Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

コロナのお話

2020年07月17日 04時15分00秒 | 歴史
本日の感染者は622人だそうである。言葉や数字とは不思議なもので、何でも一緒にしてしまう。今年の3月あたりが日本におけるコロナのピークだと思われるが、本日の感染者はその数に肉薄しているようにみえる。3月のピーク時は1日あたり700人くらい感染者していた。死者は記憶では1日20人くらいを超えていたように思う。
数字で見れば感染者は同程度。だからテレビでも「すわ大変だ!また緊急事態宣言か?」という内容をやっているらしい。が、死者は0である。今週の死者はほぼ0か1人で推移している。
つまりこの情報だけを見ても、今日の状況は3月の状況とは似ていない。違う状態と考えるべきだろう。




一方こちらは世界の状況。世界の国々の統計の合計というわけだ。これによると感染者は80635人で、死者は1747人。死者÷感染者は0.02166。100人中2.1人の死者である。
さて乱暴だが、この0.02166の死亡率を日本の本日の感染者数である622人にかけてみる。そうすうると、13.47人。しかし実態はこの日の死者は0である。

素直に考えると、感染者の定義が3月と今日の7月とでは変わったのだろう。かつては38度の熱が何日以上続いた、とか、そういうのが感染の定義だったりした。しかし今日ではPCR検査などで、ウイルスが体内にどのくらいいるかという定量で恐らく測られているのだろう。なぜなら今日では無症状でも陽性で感染者にカウントされているものが過去と比べて圧倒的に多いということはニュースとか見ていてもわかる。

日本ではコロナによる1日の死者が最大15人〜25人くらいがピークだったように思う。ということは、今日の感染者622人で死者0あるいは1という推移は、これの15倍の規模ではじめて死者がかつてのピークの15人ほどと並ぶことになる。622×15=9330。つまりかつての感染者700人は、今日の9330人に相当するものであると言えなくもない。つまり感染者の見極めの精度が上がったため、かつて同じ精度で測ったとしたら、やはり1日あたりの感染者は10000人くらいはいた、と考えられるというわけである。
  勿論ウイルスや人間の免疫力は冬から春にかけてのほうが今日よりも厳しい状況ではあるだろから、それを差し引くとしても、まあ1日あたり6000人くらいで、今年の3月に相当する規模と乱暴にいってもいいのかもしれない。

  しかしそうなると、世界の統計である感染者8万、死者1700人はどう考えたらいいのだろうか? 死亡率2.16%である。
ごく普通に考えるならば、その答えは「世界は日本ほど厳しいな感染者の定義をしていない」ということだろう。つまり日本の感染の定義を世界に当てはめたら、本日の世界の感染者は8万人では利かないのだろう。100万人とかになるのではないか?

もちろんこんな乱暴な意見はテレビでは流されない。しかしテレビは「人間はウソをつく」ということを省いて、発表の数字をそのまま流す。

テレビによれば、日本の対コロナ対策は世界と比べて優等生ではないらしい。むしろ失敗している方の国と報じている局も多いし、専門家の一部もそういう意見を言っている。
とすると、本日の感染者の622人がウソか、あるいは本日の死者0がウソか、あるいはテレビや専門家の一部の言っている意見がウソかのどちらかが考えられる。
どちらも本当だとしたら、矛盾するからである。発表の数字が本当だとしたら、日本は死者が出ない優等生であるから、テレビや一部の専門家はウソをついていることになるし、逆にテレビや専門家の言っていることが本当だとしたら、感染者622人で死者0はウソの発表ということになる。

どちらが本当なのかは知らないが、どちらかがウソを言っているということについては恐らく確かである。
意図的なウソなのか錯誤のウソなのかはともかくとして、、、。

しかし死者の発表でウソをついていたとしたら、大胆なことをするものである。それこそ戦前の大本営発表のようなものだろう。たしかに国家は時としてそういう事をする。
しかしニュースや専門家などがデマやウソを流したりするのは良く目にしたりするので、こちらも同様に鵜呑みにはできない。

いずれにせよ、どちらの陣営の発表も鵜呑みにするのは危険だろう。統計のウソであれば、いずれ死者の数がごまかせなくなるだろうし、ニュースの嘘も同様であるから、注視はしつづけるべきだろう。


私の今の認識では、本日の感染622という数字は、過去と比較できる数字ではない。したがって、本日を過去の3月のピーク時のようなものとは一切考えない。なので622人感染が多いとはほとんど思わない、である。




アマゾンプライム会員に勝手に登録されていた。

2020年07月01日 14時14分00秒 | 世間話
これで2度目の誤認登録である。
1回目の入会に気付いたのは、クレジットカードの明細をチェックしていた時のこと。この時は2ヶ月も支払っており、1ヶ月分は返金されたので、500円の損失だったが、「まあ仕方ないか」と請求はしなかった。今思えば、この時キッチリと請求しておくべきだった。
2回目は、2日前にアマゾンを通じて図鑑を買ったのだが、本日メールをチェックしていたら、アマゾンプライム会員入会ありがとうございますとか、訳の分からんメールが届いていたことで気付いた。

