幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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何と比べていますか?

2004-12-16 | 日記 Ⅰ

「普通、上司であるあの人がもっとこうするべきなんだよ。」
… いろいろなグチが、日々出てきます。

しかし、例えば「こうするべきことをする上司」って、本当に出会ったことありますか?
私たちがいう「普通…」って、本当に「普通」のことなんでしょうか。

私たちが他者に対して思う「普通」っていうのは、実は、自分の中にある「理想像」じゃなかったりしないでしょうか。
そして、その普通と思っている「理想像」と比べて、対象物が「それ以下」と感じてしまっていないでしょうか。

欠点だらけの上司も、欠点だらけの他者も、実はそれが「普通」なのかもしれません。

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厄介な、「体験」という「事実」

2004-12-15 | 日記 Ⅰ

昨日、「事実による裏付け」ということを書きました。
自分の中から発した「思い」に、想像ではなく「事実」により裏付けをし物事を見るべき、というような意味でした。

「事実」といった場合、真っ先に思い浮かぶのが、「自らの体験」ではないでしょうか。
自分で実際に見聞きし、体験した事実…。
確かに、これ以上の「事実」はないように思えます。

しかし…、
私たちの見聞きできることや体験できることというのは、「この世の全て」の中の、ごく一部にしか過ぎません。

そのような一部の事象は世の中全体の「サンプル」である、といった見方も当然できますが、「私が実際に体験したんだから、他のことも全部そうだ」という「想像」になってしまう危険性もはらんでいます。

そのために、自分の「思い」と「世の中」との「送受信」を行う前の最終チェックとして、更に「主観」か「客観」か、というものの見方が必要になってくるのではないかと思います。

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「思いの合理化」:その2

2004-12-14 | 日記 Ⅰ

昨日、「思いの合理化」ということについて書きました。
「好き嫌い」などの感情的な気持ちから発生した「思い」が、本人の気付かぬうちに「善し悪し」という一般的な価値基準と混同してしまう、というようなことでした。

そしてこのように混同された「思い」に、今度は「想像と事実」「主観と客観」といった事柄がやはり混同して添加され、「思い」がより偏った方向に進んでいってしまうことがあるように思います。

例えば本来であれば、
「善し悪し」などの一般的な価値基準によって発生した「思い」に、「事実として存在する物事」による裏付けをし、そうして加工された「思い」を「客観視」し、行動に移すに如(し)くべきものであることを確認した後、行動を起こす…、
という過程を経るべきものだと考えます。

しかし実際には、
「好き嫌い」などの感情からの「思い」の発生でありながらそれに気付かず、それが事実として裏付けのなされていない「想像」により更に極端に増幅され、客観視することなく「主観的な観点」のみの判断により行動に移す…、
という流れを辿ることも少なからずあるのではないでしょうか。

昨日も触れましたが、「成功」するのも「幸せ」になるのも、「他者が圧倒的多数を占める世の中」においての「自分自身」です。

「好き嫌い」と「善し悪し」
「想像」と「事実」
「主観」と「客観」
自分の「思い」が今、「どこにあるのか」考えてみるのも必要ではないでしょうか。
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「思い」の合理化について

2004-12-13 | 日記 Ⅰ

「行動の合理化」という言葉があります。
自分の行動に後から合理的な解釈をつける、という意味合いでしょうか。

私は、「思い」にも「合理化」があるものと考えます。

「個人的」な、「好き嫌い」や「これを信じたいという願望」、更に異性であれば「魅力の有無」など…。
そうした感情が基となっている「思い」に、後から合理的に「一般的」な価値基準による「善し悪し」という解釈を付けてしまっているという…。
しかも、自分ではそれに気付ぬまま…。

「善し悪し」と「好き嫌い」、一緒くたになっていませんか?

あなたが今、「善し悪し」で判断していると思っていることは、実は、「好き嫌い」をその根本としていませんか?
あるいは、「これが本当なら自分にとって都合がいい」とか?

もちろん、機械ではなく人間、ですから、感情に基づく思考もあって当然だと思います。
しかし、こうした意識の有る無しだけでも、「物事の見方」はかなり変わってくるのではないでしょうか。

以前にも書きましたが、「成功」するのも「幸福」になるのも、たくさんの人々が生きている「この世の中」において、です。
よりよい情報・判断を得るためにも、こうした概念は必要であるかと考えます。
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12月10日掲載分

2004-12-12 | 戯言 Ⅱ

「周りがバカばっかり」?
あなたがそんなレベルの低い所に
いらしたんじゃもったいないから、
もっとレベルの高い所にお出(いで)になれば?

「オレはここに居たいんだよ」?
それじゃあ、あなたがそこのトップに立って、
好きなように変えれば?

