この国の歴史もなかなか凄い。アルバニアは第二次世界大戦末期、ソ連とレジスタンス運動によって、ナチスドイツを追い出して国土を回復する。首相に就任したエンヴィル・ホッジャは筋金入りのスターリン主義路線を採る。彼は、東ドイツのウルプリヒトと勝るとも劣らないスターリン信奉者である。ホッジャ政権下のアルバニアは同じ社会主義国家でありながら、独自の社会主義路線を歩みソ連と対立したチトー政権のユーゴスラビアとまず断交し、次にスターリンの死後、最高責任者となったフルシチョフがスターリン批判を行うと、ソ連とも外交を絶つ。そして中国に接近しマオイズムにハマり、文化大革命の影響を受けて、アルバニアでは宗教を否定して無神国家を宣言する。しかし毛沢東の死後、中国が改革開放路線に転換すると、中国も批判するようになる。こうして社会主義陣営の中でも孤立していき、ついに1980年代には鎖国状態に至るのである。
さて、写真のコンクリートの建造物だが、これはトーチカ(防衛陣地)である。これもホッジャの時代にアルバニア全土に作られたもので、数は50万個以上もあるという。
ホッジャの死後、1990年代に入り、アルバニアは改革開放路線に転換し市場経済が導入されるが、国民の大半がネズミ講などにはまり、アルバニア経済は破綻する。2000年以降は少しずつ経済も回復しつつあるが、未だに欧州では貧困な国である。
というように、アルバニアという国はなかなかイタイ国家なのである。近年はそうでもないのだろうが、1940年~1990年頃までは、政治的にも経済的にもかなりイタイ国家であった。
写真はビデオから静止画に落としたものである。アルバニアの、とある町中の風景の一角である。ここが東南アジアのどこかだと言われても、違和感なく見られるのではないだろうか?これでも道路はアルバニアの中ではまだキレイに舗装されている方である。アスファルトの敷いていない幹線道路はとても多い。この写真でも路肩にはアスファルトが敷かれておらず、道と歩行者道路の間はジャリ道になっているが、この光景はアルバニア全土で共通して見られるのである。いわば標準なのだ。
さて、写真のコンクリートの建造物だが、これはトーチカ(防衛陣地)である。これもホッジャの時代にアルバニア全土に作られたもので、数は50万個以上もあるという。
ホッジャの死後、1990年代に入り、アルバニアは改革開放路線に転換し市場経済が導入されるが、国民の大半がネズミ講などにはまり、アルバニア経済は破綻する。2000年以降は少しずつ経済も回復しつつあるが、未だに欧州では貧困な国である。
というように、アルバニアという国はなかなかイタイ国家なのである。近年はそうでもないのだろうが、1940年~1990年頃までは、政治的にも経済的にもかなりイタイ国家であった。
写真はビデオから静止画に落としたものである。アルバニアの、とある町中の風景の一角である。ここが東南アジアのどこかだと言われても、違和感なく見られるのではないだろうか?これでも道路はアルバニアの中ではまだキレイに舗装されている方である。アスファルトの敷いていない幹線道路はとても多い。この写真でも路肩にはアスファルトが敷かれておらず、道と歩行者道路の間はジャリ道になっているが、この光景はアルバニア全土で共通して見られるのである。いわば標準なのだ。
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