https://www.daily.co.jp/gossip/2020/04/25/0013297755.shtml
前川氏は「世帯主への一括給付は大問題。ろくでもない世帯主はごろごろいる」と世帯主が全額を使ってしまう可能性を危惧。
ですとのこと。
ワタクシは「政治家や官僚への委任は大問題。ろくでもない公務員はゴロゴロいる」と官僚や政治家が国民に代わり政治を担うことを危惧。
千葉県の南端、館山の根本海岸。
以上のようなメカニズムである。
これは河川による段丘形成のもので、メカニズムは大地の隆起と水による侵食といったように海岸段丘とおなじようなものだ。あと違いがあるとすれば、氷河期と温暖期の河川の流量の違いによる侵食の度合いである。
空からみた根本海岸。
この地は地層的には新生代新第三紀あたるもので、古くても今からおよそ2300万年前のものである。東日本には日本海溝と南海トラフがあり、プレートの沈み込み帯で剥ぎ取られた付加体が日本列島の海岸の陸地を作る。その付加体を合わせれば、千葉県南部の地層は白亜紀の付加体も含まれるという。
とはいえ、この地の地質は砂岩と泥岩、礫岩のミルフィーユであり恐竜の化石などはほぼ見ることはできない。
新生代新第三紀、第四紀は地殻変動による大地の隆起と、氷河期における河川の侵食くらいのものしかなく、恐竜時代のダイナミズムは無い。
さて、館山のこのあたりは海岸段丘で有名な土地である。館山から陸の方をみると、大地が階段状に段丘がいくつも形成されているのが見える。
以上のようなメカニズムである。
こうしてみると、日本列島全体が付加体という見方も可能であり、事実列島は太平洋側の陸地かは日本海側への陸地に行けば行くほどだいたいにおいてその地層は古くなる。
海岸段丘は以上のメカニズムをたどるのだが、もう一つ河岸段丘という別の段丘上がある。
これは河川による段丘形成のもので、メカニズムは大地の隆起と水による侵食といったように海岸段丘とおなじようなものだ。あと違いがあるとすれば、氷河期と温暖期の河川の流量の違いによる侵食の度合いである。
空からみた根本海岸。
4月22日〜23日の明け方にこと座流星群が極大になるという情報を今更知った。
方角は、うしかい座アルクトゥルスから乙女座のスピカに向かって明るく見えた。
ただ幸運だったのは、本日明けて25日の午前0時50分ごろ、南の空に火球を見ることが出来た。流れ星の巨大なものである。すぅーっと尾を引いて、空を縦に横切っていった。
方角は、うしかい座アルクトゥルスから乙女座のスピカに向かって明るく見えた。
画像はiphoneの「星座表」アプリから。このアプリが優れているのは、夜空に端末を向けると、その方向にある星座と恒星が名前付き表示される。肉眼でただ空の星を眺めているだけでは、どの星が何の星だかわからないが、これをつかえばすぐ分かるというところが良い。
さらに、橙の点線は黄道(太陽の通り道)を示しており、12星座の登ってくる順までがわかるという仕様である。
冒頭の写真は夏の大三角。ベガ、デネブ、アルタイル。七夕伝説による織姫、彦星はベガとアルタイルを指す。
本来は夏の星座だが、現在の春でも深夜の1時あたりになると東の空から登ってくる。
街中なので、天の川はほとんど見えない。
2007年に刊行された少し古い本。DNAによる生物の複製と生命は動的平衡だという話。そしてウイルスなどについても言及がある物語形式の本となっている。
現在話題になっているPCRについての話も出てくる。今日の新型コロナウイルスの話にも繋がる情報が書かれていて興味深い。
分子生物学の専門書ではなく、素人にも分かりやすく書いてあるが、すこしだけ読むのに難儀な箇所もあるが、我々の生命観を変えてくれる本であり名著だと思う。
ブログの書き込みは公の言動に属する。なので正直すぎる話は不謹慎、不適切という誹りを免れない。
そのプレッシャーを最も感じているであろう人は、政治家であり、専門家であり、学者であり、著名人であり、テレビ司会者であり、経営者であろう。
巷はコロナの話題である。なにしろ安全とリスクである。安全を極限まで追求したいというのは人の願いでもあるし、他の要因が侵されない限り、ひとは極限まで追求してもよい。
日本は安全神話というものがあった。例えば原発についてもそうだった。食品の安全についてもそうだった。BSEの肉が怖くて外国産の肉も全頭検査をクリアしないと入れられなかった。医療や健康保険などを重視して、ほとんどの国民は死ぬときは病院でそれなりの医療にかかって病院で死ぬというのが常識となるほどのリスクの回避ぶりである。しかし、そのような神話は、東日本大震災や食品偽装問題、東日本の去年の台風被害、そしてコロナによって神話ではなくなった。
