Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

カンデルシュテーク

2023年08月29日 17時31分44秒 | スイス旅行記2023年6月
カートレインというものがある。車を貨物列車に乗せて運ぶサービスである。区間は約20キロ。

グリンデルワルトからツェルマットに向かう最短コースはカートレインを利用することである。大きく迂回するコースや峠を越えるコースもあるけれども時間がかかる。

カートレインの20キロの区間はほぼトンネルの中である。しかもトンネルの中は全くライトがなく真っ暗な闇が出口まで続く。トンネルの幅も最小限の広さで古さを感じさせる良い鉄道だが、この路線は数年後には幅も広げられより快適になるとか。個人的にはこのままのほうが味があって好きなのだが。

ツェルマットは車の乗り入れを規制しているので、テッシュの町で電車に乗り換える。
15分ほどでツェルマットに到着。


そろそろ

2023年08月28日 02時44分00秒 | 政治 経済
ロシアウクライナ戦争も1年数ヶ月経ち、そろそろ何かしらの意見を書いても良い時期になったと思う。
   今回の戦争は私たち日本人にとっては対岸の火事であり傍観者という立場である。少なくとも直接戦火を交えている当事国ではない。そこは第二次世界大戦とは大きく異なる。次に今回の戦争はかつてのベトナム戦争や中東戦争とは違う。これらの戦争はアメリカとソ連という超大国から離れた地域で行われた代理戦争である。翻ってウクライナ戦争はロシアにとっては国境を接する緩衝地帯であり、その地域が親米政権になり、あろうことかNATOの加盟まで求めているという状況だ。地理的に似ている場所といえば北朝鮮である。北朝鮮はロシアと韓国の間にある緩衝国という位置付けだ。だが金正恩は新米政権ではない。NATOにも入る意思は示されていない。そういう意味ではロシアにとってのウクライナとは、北朝鮮のような緩衝国とも違っている。では似ているのは何だろう。
   かつてキューバ危機というものがあった。ここから先はアメリカ目線で物事を見ていこう。アメリカのフロリダの南にキューバという国がある。キューバは宗主国スペインの支配下にあったが幸運にもハワイのように併合を免れた国である。ただ、スペインからの独立には成功しつつも、アメリカの介入によって半ハワイのような位置付けとされてしまった。そのときカストロやゲバラのような人物がキューバには現れ、そしてそこにソ連が支援をするという形を取りいわば親ソ政権がキューバに誕生する。そこにソ連が核兵器を持ち込み、アメリカはトルコに核兵器を配備するなどをしてキューバ危機に至った。このキューバとアメリカの関係性は、ウクライナとロシアの関係に似ている。アメリカはキューバという喉元に親ソ連政権が存在しそこに大量破壊兵器を持ち込まれたのである。
  次は、昔に戻ってナチスドイツ目線で物事をみてみよう。第一世界大戦に負けたドイツは多額な賠償金を連合国によって課せられ、ことにフランスからの賠償については過酷を極めた。約束通りの期間での賠償返済ができなかったドイツに、フランスはドイツのライン川にあるルール工業地帯を接収し物納を押し通した。同時に敗戦後のドイツはプロイセンの一部やチェコのズデーデン地方、ラインラントなどの領土を失い、ドイツ帝国時代からの領土から縮小させられた。このころから世界恐慌にかけて貧富の格差はドイツのみならずヨーロッパ各地にも広がったが、超裕福層には一定のユダヤ人がいた。ユダヤ人嫌悪をついてはドイツのみならず、ヨーロッパの各国は少なくともドイツと同等程度の嫌悪感はこの時代もっていたし、1世紀前の19世紀からすでにユダヤ人はヨーロッパ諸国から嫌われていた。あとは今日知られているようなドイツにヒトラーが現れ、政権を握りドイツの経済力を回復させると同時にユダヤ人を排斥し、失われた領土をつぎつぎと高圧的な外交と再軍備によって回復させ、それがエスカレートして西側諸国が最終的にはポーランド回廊の回復にNOを突きつけ戦争に突入していった。この第一次世界大戦に負けたドイツ→財閥などの貧富の差をある社会→ある強力な政治家が時流に乗って政権を獲得し経済復興や再軍備を経て失われた領土の回復からやがては戦争にいたるという過程は、ソ連が解体した後からウクライナ戦争に至る過程と似ている。ソ連が崩壊した後のロシアはそれまで衛星国としていた国々が次々と独立をして緩衝国を失ってきた。時系列をおうならソ連の崩壊の兆しがはっきりと見えたのは1989年のベルリンの壁崩壊である。そして同年のチャウシェスク政権の打倒、そして1990年の湾岸戦争。1991年のユーゴスラビア内戦。そして1991年のバルト三国独立のあたりでソビエト連邦は崩壊する。これら一連の事件は無関係な別々の事件ではない。明らかにソ連の弱体化にともなう動きである。イランイラク戦争が1988年に集結するのも無関係とはいえないだろう。さてソ連邦が崩壊した後のロシアは資本主義へと舵を切ることになるが、新興財閥オリガルヒの暗躍もあり、ロシアはこのオリガルヒを時には潰し、時には取り込んできた。そしてそれらのオリガルヒはユダヤ人である割合がかなりあるという。ロシアはソ連崩壊直後はスーパーに商品はなく、貧困著しかったがプーチンの強権政治のおかげもあってか経済力を一定の水準まで回復させた。同時に軍備についてもそれなりには回復させてきたのだろう。さらにロシアにとっては失ったとされたクリミアの回復である。クリミア半島はピョートルとエカテリーナがオスマン帝国との戦争によって獲得した地域である。ソ連時代にウクライナを懐柔する意味でフルシチョフがクリミア半島をウクライナの管轄にしたのが、ウクライナがクリミアの領有権を主張する根拠になっているが、ロシアの立場としてみたら、ソ連邦が解散したならクリミアはロシアに戻すべきと考えるのだろう。このクリミアはナチスドイツの失われた領土の感覚と似ているのではないか。
このように一次大戦敗北後のドイツとソ連邦崩壊後のロシアというのはなかなかに状況が似ている。ドイツがベルサイユ条約の屈辱とユダヤ人排斥から戦争に至る過程と、ソ連崩壊後のロシアがペレストロイカの屈辱と新興財閥の排斥から戦争に至る過程は実に似ている。