「こんな所の責任者なんかヤダよ」?
責任取る気もねえヤツの価値観、押しつけられちゃ迷惑なんだよ。
結局アンタも同じレベルってことだろ?
自分が見えてねえ分、よっぽどタチ悪いぜ。

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原点回帰

2004-12-11 | 日記 Ⅰ

このブログを始めて、約1ヶ月が経過しました。
おかげさまで読んで下さる方も順調に増えております。
これもひとえにみなさま方のおかげと、改めて感謝申し上げます。

ブログの内容については、これまで毎日更新を重ねてきました。
最近ご覧になった方には、或いは「成功についての見解」みたいなブログと思われてしまうかもしれません。
しかし「自分自身の基本的資質を向上させる」という考え方でも書いたとおりに、これは、数千数万の項目の一部分にしか過ぎないものです。
「成功」について書いた場合に反響が多かったことも事実なのですが、その意味では少々「成功」に長居をしてしまいましたか…。
(因みに、毛色の違う話題として、例えば
「生き方」と「容姿」について
女性における快感・絶頂感の考察
自殺について
などもあります)

私がこのブログを発信する目的は、「戯言(ぎげん)」とは?及び戯言家宣言で書いたとおりです。
また、その中でも特に、以下のような方々にこそアピールしたいと思っています。

* 「当初の目標を忘れかけている人」
熟慮の末の目標に向かって歩き続けながらも、その目標をなんとなく見失いかけていないでしょうか。
そのような方々に異質な価値観をぶつけることにより、「そうじゃないだろ?」と、その方の歩くべき道を再確認してもらうことができたなら…。

* 「一つの価値観に妄信的になってしまっている人」
多様な価値観があるにも関わらず、よく考えることのないまま一つの考え方にのみ固執していないでしょうか。
そのような方々に「こんな考え方もありますが」と、他の選択肢を提示することができたなら…。

* 「何も考えることなく漫然と生きている人」
激変のさなかで…で書いたとおり、今まさに激動の真っ只中だと感じています。
日々、なんとなく生きている方に、何かを考えるきっかけを与えることができたなら…。


何度も触れていることですが、私は「多様な価値観、大いにあり」という考え方です。
そして、価値観を押し付けることも、押し付けられることも好みません。

仮に私の価値観をある人に押し付け、その結果、その人が不幸な人生を歩むこととなってしまったら…。
「責任取れ」と言われても、どうしようもありません。
また、その逆もあるでしょう。

繰り返して強調しますが、
「多様な価値観、大いにあり」
「自分の幸せは、自分で考え、自分の責任において、自分の意志で掴むべき」
です。

そして、そのために、
読む方が、自分の意志で幸せになる道を考える手助けができたなら…。
そして、そのような方を一人でも多く増やすことができたなら…。
大袈裟ですが、自(おの)ずと「世界」も良くなるかもしれない…。

そんなコトバを発すること … それが私の「夢」でしょうか。

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「成功の定義」とは?

2004-12-10 | 日記 Ⅰ

「こんなだった私が、今では年収これだけになりました。このノウハウをあなたにも…。」
…っていうの、時々見かけますよね。
この場合、年収いくら以上を「成功した」と言えるのでしょうか。
また、その状態がどのくらい持続した場合なのか…。
まさか「瞬間最大風速」ってことではないんでしょうけど…。

一般的に言われている「成功」には、
「夢・目標を、実現・達成する」っていう意味と、
漠然と「金持ちになる」っていう意味があると思います。

年収何十億も稼ぎ、有名になり、豪邸に住み、高級車を乗り回し、高い店で飲食し、美女をはべらかせ…。
こんな生活に憧れを抱く人もいると思います。
私は、そのような価値観を決して否定しません。
他者に迷惑を及ぼすことなく、自分の望む生活を追い求めるべき、と考えます。

しかし私個人は、「全ての幸福が、ただ『カネ』という一点の上にのみ立脚している」という状況に、あまり価値を感じません。
「カネ」がなくなった瞬間に全ての幸せが消え失せてしまうという、まるで脆く儚い「砂上の楼閣」のような…。
(「土台を強固な岩盤にすりゃあいいだろう?」という反論が聞こえてきそうですが…)

CMのセリフではありませんが、もちろん「お金は大事」です。
日々の生活に窮するような収入では、不幸を招いてしまうと思います。

しかし、
健康で、普通に生活していけるだけの安定した収入があり、自分が大切に思っている人々が逆に自分のことも大切だと思ってくれていて、そばに居て欲しい時には居てくれる…。
そんな「基盤」があって、その上で更に、
自分の好きなことで収入を増加させることができて、好きなことをする余裕のある時間を持つことができて、そして、多少なりとも世の中にとって有益な存在となれたら…。

たとえ何億もの収入がなかったとしても、私にはそのほうがずっと「幸福」だと感じます。
というよりも、そのほうが遥かに贅沢で、また実現困難なのかもしれませんが…。

そのような生活を実現させることが、私にとっての「成功の定義」と言えるのかもしれません。

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「雄弁な勝者」と「寡黙な敗者」

2004-12-09 | 日記 Ⅰ

再び「成功するためのノウハウ・マニュアル」について、ちょっと書きたいと思います。

「成功」という線引きがどこでなされるのか曖昧ではありますが、起業をして成功する確率は1%程度だと聞いたことがあります。
起業した仕事で生活していける人でも5%くらいなものでしょうか。(もっとあるのかな?)