まるで、人間が制御すれば、全てのリスクは極限まで回避できると錯覚させるほどに、人々は安全であることを求め、安心したかった。
この国民の安全に対する信仰ともよべる執着は、おおくの政治家や専門家、著名人、経営者にとっては無言の圧力になったに違いない。ポピュリズムという言葉があるが、ポピュリズムとは無言の圧力がかかるという点がある。もちろんポピュリズムを利用して、事故の栄達を図ろうとする政治家や専門家、著名人、経営者などもおり、因果の全てをポピュリズムの圧だけに求めるのは正しくはない。
しかしながら、この無言の圧力に上記の方々は真っ向から抗うことはできなかったことは事実である。オブラートに包まず、有り体に言うと
「国民はアホちゃうか?」ということを政治家や専門家、著名人、経営者は言えないということである。
現在の世の中には、国民一人一人が実は放送局を持っている。SNSとかブログと言われるものがそれであり、みな好き勝手に自分の意見を公開できる「放送局」である。この放送局は実は公私の区別があまりついてなく、放送法にも基本は縛られない自由度がある。つまり節度なく私の意見を垂れ流しても何ものにも規制されないという、ある意味無法地帯でもある。
政治家は、政党や国民や企業などの人々や法律によりその言動を規制されているし、経営者は消費者や法律などによって言動を規制されている。多くは国民やお客あってのものである。それらの掣肘を受けるので、公的な役割をする圧がかかっている。圧がかかっているメリットは、それによって自己の行動を自制できるという自浄作用がある。
しかしながら、個人の放送局で好き勝手に意見を流しているブログやSNSでの書き込みは、基本的には規制はない。そりゃ著しい誹謗中傷や行き過ぎた扇動、あるいはプライバシーの侵害などがあった場合には法律により規制され罰せられる時もあるが、それは上気した政治家や経営者、専門家にも同様に課せられている。問題なのは、その個人の放送局には、誰かからの掣肘というものがない点である。客におもねる経営者。国民のおもねる政治家のような、あるいみポピュリズムではあるが、同時に自浄作用にもなる干渉がないということは、悪い言葉で言えばのさばらせることにもつながる。
さて、この個人の放送局と、安全イデオロギーが結託した時に何が起こるか?
それが、今回の新型コロナウイルスの騒ぎであろうと思われる。
今回のコロナ事件を「人災」と見ることは可能である。誰が引き起こした人災なのか?政治家か?それもあるだろうが、それはみんな知っているからあまり問題ではない。あまり知られていないのは、国民が引き起こした人災である。
感染リスクは極限まで0にしなければならない!という信仰に基づいてそれぞれの「放送局」が騒いだ時、それを掣肘できるものは構造上=システム上は誰もいないということを、皆様はご存知だろうか?
違う言い方をすれば、マスコミは国民を扇動するが、国民は同じ国民や政治家や専門家や経営者を扇動する、ということである。
政治家や専門家、経営者には覚悟が必要である。つまり誹りを受けて、責任を追及される覚悟もだろうし、職を失い露頭に迷うという覚悟もだろうし、命令、指示をしたことの失敗に対する責任という覚悟もである。確かにこの覚悟は、いまの政治家や専門家、そして経営者は薄くなってきていることは確かである。武士のように腹を切ってお詫び、というほどの覚悟はあるまい。
しかしながら、個人の「放送局」で騒ぎ、他人の責任を追及する人達(国民)の覚悟は、構造上=システム上存在しないので、そもそもその言動には覚悟はいらないのである。
収益化した「放送局」になって初めて構造上の覚悟が現出するが、それまではこのメディアには覚悟は必要ない。そもそも匿名で意見をかけるのだから尚更である。
安全第一を金科玉条のものとすると、以下の例については、その安全第一がマネジメントではなくて信仰に変わる。
安全度が0〜100までの100段階あるとする。現状が仮に50としよう。これを80に上げるには100のコストを支払わなければならないとする。80から90に上げるには1000のコストを支払わなければならないとする。安全度をある一定の数値以上にあげる場合、そのコストはある閾値を超えるとそのコストが指数関数的に増大する。安全度90〜95まで上げるとなると10000のコストを要し、95〜96まで上げると100000のコストがかかるとする。
さて問題だが、安全度を幾つに設定するべきか?