 最後の目線は、日本目線である。
我が国は幕末に西洋列強の外国の圧力から開国させられ不平等条約を受け入れ西洋式の国家改造を明治の時期におこない、そしてそれは戦争に突入していたった時代でもあった。1867年の大政奉還以前は徳川250年の太平の世の中であったが、1867年より20年後には日清戦争が。その14年後には日露戦争が。その10年後には第一次世界大戦が。その20年後には日中戦争が。その5年後には太平洋戦争が起こった。西洋列強のスタンダードに参加することは、国際戦争のスタンダードに参加することと同義のように思えてくる。我が国は緩衝国である満洲国を作った。これは新日政権である。現在これは傀儡政権と言われているが、そういうのであれば、北朝鮮も韓国も北ベトナムも南ベトナムもさらにいえばウクライナも傀儡政権と言えなくはない。上で述べてきた誰の目線に立つかによって、傀儡とするのか親◯政権とするのかの違いが決まる。つまりは宗主国がまければ緩衝国は傀儡になり、宗主国がかてば親◯政権となる。キューバはアメリカにまければ傀儡国家とおそらくは言われただろう。南ベトナムはまぎれもなく傀儡である。ロシアがどんなに主張しようとも、ウクライナ戦争に負ければ、ウクライナはかつてはロシアの傀儡であった、というレッテルは貼られる。
  さて、1920年代以降には日米対立がやってくる。これは遅れてアジアの植民地戦争に参加してきた日米の摩擦が原因の一つであるが、最終的にはハルノートによって、満洲からは手を引けという最後通牒に従えずに日本は戦争に踏み切った。日本は世界を相手に戦うことになった。ここでいう世界とは誇張した表現であり、実態は米英仏ソ中である。禁輸政策が取られ戦争中は重い経済制裁が課せられた。中国大陸で国民党と戦っている時も、援蒋ルートで西側の援助によって国民党側は持ち堪えていた。まだ太平洋戦争が始まる前の日中戦争の南京陥落において、米英の記者が書いた南京本が今日では中立の立場による貴重な資料として使われている。そういえば現在のロシアも世界を相手に戦ってましたっけ。歴史的にはウクライナとロシアの二国間の戦争ということにされるかもしれないが、太平洋戦争以前の日中戦争のころの援蒋ルートのように、中立の第三者的国が援助しているのである。そして中立的な第三者的な国の記者は、それこと中立的にウクライナを擁護し、ロシアを非難するわけである。
それはまるで、キューバ危機において中立な社会主義国である中国の記者に、キューバ危機の是非について記事を書いてもらうというようなものだろう。つまり中立的な第三者国の、、、というのは噴飯物であるということだ。
   第二次世界大戦を経験した日本の視点からロシアを見た時、ロシアは加害国であり同時に被害国と見ることもできよう。世界を相手に戦っているロシアを見る時、私はどうしても日中戦争の最中の日本に見えてしまう。日本はその後ABCD包囲網を敷かれ、西洋列強に潰され、最後は核兵器によって降伏し、そして戦争裁判で裁かれるのである。
  我々が今日ニュースで見る報道は、いわば連合国側の報道である。ロシアでの報道はいわば大本営発表である。大本営発表だけが嘘で、連合国の報道が全て正しいとは決していえない。というよりイラク戦争や最近の戦争の報道を見るにつけ、戦勝国も同様に嘘の情報を拡散し、大本営発表と変わらない。かつての大本営発表においては日本は当事国だったので戦争の渦中にいた。渦中で聞く情報というのは空気が支配するので騙されやすい。それはウクライナ国内において発表される情報もウクライナ人にとっては渦中なので、同様に騙されやすいのだろう。
  しかし我々は今回に限ってはかなり傍観者的な位置である。すくなくとも援蒋ルートで武器をながしているような、今日の西ヨーロッパと米国などとは傍観度が高い。
つまり物事を一歩引いて冷静に見られる環境が、我が国では他の欧米国や当事国と違って整っているということだ。
   

