リツゲイ稽古場日誌

劇団立命芸術劇場の稽古場日誌です。日々演劇と向き合う団員たちの思いが垣間見える、かも...?

私とラジオ(2165文字)

2018-10-28 23:26:07 | 2018年度卒団公演
こんにちは。お世話になっております。
前回はすごくどうでもいい手帳の話を書きました。
あんなに迷っておいて結局ふらっとに売ってる高橋手帳を購入するという始末。
あの話は今となっては全て意味のない話でした。
今回は、本公演に関係する話でもしようかと思います。
 
私は数年前から深夜ラジオが好きでして、今でも聞いております。
こんなにラジオ好きになったきっかけは、「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」をたまたま聴いたことから始まっています。
この、「アルピーANN」は、今でも伝説と言われているラジオ番組の一つだと思うのですが、なかなか魅力を伝えるのが難しい…。一言で言い表せない魅力があるんですよね。朝井リョウか誰かは「劇場型ラジオ」と表現していました。
私的にはアルピーANNはパーソナリティのアルコ&ピースの不十分さが人気の一つだったような気がします。ちょっと変わった内容(詳しい内容は各自グクって下さい)で、パーソナリティ本人もリスナーも若干ノリについていってないことも多いんですが、だからこそ、思いもよらない角度から意味不明なメールが送られてきて、爆発していく。1回1回が聞き逃せないラジオでした。深夜ラジオってパーソナリティの魅力で成り立っていることが多いのですが、このラジオはリスナーのメールの魅力が他のラジオより数段上回っていました。
深夜ラジオのリスナーってやっぱりどっかダメな人が聞いてると思うんですよ。私しかり。なんか、日常が上手く幸せに暮らせないというか。アルピーANNをモデルにした佐藤多佳子さんの「明るい夜に出かけて」という小説の主人公も鬱屈した日々を送る大学生でしたが、やっぱり、そんな人くらいじゃないと深夜にラジオなんて聞かないですよね。まともな人は寝てるし、パリピはどっか遊びに出かけてるんじゃないでしょうか。そういうダメな人が集まってしのぎを削って送ってくるメールです。めっちゃおもろいんですよ。
マスメディアはマイノリティの立場でいなきゃいけない、はマツコデラックスが言ってた言葉ですが、深夜ラジオは特にその要素が強いと思います。深夜ラジオってダメなところがすげー面白い。アルピーがリスナーのメールに翻弄され、番組が収拾つかなくなるのが面白いんですよね。ダメなところに謎の親近感が出る、というか。ネットやテレビのコンテンツの様な計算された面白さとはまた違います。
今回の「Radio!Radio!Radio!」もダメな人が活躍していました。(ゴールデンタイムのラジオ、という設定でしたが。)コバさんは歯に衣着せぬトークでスポンサーに嫌われ、ふらのちゃんはあがり症で話したいのに上手く話せない。ラジオだからこそ、こんな2人がパーソナリティとしてやっていけたんだな、と勝手に思っております。ラジオって言わばオワコンな表現メディアなんですよね。だからこそ世間に馴染めなくなりドロップアウトした人が輝く。ネットとはまた違った環境です。
演劇もアナログな表現メディア(と言っていいのかは分からないけれど)で、私は演劇もラジオに近いものだと思っています。
何でリツゲイに入ったの?という質問は今までアホほどされて、その度に色々な答えを言いましたがが、私の一番の理由は演劇らしい演劇だと思ったから、です。
確かに月光斜のような派手な演出も、西一風のような奇抜さの欠片もありません。私がこれまで参加した公演は全てリツゲイの売りである、具象舞台の会話劇でした。だからこそ、人々の悩みとか、私たちの社会の弱いところとか表現できるものがあって、それは私の考える演劇の表現だと思いました。(別に月光さん、西一さんの劇を貶している訳ではないので悪しからず。)
別に毎公演来て貰わなくても、たまたま時間が空いてたから来て下さっただけでも構いません。自分みたいなダメ人間が世の中結構いるもんなのかもしれないな、と思ってくだされば、私は公演を行った意味が十分にあったんじゃないかな、と思います。
私が深夜ラジオを聞きはじめて、ちょっとだけ気が楽になったのと同じように。
 
長々とありがとうございました。
今公演で私は卒団ですが、今後もリツゲイを見守ってくだされば、と思います。
冬公演は今から要チェキチェキだぜ!
 
あ、あとみんな深夜ラジオ聞こうぜ!!
 
コメント
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