この質問は、人命がかかっているときには不謹慎な質問となりえる。人命がかかっていない政策や方策であれば、これはマネジメントの話で終わるが、こと人命がかかっているテーマについては、
【安全度を幾つに設定するべきか?】
は不謹慎な質問になりうるのである。
国民の「放送局」が、安全度は極限まで!リスクを限りなくゼロに!と叫ぶなら、それを達成するためのコストは理論的には無限のコストとなる。
したがって、「リスクを限りなくゼロに!」という「放送局」の願望や意見は、理性ある回答ではなく、それは信仰に属するものである。
しかしながら悲劇は、その信仰の吐露に対して、誰も掣肘出来ないことにある。
その信仰に対して、政治家や専門家や経営者は忖度せざるを得なくなる。まさに安全神話とは言い得て妙である。安全の信仰に他ならない。そして掣肘されない「放送局」の声なので自浄作用がない。
「覚悟」がないのである。リスクを極限まで減らせば、人は不老不死でいられると錯覚しているのだろうか?多分「放送局」の人はそう錯覚しているのだろう。
これが今回のコロナについての私の正直な話であるを
写真はコメツブツメクサ。
わかりません。
わかりません
わかりません。
どうやら最後の写真はヒメオドリコソウであることはわかった。
たぶんカタバミなんだろうが、すこし花びらが丸くなく尖ってるようにも見えるから自信がない。
この歳になって、植物のことを本当に知らないと思い知った。
たぶんスズメノカタビラ (図鑑で調べた)
わかりません。
わかりません
わかりません。
仕方ないので、この図鑑を駆使してみた。
どうやら最後の写真はヒメオドリコソウであることはわかった。
たぶんカタバミなんだろうが、すこし花びらが丸くなく尖ってるようにも見えるから自信がない。
キク科の雑草は似たような種類が沢山あり、なかなか特定できない。ハルジオンとヒメジョオンも違いが分かりづらく、アレチノギクとやらも似ている。キク科は本当に迷宮に入れてくれる。
樹木に至っても、似たような樹皮をしているものもおおく、葉も似てるし同じ科になると、訳が分からなくなる。
しかしさすがに、自然界の植物の名前とかあまりにも知らないのはまずい。海の魚についても同様であるが、、、。人間の社会のことを知るのもいいが、人が作ってない自然の事にあまりにも頓着しなさすぎた感があって、己の無知を恥じる程である。
このジャンルについても基礎的なオベンキョをしなければならないだろう。
去年の7月の写真。長野県善光寺。
神社仏閣の建築には、妻入りと平入りと2種類の様式がある。
建物の妻側(切妻)から入ることが出来る建物を妻入り、建物の横から入るのを平入りという。ここでは神明造は平入り、大社造は妻入りということになる。
神社仏閣の建築には、妻入りと平入りと2種類の様式がある。
建物の妻側(切妻)から入ることが出来る建物を妻入り、建物の横から入るのを平入りという。ここでは神明造は平入り、大社造は妻入りということになる。
両方とも古代からの建築様式である。
弥生時代の高床式倉庫が妻入りだったことを考えると、やはり妻入りの建物の方がより古いのだろう。たしかに平入りが機能的によいのは、その建物が横長で大きい時であろう。その場合は妻入りの場合には奥まで行くのに遠くまで歩かなければならないからだ。
伊勢神宮が平入りで出雲大社が妻入りということなる様式なのにも興味深い。天津神が平入りで国津神が妻入り、、、などという法則はないが、このあたりの日本の建築様式というものも深いものがあるだろう。
(素性法師 古今集)
意味は以下のページからの抜粋
【あの人は「すぐ行きます、待っててくださいね」なんて言ったのに。優しそうな人だったのにな。結局私は待ちぼうけ。夜遅くなってもあの人は来ないし、眠らずに待ってたら、出てきたのは夜更けの有明けの月だけ。普通なら男が帰っていく時刻じゃないの。結局、月を待って夜を過ごしたことになるのかあ。あたしっていったい何なんだろう…。】