 80年前の日本が経験したあの戦争とは、一体何だったのだろう?ということを、私は今回のウクライナ戦争をみて考えさせられた。
  そして同時に、なぜアメリカはキューバ危機で第三次世界大戦ギリギリまでの局面まで突っ走ったのか。なぜナチスドイツは戦争に至ったのかということの新しい仮説も私に思い付かせてくれた。これはウクライナ戦争直後には気づき得ないものである。皆焦り、混乱し、戦争情報を得るべくニュース番組を貪る方に漁るというような、まさに情報戦にのせられてしまう、まさに大本営発表にのせられてしまう展開なのだ。
そろそろ書いてもいい時期というのはそういう意味なのであった。
 


アイガー・エクスプレス

2023年08月26日 01時59分08秒 | スイス旅行記2023年6月
「無時間モデル」という造語がある。内田樹が編み出した言葉で、彼のいうことは要するこうだ。「労力に対して対価を得るのが、早ければ早いほど快感を感じる性質を持つ」と。これはネガティブな意味を込めて言っていることに留意しておこう。市場の売買を考えるとより分かりやすい。お金を払うのと同時に商品を手にできる。注文から到着までの時間が最短であるなどだ。アマゾンでほしい商品をポチる、決済が即日にされ翌日にはもう商品が届く。これが早ければ早いほど「便利な世の中」というわけだ。
 なぜこんな話を冒頭にしたのかというと「アイガー・エクスプレス」がまさに無時間モデルの例としてふさわしいからだ。このロープウェイは2020年12月にオープンという新しいものだ。グリンデルワルトグルント→アイガーグレッチャーの区間をわずか15分で移動する。それよりも以前は登山電車を利用するしか方法はなく、2009年の私のスイス旅行では約50分ほどかけてその区間を移動したものだ。これを使うと下界のグリンデルワルトグルントから海抜3400Mにあるユングフラウヨッホの展望台までなんとわずか40分で行けるのだ。黒部ダムの室堂は海抜2400M。バスと登山電車を乗り継いでも1時間半以上はかかる。これに慣れてしまったら登山鉄道は遅くてイライラするかもしれないが、そもそもアイガーエクスプレスがない時代には、この方法しか最短のものはなかった。それより以前の19世紀には登山鉄道などはなく、登山者のみが見ることができる絶景であった。
アイガーグレッチャー→ユングフラウヨッホの中継地点。アイスメーア(氷の海)という名前の駅の展望台からの写真。停車時間は約5分。
ユングフラウヨッホの展望台からの写真。アレッチ氷河。
氷河の上をこのように歩くことができる。この終着駅からユングフラウ頂上を目指す登山者もいる。季節は6月なので積雪が多い。

