先日、関西の小学校で発生した悲惨な事件…。
亡くなられた先生に心からお悔やみ申し上げると共に、肉体的・精神的に被害を受けた方々の、1日も早いご回復をお祈り致しております。
凶悪的な犯罪が増加したと言われる一方で、凶悪事件の件数そのものはむしろ数十年前のほうが多かったというデータもあるようです。
確かに、数字そのものではそのとおりかもしれません。
しかし、その内容…「質」が、かなり変容しているように感じます。
昔であれば犯罪の動機が、例えば、食欲・性欲によるものであったり、金銭欲・権力欲によるものであったり、恨み・憎しみによるものであったり、或いは保身のためであったり…。
事件そのものは残虐であったとしても、人間の本質に近い部分から発生したものが多かったように思います。
しかし昨今の凶悪事件を見ていると、先の小学校の事件にしても、恨む対象となる先生を殺傷すればよかったわけですし、奈良県で発生した女児の殺害にしても、単に「イタズラ」をすればよかったわけで、殺す必要はなかったわけです。
(ここで言う「すればよかった」とは、「そうなればよかった」という意味ではなく、「そうすれば犯人の欲求を満たせるはずなのに」という意味です)
過去、次々に生まれた、人々を幸せに導くかのような様々な商品・情報・ノウハウ・マニュアル、更には法律・価値観など…。
理屈から考えると人類は日増しに「幸福」に向かっていきそうなものですが、こうした事件を見ていると、個人的にはなぜかそんな実感があまり湧いてきません。
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明日もまた、お会いできたら嬉しく思います…
本当に、本当に悲しい事件です。。。。
関西の小学校のニュースでたまたま見かけた一般の方の
「学校の教育問題じゃないの?」というコメントがありました。なんでもかんでも「学校」という
その考えこそが問題なのじゃないのか?!と、、、、
身内にも熱血教員が居る私の(勝手な)怒りが
込み上げました。
少しだけ、こらえきれない想いを書かせて頂きました。ありがとうございます。
確かに、中には「質の悪い」教師もいるかとは思いますが、素晴らしい先生も多くいらっしゃることと思います。
何かというと、「先生が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」「国が悪い」という風潮、私も好きではありません。
全て任せきりにするのではなく、家庭・学校共に考え、よりよい「道」を模索してゆけるとよいのではと思います。
道徳を知らないテレビは無意味な殺し合いのアニメを子供たちの頭に叩き込んでいます。ゲーム業界に至っては何をか言わんやです。
道徳を知らない政治家と役人は時代遅れの刑法をアップデートせず、殺人少年殺人少女を野放しにするばかりか、暴走殺人トラック運転者を「業務上過失・・・」で起訴させたりしています。何が「業務上」なのでしょうか?何が「過失」なのでしょうか?
こんなことは石油文明による地球温暖化で人類を滅ぼそうとしている人々の罪に比べれば小さな罪悪でしかないかもしれませんが、あまりにも身近なことだけに、悲しみに耐えません。せめて、自分の子や孫には道徳を伝えたいと思います。
私も、心情的には「パパハポン」さんにかなり近いものがあります。
「人心の荒廃」の原因については、様々な方々それぞれの考え方があるかとは思いますが、「パパハポン」さんの仰ることがその要因の1つであることには間違いないのでは、と、個人的には思います。
「どこかがズレてきてるのかな」という思いは、強くありますね。
何気なくその子供達の表情を見て凍り付きました。無表情な眼差しと薄ら笑い。いったい何を考えながらゲームをやっているのかと怖くなったことを覚えています。
核家族化が進み、祖父母の生死すら子供達の遠い所にいってしまって、死ぬ事に痛みを感じられなくなっているのかもしれません。
最初に家族が、そして学校や社会の人たちが力を合わせて教えていかなくちゃ駄目なのでしょうね。
「ゲーム=悪」と、短絡的な発想をするのはよくないのかもしれませんが、確かに、自我が確立する前の状態で、バンバン人を撃ち殺すようなゲームをするのはどうなのだろうか、と思います。
「人はまた生きかえる」と思っている子供も多いそうですし…。
昔からずっと、いつの時代の人たちも、「いまの若い者は…」と言っていたそうですが…。
う~ん…、
それでもやっぱり、今の人たちは、どこか「ヘン」になってきているのでしょうか。
きょうは那珂川沿いの公園で「お花見」しました。証拠写真をしっかりアップしたので、「お花見にも連れて行ってくれない・・・」という類の攻撃を多少は防げると思います。
ヒマがあったらフィリピンにも遊びにきてください。歓迎します。
フィリピンへは行ったことがないので、ぜひ1度行ってみたいです。