有明の月を「あの人」に見立てた詠とも読める。当時の有明の月で一番とされていたのは長月の有明の月であったらしい。月にまつわる言葉は今でも沢山ある。三日月、十五夜、十六夜(いざよい)、十三夜、中秋の名月、そして有明の月。満月は日没とともに昇ってくるが、十六夜は日没よりわずかに遅れて昇る。それをまだかまだかと待つ心情。それが古来の人の感覚にあった。
今来むと 言いしばかりの
というのは、日没後ずっと月を待ち続けるという古来の感覚を、あの人に投影させて暗喩だろう。今日の我々は、月が昇ってくるのをそのような待ち遠しい感覚としては捉えていないのではないか? したがって、和歌という文学を理解できない不幸がそこにある。
そして何故当時、長月の有明の月が有明の月の中で最上であったのかについても、我々はよく知らない。
我々の今の情緒だけをつかって、この詠の心情を捉えるには大きなものが欠けている。よって学問的知識を使って、すこしでもその情緒に迫れないだろうか?以下に人間が作った暦という学問的システムを理解して、この詠の情景を復元してみようと試みる。
有明の月。明けてもまだ有る月ということで有明の月ということらしい。時刻は午前4時過ぎのこと。今日は太陽太陰暦においては3月27日。満月より下弦の月を経て新月に至るまでの期間は月の15日〜30日まで。(今年の3月は大の月)
天文学的な定義はともかく、和歌において有明の月とは、おそらく下弦の月(22日)から新月直前の三日月(27日)あたりの月ということになるだろう。
太陽太陰暦では3月は春の最後の月であり、従って今日より4日後はいわゆる暦の上では夏になる。(太陽暦においては未だ春であるが)
上の和歌は長月(太陽太陰暦9月22〜27、太陽暦で8月下旬)のもので、今とは有明の月の時間の空の明るさとは若干違う。太陽太陰暦は潤月があるので、この歌が詠まれた当時の日の出の時刻が何時だったのかは、本当のところは正確には分からないが、おおよそ太陽暦における8月20日あたりにしておこう。太陽暦8月20日の日の出時刻はグーグルで調べたところによると5時3分。これが、和歌における長月の有明の月である9月27日(この詠の有明の月は三日月ということにする)
太陽太陰暦では秋の終わりの長月だが、太陽暦の8月20日ということは、残暑である。当時の地面はアスファルトに舗装されていないので、熱帯夜ということはないだろう。つまり夜更かししても寒くはない季節。それが長月の有明の月である。
しかしこの詠では、有明の月(あの人)を待っていて朝の5時まで起きていたことになる。(三日月が前提) 当時の人がそこまで夜更かしをしていたかどうかは疑問だし、また流石に朝の5時まで待ってたら、もう来ねーよチクショク!と、とっくに諦めてしまうのかもしれない。従って有明の月を三日月に設定するのは間違いかも。月を下弦の月まで近づけていくならば、その月が昇る時間はもう少し時間を遡れる。8月に空が白み始める時刻は4時くらいかもしれない。その頃の有明の月なら三日月ではなく24日の月、あるいは22日の下弦の月あたりかもしれない。
平安時代の夜の逢瀬が何時頃まで続いたのかは分からない。男が帰っていく時刻とやらが、はたして午前5時なのか、4時なのか、謎が謎を呼ぶが、たしかに今日の明け方の月は私にとって美しかった。
その月の美しさと、早朝に誰もいない中で散歩した一抹の寂しさの感慨を、この素性法師の詠の情景に重ねると、今までとは違った趣を感じたことは確かである。
最寄りの図書館は完全閉鎖しており、五月の連休明けまで貸し出しはしていない。なので本屋でシェークスピアのリア王を購入。今までシェークスピアはマクベスしか読破していない。若きウェルテルの悩みも図書館で斜め読みしたが、若い頃を思い出しそうなシーンが多すぎて、怖くなって読むのをやめた。
逆に言えば、怖くなって読むのをやめるくらい、力を持った作品である。
リア王もマクベスと同様に戯曲形式で書かれている作品で、とにかく人間の愚かさと暗部が描かれているのだが、とにかく登場人物が善人悪党を問わず何故か魅力的に見えてしまう。
シェークスピアは2冊目だが、この人の作品は、いつも主人公が本当は何を考えているのかという事がわからないということに魅力がある。