スイスの地層地質の話

2023年08月18日 18時00分00秒 | スイス旅行記2023年6月
かつてバリスカン造山運動というものがあった。かつてといってもそれは今から3億年ほど前の石炭紀あたりの話。北のローラシア大陸(ユーラシア+北アメリカ)と南のゴンドワナ大陸(南アメリカ+アフリカ+インド+南極+オーストラリアなど)が衝突したとき引き起こされた。
そうして出来たのが超大陸パンゲアである。さて、ローラシアとゴンドワナの衝突部分をみてみよう。
現在の地形とはまるで異なるが、アフリカと北アメリカの東海岸そして西ヨーロッパからスカンジナビア半島が衝突して山脈を作った。これがだいたい石炭紀またはそれ以前に起こったという。現在でもこの造山帯あたりには山脈が連なっている。
その後超大陸は分裂した。かつてのゴンドワナ大陸は南アメリカ・アフリカ・南極・インド・オーストラリアに分かれ、インドはユーラシア大陸に衝突、アフリカはヨーロッパに衝突、アラビア半島もユーラシア大陸に衝突した。これが大体中生代から新生代の間(いわゆる恐竜時代)に起こったとされる。
衝突によってピンク色の線上には様々な山脈が形成される。
アルプス造山運動によってアフリカのプレートはヨーロッパのプレートに乗りあげる形になった。山脈を形成し浸食と風化の結果現在の地形に至る。

 以上のことからわかるように、スイスは2度の造山運動を経ていることがわかる。(バリスカン造山運動とアルプス造山運動)
とはいえ上の図のABCDの過程を見ればわかるように、プレート衝突によるプレートの付加体もあれば、海底の堆積岩もあるし、火山活動による岩石も含まれる。これらすべてを含んだ混合物が露頭したものが現在の我々の目に入る景色となっている。
こちらはBIRGからSCHILTHORNの間を通るロープーウェイからの景色。大きな褶曲を見ることができる。石灰質の山である。
こちらはフィルストから撮影した結晶片岩。埼玉の長瀞のように強い圧力による変成作用をうけて再結晶化したもので特徴は薄い層をなしている。薄くはがれやすいために屋根材としても使われている。
同じ場所からの写真。
水晶室の鉱物に白雲母などの結晶もみられる。
埼玉の長瀞も中央構造線という強い圧力により変成作用をうけた地域でありメカニズムとしては似ている。



ラウターブルンネンとシルトホルン

2023年08月17日 19時14分43秒 | スイス旅行記2023年6月
氷河が削った谷のラウターブルンネン。切り立った渓谷に囲まれている。ここに海水が流れ込めば「フィヨルド」となる。フィヨルドは氷河期に氷河によって削られた深い谷が、温暖化にともなって海面の上昇により形成された。いわば溺れ谷だ。日本の三陸海岸はリアス海岸と呼ばれるが、これはフィヨルドではなく単なる溺れ谷である。河川によって浸食した谷が海面上昇をうけて溺れ形成されたものだ。メカニズムはラウターブルンネンもフィリヨルドもリアス式海岸もさほどかわらない。

一方シルトホルンに代表される「ホルン」だが、これはカールが3つ以上形成されると出来るものだ。カールとは日本の千畳敷カールに代表されるように、氷河がけずった丸い窪みである。鍋の底のような形状をしている。ある山に複数のカールができると、取り残された山は尖ってくるのだ。

ラウターブルンネンにある滝。あまりにも高いために水が霧状になって広範囲に降り注ぐ。

スイス2023年事情

2023年08月05日 20時09分19秒 | スイス旅行記2023年6月
2009年とはずいぶん事情が変わっていた。
今回の旅行はアパートメントに泊まり自炊をして滞在費をうかすというもの。
驚くべきことに2009年のスイスフランは86円であったらしいが2023年6月現在においては153円。そして今日8月では162円となっている。

 さてスイスの道路だがトンネルが本当に多くなった。しかも新しい。そしてこの国ではスピード違反は1キロオーバーから取り締まられる。私も実はやってしまった。しかも面倒なのは罰金はレンタカー会社が立て替えてくれて、手数料を加えてカード会社から引かれると思いきや、罰金の支払いは自分でスイスのHPにある支払い用サイトからクレジットカードで支払わねばならない。取り締まりはオービスである。ピカっと光ったらおわり。私はルツェルンの高速道路上で光らせました。このルートを通る方はご注意を。

 スイスフランについて。お札が2021年10月末より第九次紙幣に移行した。これによりそれ以前の紙幣は市場では受け取ってくれなくなった。私はいささかの旧札をもっていたからスイス国立銀行に行って交換してもらうことにした。場所はチューリヒ市内とベルン市内の二か所だけ。
チューリヒ中央駅から歩いて500mほどの場所。旧札は永久に交換してくれますので、お持ちのかたは焦らずにこの地図の場所に向かおう。ちなみに交換作業は待ち時間もなく5分でした。