1回目のミス?があったので、アマゾンで買うときには、誤ってプライム会員に登録しないように気を付けて購入処理をしてたのだが、なんでまた入会してたんだろうと訝しむ。
初回はともかく2回目であるから、これは私の不注意とはもはや思えなくなった。まさか勝手に入会させられているのではあるまいな?という疑問が湧く。
そしてネットで同じような症状の人がいるか調べてみると、、、、、、いるいる。
検索ワードに「勝手に入会」というものがあるくらいだ。

で、真相というと、


これである。ここでみぎの「次に進む」を押すと、めでたくプライム会員に入会である。なんだそりゃ?
『次に進む(登録する)』というボタンがアマゾンプライム会員入会のボタンのようで、入会せずに購入手続きにすすむには、画面中央下にある青いリンク先である「アマゾンプライムに登録しない」というボタンを押さないといけないらしい。

こんなの騙す気満々ですやん。

アマゾンドットコムにおける文法では、黄色いボタンというのは、購入手続きの「次に進む」「確定」「カートに入れる」などの一連の手続きをスムースに示唆するためのインターフェースである「はず」である。
それが「次に進む(登録する)」などという手続きのボタンのように思わせる文面で、プライム会員にさせてしまうという悪辣なことをするとは。。

これがいかに悪辣なのかは、もう一度上の画像全体を見て欲しい。
「今すぐプライムに登録すると云々、、」
という文章の後に、次に進む(登録する)というボタンがある訳だ。つまり、「アマゾン側では全然騙していませんよ。そのように誤読するあなたに問題があるんじゃありませんか?」というアマゾン側の対抗弁論が、この画像からすでに読み取れるわけである。(ただし事後だが。その事後であることもアマゾンの狙いなんだろう)
おそらく私の主張するようなクレームや場合によっては訴訟などを、アマゾンはかなり受けているのではないかと思われる。それに対するアマゾン側の対応が、プライムの特典を使わなければ、返金に応じるという対応でもあり、または、、ここで私が妄想した「あなたの誤読では?」という対抗手段である。

私としては、会員にならずに購入手続きに進むボタンが、青いリンク先のコレであるという時点でギルティである。黄色ボタンがプライム会員登録というのは悪意がある。そして、それを指摘された場合には、上の画面全体を見たときに、アマゾン側の主張、すなわち「いや、これは購入手続きではなくて、あくまでアマゾンプライム会員の登録の是非を聞いているだけの画面ですよ」という主張にも、一応矛盾しないような作りになっていることである。そういう作りになっているそのことことそが悪辣なのである。

なぜなら、「返金に応じる」、「そういう作りになっている」、という点はつまり、
気付かないでずーっと月額500円を払い続ける人に対してアマゾン側は、「意図的に」注意を喚起しないわけである。
つまりそのような「誤解に基づく登録」における支払いに対して、アマゾンは大した注意喚起をしないどころか、(気付けば)返金に応じるという行為をすることによって、気付かなければその支払いは喜んで受け取るというわけであるからだ。

老人は支払い続ける。必ず支払い続ける。なぜなら、確実にプライム会員に知らないうちに入会させられ、クレジットカード明細やメールをきちんとチェックしない限りは毎月500円を知らず知らずに吸い取られていくからだ。
しかもこの月500円というのが絶妙な金額で、手続きの面倒くささを考えれば、「まあ500円なら仕方がないか」などと思わせることが出来るギリギリの金額が500円という額である。私が冒頭に仕方がないか、と500円諦めたのはまさにこれである。老人なら手間の面倒さを考えればなおさらのことであろう。

そして、このアマゾンプライム会員の解約だが、解約のためには、解約のボタンをなんと3回も押さないといけないのである。
ボタンを1回、あるいは2回目を押しただけで、ブラウザを閉じてしまう人もいるのではないか?

結論だが、一体アマゾンは何を売っているのだろうか?
この件からわかることは、
アマゾンにとっては「誤解」というものも商品なのだ。しかも気付かなければ、それは月額500円の商品なのである。
こんな誤解を解こうとしないということは、それはもう嘘をついているということと同義である。

携帯電話会社も、老人にタブレットをタダと称して契約させ、通信料の月額5000ナニガシの金額をボッタくるという手法とするが、あれと同じような構図である。
誤解を商品にしてやがる。ネットにおいては誤解はいまや商品だ。それが世界的にトップ企業であるアマゾンもそうなのだから、アマゾンという会社はやはりロクなものではないし、人間の悪意というのはある意味底知れぬものがある。