微分積分や因数分解やサインコサンタンジェントなんか使う?」などと知性のかけらも無いことをよりにもよって政策を決めたり法律を作るものが軽々しく言うなんて。

どうせこういう浅はかな人の頭の中での「役に立つ」という言葉の意味は、働いて金を稼ぐ為に(役に立つ)とか、そういう意味だろう。

だとすると、およそ教養なんてものは役に立たない最たるものであろうし、学問においても地質学や植物学、言語学や歴史学、考古学や文学も役に立たない。

仕事をして金を稼いで税金を納めるだけのマシーンでも作りたいのか?このバカは。

そういう生活スタイルだけを求めるのにストレスがかかった世の中になってきたから、ゆとりをもった生活とか時間が自由になる働き方とか、カネよりも、自由や時間を欲する国民が多くなってきたのではないのか?
つまりは政治家の怠慢である。生きづらい社会をつくっておいて、それで良いとか言ってるだけにとどまらず、生きづらい社会をもっと加速させようとする言説を吐く。猛省を促したい。

物事を役に立つと役に立たないと分ける行為そのものが、人間を不自由にしていることを自覚していない。

役に立とうが立つまいが、人間が情熱を燃やせるものであれば、それが仮に経済に寄与しようがしなかろうが、その人間にとってはリアルな現実であり、リアルな充実である。
麻生や私自身が微分積分を使わなかったとしても、それに興味があるであろう人が存在しうる以上、その選択肢をいたずらを奪うのはよろしくない。
しかも麻生は、やりたいやつがやればいい、やりたくなければやらなくてもよい、とか教育を受ける者の自由意志を尊重しているようだ。そういうのはそもそも教育ではない。自分の意思に従い行う勉強というのは教育ではなく学びである。麻生は教育と学びをごっちゃにしているのだ。

しかも義務教育についての誤解もありそうだ。義務教育とは、親がこどもに教育を受けさせる義務がある、ということである。つまり子供の気づきの機会を親がいたずらに奪うなというものである。

  勉強を子供の判断に委ねるのであれば、「何で掛け算なんか学ばなきゃいけないんだ?」という大人になったら抱かないであろう疑問を、子供は未熟であるがゆえに抱いてしまう。このことをどのように考えているのだろうか。

  食べ物の好き嫌いをこどもの判断に委ねるのであれば、偏った食べ物しか食べなくなるリスクがある。色々な味の経験をした上で、それでも嫌いというのならともかく、未熟なものの判断に委ねるようないけんを垂れ流すこの男の言説は信用できない。

  別に微分積分だろうが、漢文だろうが、文学だろうが、ただの例に過ぎないんだろうが、学問に対する無理解と無知がそういう意見を垂れ流させるのだろう。
  こういう人間は、たとえばピカソの絵とか、芸術分野のような、自分の理解が及ばない事柄に対しても、臆面もなく意味がないとか、役に立たないとかいうのだろう。自分の知識不足や経験不足を「意味がない」と切り捨てていることとほぼ同義であり、自分の知らないことについて実は深遠なものがあるのではないか?というリスペクトが微塵もない。なんと傲慢なことか。

  あるいは教育というものを舐めている証左であろう。ここをこう変えれば、教育はもっと良くなるというように、単純に物事を考えているんだろう。まるで故障した箇所を直せば、機械は元通りに動くというように、、、単純に、、、。

 教育というのはどこまでも「押し付け」である以上、学びとは一線を画しているし、であるからこそ慎重に考えなければならないことだ。麻生のように軽々しく、こんなものはこうしたらいいんですよ、と軽薄に答えられる類のものではない。

  すると現代の人は、すぐ
じゃあどうすればいいんですか?

と問う。その問い自体も軽薄なのだ。
どうしたら社会は良くなりますか?とか
どうしたら戦争がなくなりますか?という問いも、みんな軽薄な質問なのである。
役に立つものはなんですか?という質問と同類なのである。
  世の中には言葉で説明してわかるという事柄は意外と範囲が狭いのである。「大人になればわかる」という言葉の意味するものは、そういうことだろう。字句どおりに成人すれば分かるということを指しているのではない。「子供の心を忘れてしまった大人」という言葉の意味するも同様だ。
だが人は言葉で説明すればわかると思い込んでいるフシがある。



千葉嶺岡山地の地質

2021年05月17日 18時52分00秒 | 地質

千葉県立中央区博物館を訪れた。
ここは地質に植物、動物など様々なものが展示されており、地質だけで2時間ほど費やした。まともに全部見ようと思うなら、1日がかりとなってしまう。
展示物を見て説明を読むだけでもそのくらい時間がかかるが、その情報を吟味して意味の一端を知るには、写真を家に持ち帰って調べた後になんとなく見えてくる。