 ネット事情。
空港にプリペイドSIMの店がある。しかしほぼ全ての宿泊施設にはWIFIが完備。したがって特に目的がない限りは買う必要はないかもしれない。レンタカーにはカーナビはついているし、グーグルマップのオフラインマップをDLしておけば通信環境がない中でもナビゲーションが使える。

 スイスフェアカード
登山電車やその他の電車の料金が50%OFFになるというカード。1か月有効のカードの料金はそれなりに高いが、登山電車に多く乗る方なら何回か乗ればPAYしてしまう。これはチューリヒ空港の地下にある鉄道チケット売り場の窓口で購入できる。

 レンタカー
正直レンタカーが必要かどうかは微妙。駐車料金もかかるコスパは良いとはいえない。ただ食料品の買い出しや行き当たりばったりな移動などを考えたり、または4人くらいの家族旅行ならあったほうがいいかもしれない。

映画「君たちはどう生きるか」を見て

2023年08月04日 06時00分38秒 | 映画


 スタジオジブリの映画「君たちはどう生きるか」を観た。
まるで難解なオペラを観たような気分になった。私の趣味がクラシック鑑賞なのでこういう言い方しかできないのが申し訳ない。オペラ作曲家であるワーグナーの「パルジファル」や「トリスタン」などが難解なオペラの代表で、ようするに初見ではさほど面白くは感じられないということを言いたいわけだ。だがスルメのように噛めば噛むほど味が出る。見れば見るほどわかってくる。人生の経験を積めば積むほどわかってくるという、厄介なつくりになっているのである。
 ということで私の現在における「君たちはどう生きるか」の感想は多分に的外れな考察が入っているものではあるが、そういう先入観を排除せずに以下に考察を書いていこうと思う。

 さっそく本題に入ろう。結論から先に言えば、この映画は主人公である真人の1人称の視点で描かれた主人公の内面世界における話である。物語が複雑なのは、この映画は主人公自身の「妄想」や「思い込み」「ごまかし」そして「嘘」も含めた1人称視点である。主人公本人がそれを意識しているかいないかはわからない。そういう意味では「信頼できない語り手」という叙述トリックを映像でやっている映画である。
 信頼できない語り手の意味は詳しくはWIKIを参照してほしい。簡単に抜粋すると以下のようなことだ。
【語り手の心の不安定さや精神疾患、強い偏見、自己欺瞞、記憶のあいまいさ、酩酊、知識の欠如、出来事の全てを知り得ない限られた視点、その他語り手が観客や読者を騙そうとする企みや、劇中劇、妄想、夢などで複雑に入り組んだ視点になっているなどがある。ーーー 中略ーーー 語り手の陥っている状態は、物語の開始と同時にすぐ明らかになることもある。例えば、語り手の話す内容が最初から誤っていることが読者にも分かるようになっていたり、錯覚や精神病などである。この手法は物語をよりドラマチックにするため、劇中で明かされることが多いが、語り手の信頼できるか否かが最後まで明らかにされず、謎が残されたままの場合もある。 】

 なぜそう思うのか?この映画は冒頭火事のシーンから始まるのだが、このシーンが明らかに不自然だからだ。映像やセリフでは母親の入院中の病院?の建物が火事になって母が亡くなるという事だが、モブの民衆の表情や動きは明らかに局所的な火事の反応であるとはとても思えないほど緊迫している。火事である建物から遠く離れているにもかかわらず、なぜ遠くにいる民衆がこうも憔悴しきった顔をしているのか? つまりこの映像には「嘘」が混じっているのである。これはおそらく空襲だろうと思われる。母は空襲による火事によって亡くなったのだろう。しかしながら主人公は、母の死を火事ということで無意識に書き換えた。実際は空襲で疎開してきたのだろう。

