幸せについての考察 【桐棺三寸】

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「手間のかからない人になりたい」という考え方に端を発する、「幸せ」についての雑感

2005-02-23 | 日記 Ⅰ

あなたの周りに「手間のかかる人」って、いませんか?
言動が悪いということではないんだけれど、なぜかトラブルの元となったり、面倒な事柄を持ち込んできたり、或いは他の人だったら1回で済むことが、その人には何度も必要であったり…。

個人的には、他者から見て「手間のかからない人」になりたいと思っています。

「手間のかからない人」というのを言い換えてみると、
「知識・収入・健康・人間関係・各種トラブル」その他諸々について、「自立している・自己防衛できる・他者に迷惑を及ぼさない」ということでしょうか。

しかし、今度はそうなることによって、「自立できない人たち」がその人を頼って集まってくることになるかもしれません。
そして、よけいな負担を増加させるそうした状態は、「幸せな状態」とはいえないのでしょうか?

集まってきた連中を、自分に都合がいいように「取り扱う」っていうのも好きではないし…。

やっぱり、人に頼って、或いは組織に頼ってヘバりついている…。
そうした状態のほうがラクであり、そして「幸せ」なのでしょうか。

それでも私は、「手間のかからない人」になりたいですね。
何ででしょうかね?

それは、「ラク」だとか「幸せ」だとかとは違う「カッコよさ」という範疇のことなんでしょうか。
しかし漠然とではありますが、「手間のかからない人」になったほうが「幸せ」に近いような気もするのですが…。

結局「幸せ」っていうものは、「極めて主観に基づくもの」なのでしょうか。
肉体的にはラクでも、他の人に手間をかけさせてしまっているような状態はイヤだ、というような…。
そして、他の人から「ダメなヤツ」と思われるのがイヤだ、というような…。

それならば、他の人に手間をかけてしまっている状態でも、それを苦痛と感じないのなら、そのほうが「幸せ」ってことなんでしょうか?

私個人としては以前「戯言(ぎげん)」で表現したとおり、
「主観的な幸せと客観的な幸せの両方を満たして初めて本当の幸せ」
だと思うのですが…。

…って、それが既に「主観」か…?


 (←いま何位?)

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明日もまた、お会いできたら嬉しく思います…
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