千葉の房総には千葉の最高峰の愛宕山がある。この400メートルほどの山から東側一帯は嶺岡山地といい



古第三紀始新世(約4000万年前)及び、新第三紀の中新世(約2000万年前)あたりの地層が露頭している。
一般的に恐竜の時代は白亜紀までで(6600万年前)あり、古第三紀は暁新世の一部を除き恐竜は絶滅した時代である。つまり地質的にはやや新しい時代だ。

日本海の形成から日本列島の形成はおよそ新第三紀の中新世だといわれている(2000〜1500万年前あたり)

千葉県には残念ながら恐竜の化石はほぼ見つかっていない。見つかったとしても骨の一部くらいが銚子あたりで発見される程度である。すくなくとも露頭している地層では・・・

さて、今回問題にしてるのは上の写真にある「ダナイト」と「ハルツバージャイト」である。嶺岡山地の地形ジオラマの写真によると、紫と水色で塗られている地域である。両方ともかんらん岩であり、色はオリーブ色であり緑色。このかんらん岩は超塩基性岩に分類され、ようするに水晶質である二酸化珪素の含有率が低く45%未満という岩石である。別の言い方をすれば、かんらん岩は上部マントル物質そのものである。

大陸プレートの地殻を形成するのは玄武岩でこれも塩基性岩に分類され、二酸化珪素の含有率は45〜52%未満。色は全体的に黒っぽいがまあ色だけでは当てにならない。(ちなみに水晶とは二酸化珪素のことである)

つまり嶺岡山地の頂上付近のダナイトがある場所は、ほぼ上部マントル物質が露頭している場所といえる。




話は変わって、ここに蛇紋岩というものがある。この岩はかんらん岩などが水と反応して蛇紋岩化作用を受けることで生成する岩石らしい。かんらん岩と水から蛇紋岩と磁鉄鉱が生成される反応が一つの例としてあるようだ。

かんらん石  Mg2SiO4 及び Fe2SiO4
蛇紋岩 Mg3Si2O5(OH)4
2Mg2SiO4+3H2O→Mg3SiO2O5(OH)4+Mg(OH)2

化学式はシカトしても構わない。かんらん岩が水と反応して、蛇紋岩と磁鉄鉱が生成するというのを視覚で確認できればよい。(実際私もそれくらいしかわからない)

さて、この嶺岡山地に降った雨や水は、川を流れて加茂川などを通って鴨川市内を抜けて太平洋に注ぐわけだが、実は鴨川の海岸を含む千葉県の夷隅や九十九里、館山や木更津、富津、鋸南に至るまでの広範囲において、千葉県は砂鉄の産出量がとても多い。


これは夷隅の浜の砂鉄。黒い砂がそれである。要するに、この黒い砂鉄(磁鉄鉱)はかんらん岩と水の反応による生成物ではないのか?それが千葉沿岸の浜に堆積したものではないのか?というのが私の推測である。


 
夷隅の丹ヶ浦で採取した砂鉄。










茨城県つくば 地質標本館

2021年05月09日 02時58分00秒 | 地質
つくばにある標本館。ネットで予約する必要があるが入場料・駐車料金共に無料。館内には詳しい学芸員さんがいていろんなことを教えてくれる。


標本館は一階と二階。足早に回るだけなら1時間もかからないが、鉱物や地質の事を詳しく見たり、学芸員さんに詳しく話を聞こうとおもったら、何時間でも潰せる場所である。



カコんでセンコウ、ハンゴロシ
流産、安産、元気な子
と高校の時に暗記させられた記憶がある。
深成岩と火山岩の覚え方であり、順番に

深成岩
花崗岩  閃緑岩  はんれい岩
かこ     せん    はん

火山岩
流紋岩  安山岩  玄武岩
りゅう   あん    げん

当時はなんの役に立つのかわからないまま覚えたものだが、現在においても経済的には何の役にも立たない。地球の成り立ちがわかるという知的好奇心のためにしか役に立たないが、それがいいのだ。

火山岩と深成岩は単に冷え方の違いであり、急速に冷えるのが火山岩。ゆっくり冷えるのが深成岩である。
流紋・安山・玄武あるいは花崗・閃緑・はんれいの順は、大雑把にいえば水晶質の含有の割合が高い順序でならんでいる。流紋や花崗が水晶質が多く玄武やはんれいは少ない。ようするに溶岩がネバネバしてれば水晶質がおおく、色は白や透明。溶岩がサラサラした場合は水晶質が少なく、色は黒くなるということだ。それらが冷え方の違いによって、名前が変わるというそう言う事に過ぎない。

更には「石」と一般的に言われているものは、鉱物起源のものもあれば生物起源のものもある。溶岩からできる石、地中の超強力圧によってできる石、砂や泥の堆積物が圧力によって石のようになったもの、そして有孔虫やプランクトン、またはサンゴや貝などが石化したもの。これらを我々は大雑把に石と呼ぶ。

繰り返すが、こんな事を知っていても社会においては一銭の得にもならないが、私の人生を豊かにするという点においてはかけがえのない事である。
このようなものを見て、人生を無為に過ごすというのは贅沢というものであろう。