リア王もマクベスも途中から狂ってしまうのだが、狂ってしまった方が清々しいまでに幸せに見え、しかも達観している。
そして王と道化のやりとりがとても意味深に見えた。
政治的にはイングランドとフランスの戦争、宮廷闘争、召使いの反乱など、シェークスピアが生きた絶対王政の時代に対して、やや否定的なメッセージにも読めなくないが、こういうことをするのは当時は勇気がいったことだろう。
トマスホッブズが、近代国家の構造の道筋をその著書の中でコッソリと表したが、体裁としては王権神授説を強化するような内容としてまとめた手法と同じものなのかもしれない。
まったく文学とか芸術というものは、作者がどこまで計算して書かれたものだか想像がつかないほど示唆に富んでいる。そして読み手が人生で経験を重ねるほどに、その作品の解釈はより深くなっていくものである。
ページ数にして200ページ弱。1日で読み切れるくらいの分量なのでオススメである。
昨今、武漢ウイルスは生物兵器ではないか?という説がネット上で囁かれている。
黄色い星のピンが、武漢研究所とやらである。赤いピンが海鮮市場。ここで中国当局がいわゆるコウモリからウイルスが出たと発表した場所である。なるほど、武漢研究所から近い。
見事なまでの更地である。
こちらがかつてのP4研究所のようだ。写真中央の建物がそれで、写真右側には小さな池。写真やや上には左右に伸びる道路が見える。
たしかにこの航空写真の更地を見ると、右上に小さな池。写真のやや上には左右に伸びる道路が見える。なるほど映像と見事に符合する。
壊されてません。
コロナウイルスが中国で発症し、加速度的に広がっていった今年の2月頃にはこの噂はネット上にあらわれていた。ただ、生物兵器としたらそれを作っている中国で蔓延しているのは、それはいわば自爆であり、そんな事を中国がするだろうか?(犯行的に)という疑問があったので、その情報はまあ反中国のネットの煽りだろうと当時は高をくくっていた。
とは言うものの、
以下のような情報もあったので、中国がウイルス兵器を作っているという事についてはそれなりに説得力があり、多少気になってはいた。
ネット盛り上がっていたので、その武漢研究所とやらはどこにあるのか気になって、今日Googleマップで調べてみることにした。
黄色い星のピンが、武漢研究所とやらである。赤いピンが海鮮市場。ここで中国当局がいわゆるコウモリからウイルスが出たと発表した場所である。なるほど、武漢研究所から近い。
しかし上記した動画にあるように、武漢にはP4研究所というものがあるらしい。てっきり私はこの黄色いピンの場所がP4研究所かと思ったが、それは違っていたらしい。
この動画によると、どうやら上の写真の青いピンの場所が、P4研究所とのことらしい、、、、、が、
見事なまでの更地である。
Googleマップの写真は2019年5月のものらしく、1年前の写真である。1年前にP4研究所は更地となってしまったらしい。
こちらがかつてのP4研究所のようだ。写真中央の建物がそれで、写真右側には小さな池。写真やや上には左右に伸びる道路が見える。
たしかにこの航空写真の更地を見ると、右上に小さな池。写真のやや上には左右に伸びる道路が見える。なるほど映像と見事に符合する。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/武漢ウイルス研究所
wikiによると、この実験室は2015年1月31日に完成し、2018年1月5日に正式に運営されたそうである。それが2019年の5月には更地になっているという事実。運営からわずか1年4ヶ月で更地になるというのは一体どういうことだろう?そしてGoogleマップで更地が確認できた5月から約半年後にこの武漢で新型コロナウイルスが発症し、そして現在世界中に拡散しているという事実。
これをどのように考えればいいのだろうか?タイミング的に不可解な事が多く、今までのように海鮮市場で発生したという話はあまり信用できなくなってきている。
武漢ウイルス発生後の更地であれば、ほぼギルティなのだが、半年前なのは何故か?そして運営からわずか1年4ヶ月という短い期間で何故取り壊されたのか?