 この映像による「嘘」はこの後も絶え間なく続くことになる。主人公の父がどうしようもない男として描かれているのも、疎開先の豪華すぎる屋敷にしても、アオサギにしても、異世界に迷い込むのも、主人公の1人称視点での思い込みや嘘やごまかしがはいった映像である。主人公本人にはそう見えるのだ。そう見える理由は彼がまだ子供であるということもあるが、同時にトラウマもあり、精神的にも追い詰められているからである。
 ではアオサギとは何をさしているのか?アオサギは醜い自分の象徴であろう。自分の心の内が実体化したものである。アオサギの姿がだんだんグロテスクになっていったり、喋ったりしていくのは、醜い自分を自覚しだしているのか、はたまたそういう自分を殺そうとしている(自殺しようとしている)のか。アオサギに恐怖を覚えた瞬間の映像は真人に無数のカエルがまとわりついた映像としてあらわされている。面白いのは、この映画ではやたら動物や鳥などが出てくるが、これらはすべて主人公が見たことのある動物である。みたことのないモノはでてこない。想像力は、実際にみたことのあるものの中から生まれるということを表しているのだろうし、子供にとって強烈な経験や感情というものはこの映画の映像のように突飛にみえるものなのである。のちに鳥たちが非常に狂暴な存在としてあらわれるが、主人公はまだ子供なので実際の狂暴な人間の大人を知らない。知らない主人公から見える世界は、まさに映画のような突飛な世界になるのである。
 では劇中にでてくる大叔父が建てた塔とは何をさしているのか?
塔はおそらく「自分の世界観」を象徴してるのだろう。大叔父はこの塔の中で本を読みすぎてオカシクなった。夏子はこの塔につわりの最中に迷い込んだ。主人公は失われた母をもとめてこの塔に迷い込んだ。若かりし頃のキリコの世界にもこの塔は存在した。久子も作中1年間失踪した事件があったと語られているが、おそらく塔に迷い込んだのだろう。主人公と一緒にバタージャムをのせたパンを食べた世界がそれであり、そこにも塔があった。
 塔とは「自分の世界観に囚われた生き方」なのかもしれない。映画のラストでそれが崩れるのは、主人公は何かに囚われた生き方から一皮むけたということを表しているのだろう。狂暴な鳥も、塔の外(真人の本当の現実世界)に出た瞬間に小さくなり、ただのセキセイインコになるのは、囚われた世界からの解放でもある。あの鳥はどう考えても大人の人間そのものである。つまり真人は大人に失望しているからこそ、狂暴な鳥に翻弄されるという視点をもっていたのだが、囚われた世界観から覚醒した主人公は大人も自分以上に苦悩を経た人間であると気づき、怪物のような容姿ではなくなった。つまりトラウマから醒めたのである。

 ではラスト付近に登場する大叔父の空間と、白い積木、そして巨大なる意志をもったような石とは何か?
 あきらかに白い積木を積み上げる行為は「理想の世界」を描いているのだろう。しかしその理想は無垢すぎて人間には到達できる場所ではない、いわば観念の中にしか存在しないものである。悪意のないもので積みあがった世界だからだ。
 空に浮かぶ石やチリチリとしびれるあの石はいったい何なのか?なぜ夏子の産屋と大叔父の住む場所にいくには、あの石を通過していかなければならないのか? この辺りはしっくりくる答えがわからない。まるで漫画版ナウシカの墓所の石のようだ。

 さて、この映画にはセルフオマージュのような映像がいくつもでてくる。帆船は明らかに紅の豚の死者が舞い上がる飛行機を想起させるし、アオサギの羽をつけた矢が勝手に動き出しすごい威力で壁に刺さるなどの描写はもののけ姫を思い起こさせる。その他にも随所にこれまでのジブリ作品に似た映像が挿入されている。これはいったい何か?
 これを私はワーグナーの楽劇で取り入れられている「ライトモティーフ(指導動機)」と解釈している。簡単にいうと登場人物の行為や感情、状況の変化などを端的に、あるいは象徴的に示唆するために使う手法のことである。
つまり今作の映画におけるセルフオマージュは、そのオマージュの状況に近いものが今作の作中で現れてるいると考えると多少辻褄があう。
 わらわらはもののけ姫のコダマのオマージュであり、いわばプレ生命である。コダマは樹木のプレ生命である。鳥の王が木の橋を剣で切って主人公を落とそうとするのは、ラピュタでのパズーが橋から落ちるシーンのオマージュだが、これもそのときの心情をあらわしたものだろう。

 以上の解釈から考えると、今作はトラウマに苛まれ生きる希望を失いかけた主人公がキリコと夏子との出会い、そして自分に向き合い善意と悪意の両方をもった自分を認め、トラウマを乗り越えこの世を肯定的に生きるというあたらしい世界観を獲得した、という話といえるだろう。
 「彼はこのように生きました。では君たちはどう生きるのか?」という話であります。もちろん「彼」とは真人でありそして宮崎本人です。