事故なのか意図的なのかはともかく、
生物兵器説は捨て置けなくなりつつある。
デマカセでした。
壊されてません。
まったくの早合点であり、見たいものを見ていたようです。
情報の取り扱いには注意しないとダメですな
ARK PHANTASYEVOLVEDというゲームがある。
ジャンルはSFクラフト系の恐竜ゲーム。
ジャンルはSFクラフト系の恐竜ゲーム。
ある箱庭クラフト世界で生活する。世界には失われた恐竜が沢山おり、原始的生活を送るが、SF的なハイテクノロジーも存在すると言う異色なゲーム。
ティラノサウルスやプテラノドン、ブロントザウルスという有名どころから、テリジノサウルス、アンキロサウルスなどのマイナー系まで網羅している。
外出が自粛されている今日では、ゲームで恐竜世界を堪能してはいかがだろうか?
https://mapchart.net/world.html
重要なのはこのあたりで、上のロシア、左のイラン、右の中国が互いに背中を守っており、後顧の憂いがない。中露イのまん中にはスタンの国があるが、これらの国が赤陣営に反乱を起こすとしたら、赤陣営が敗色を示した時であり、それまでは中立とはいえ赤陣営に協力させられるであろう。
我々にとって恐ろしいのは、この地図である。ロシアにとっては西は対EU、東は対日米と二正面作戦をしなければならない危険性があるが、中国にとってはただ東侵すれば良いので、中国にとってこの大戦に勝利するためには真っ先に日本を落とすことに勝機があるだろう。
世界地図の任意の国に色をつけることが出来るページ。
第三次世界大戦の陣営を妄想する。
赤陣営 中国 ロシア イラン パキスタンなど
青陣営 日本 アメリカ EUのほとんど オーストラリア サウジアラビアなど
黄色(中立) インド スタンの国々 トルコ モンゴル ウクライナなど
赤陣営の代表は現状では中国だろう。かつてのソ連である国のロシアは、現状では盟主とは言えないくらい衰えている。
東欧とスタンの国々が衛星国ではなくなり、いまやロシアはEUに首都モスクワの喉元に刃を突きつけられている状態である。
重要なのはこのあたりで、上のロシア、左のイラン、右の中国が互いに背中を守っており、後顧の憂いがない。中露イのまん中にはスタンの国があるが、これらの国が赤陣営に反乱を起こすとしたら、赤陣営が敗色を示した時であり、それまでは中立とはいえ赤陣営に協力させられるであろう。
我々にとって恐ろしいのは、この地図である。ロシアにとっては西は対EU、東は対日米と二正面作戦をしなければならない危険性があるが、中国にとってはただ東侵すれば良いので、中国にとってこの大戦に勝利するためには真っ先に日本を落とすことに勝機があるだろう。
米軍基地は日本、韓国にあり、これは、青陣営における太平洋での最重要防衛拠点である。
歴史的にみても、元寇で明らかのように、日本に攻め込むには朝鮮半島を経由するか、上海あたりから東シナ海を横断して来るか。これが最も懸念される。元寇は博多に上陸したように、佐世保には基地があるし、韓国にも米軍基地がある以上、中国としては沖縄、石垣、宮古、与那国などの島嶼を占領することになるだろう。
我が国が恐れるのは、中露が連携して日本に攻めて来ることである。韓国はおそらく短期で落とされるだろう。台湾も同じくだろう。
EUは比較的楽で、ロシアに対して全面的に当たればまあ勝つだろう。
問題は、ロシアはこの戦いではかなり負ける公算の方が高いということである。赤陣営で塗ったが、この国は最終的には中国を裏切りかねない。
日本は勝手も負けてもそこそこに国土は荒廃するだろう。何しろ最前線なのだから。しかし犠牲が少なく勝つためには、やはりロシアをどう取り込むか、そこにかかっていると思う。中露というのは案外仲が悪い。中国は沿海州をとられた北京条約のことを忘れてはいないだろう。
吉野家がV字回復だという。牛丼の超特盛と今月の牛丼の15%引きのイベントが、コロナ自粛の騒動と相まって売れに売れたとか。
ドライブスルーでも買えるのが大きい。自粛中に私も3回吉野家のドライブスルーを利用してしまった。