「成功する」確率:1%…。
「失敗しない」確率:5%…。


例えば、起業に「失敗しなかった人」5人のうちの4人までもが、同じ「成功ノウハウ」によって「失敗しなかった」とします。
そこだけ見ると、「なんてすばらしいノウハウなんだ!」って思いませんか?

しかし、残りの「失敗した人」95人のうちの、やはり8割までもがそのノウハウを実践していたとしたら…?

その「ノウハウ」の「8割」という数字は、
「成功する確立」ではなくて、
「起業する人が実践する確率」ということになります。
(ノウハウの「発信者」は、「失敗した人は、実践方法が間違っていたんだ」と言うんでしょうけど。)


勝者は雄弁に物語り、また、誰もがその話を聞こうとする…
敗者は黙して語らず、また、誰もその話を聞こうとしない…

世にあふれる「成功ノウハウ・マニュアル」。
それは成功者のみ、またはその本人によってのみ、物語られていないでしょうか。
夢をつかむのは、「勝者も敗者も存在するこの場において」です。

勝者からのみではなく、敗者から学ぶべきことも多いのではないでしょうか。
夢に一歩踏み出す前に世の中を、そして現状を、一度冷静に見つめる必要があるように思います。

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「積み重ねてゆくこと」と「掘り進めてゆくこと」

2004-12-08 | 日記 Ⅰ

昨日、「積み重ねてゆくこと」と「掘り進めてゆくこと」という意味の話をしました。

私自身は、
「知識・頭脳」に関することについては「積み重ねてゆく」
「精神・心情」に関することについては「掘り進めてゆく」
ものではないかと感じます。

「知識・頭脳」について更に厳密に言うと、「形あるものを詰め込み積み上げてゆく」ということもあるでしょうが、それよりむしろ、「咀嚼された知識の滋養物が頭脳に浸透し細部にまで行き渡り、それが澱(おり)のように積み重なってゆき、各部の知識間にネットワークが構築される」といった感覚でしょうか。

いい学校に入るためには「詰め込み積み重ね」という方法も必要なのかもしれませんが、受験エリートといわれる方でも真にその知識を「人生」に役立てている方は、自(おの)ずと後者のような感覚で知識を「積み上げて」いるのではないでしょうか。

また「精神・心情」については、「心に何かを付け足し、形づくってゆく」のではなく、「生きるに連れて付着し続けてきた余計なものを取り去り、心の器に鍬(くわ)を打ち振るい、掘り下げ、且つ、闊(ひろ)げてゆく」といった感覚でしょうか。

私自身、エラそうなことを言えるほどの「体現」は果たしておりませんが、このような方角に向けて舵をとってゆきたい、と思っています。

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「自分自身の基本的資質を向上させる」という考え方

2004-12-07 | 日記 Ⅰ

昨日、「自分自身の基本的な部分を向上させる」ということを書きました。
この点についての私自身の考え方は、以下のとおりです。

私自身の持つ「力」というものを、可能な限り細分化するとします。
まずは大きく分けて、「知力」「体力」「精神力」など…。

「知力」でも、様々なジャンルの知識、及び判断力・決断力・記憶力・想像力その他、「頭脳」に関わるありとあらゆる能力に細分化する…。

「体力」でも、脚力・腕力の他、持久力・瞬発力・柔軟性その他、「肉体」に関するありとあらゆる能力に細分化する…。

「精神力」でも、我慢強さ・粘り強さの他、自己統制力や優しさ・逞しさに至るまでの、「精神」に関するありとあらゆる能力に細分化する…。

その他、現在携わっている仕事に関する能力はもちろん、ありとあらゆる経験・経済力・社会的地位・家柄・ルックス・人脈から、ケンカ強さや「遊び」に関すること、要領のよさ、果ては「愛」や、男性であれば女性に対する「技巧」まで…。
そのように、自分自身の持つ「力」を、数千・数万という項目に細分化するというイメージを持ちます。

そして、それら各々の項目に、上限なしで加点してゆく…。
その「総合計」が、年齢を重ねるごとに増加していくようにする、という概念です。
(あくまで「イメージ」ですが)

年齢を重ねるごとに減少してしまう項目もあります。
例えば、体力面全般、或いは記憶力、若さ、というところでしょうか。
または、年を追うごとに増加してゆくと思われる項目もあります。
社会的地位、経済力、経験、などでしょうか。

これを「全て平均的に向上させる」ということではなく、「総合計が増加するように」する…。
(項目による得点のバラつきが、私の「個性」ということになるのでしょう)
そして「昨日より今日」では堅苦し過ぎるので、「去年より今年」くらいの幅で見るわけです。

ただし、これは私自身「これなら誰にも負けないという突出した能力」を持ち得ていないがための概念です。
もしも私が、他の人より遥かに優れた特別な「能力」を持っていたならば、その一点をひたすら「深める」ことを意識すると思います。
もちろん、ある程度の「積み重ね」は必須でしょうが、より以上の「領域」に達するためには、「積み上げてゆく」のではなく、その一点を「掘り進めてゆく」という感覚が必要なのではないかと…。

将来、「その一点」が見出されるのかどうかは分かりませんが、それまでは「総合計の増加」に努めたいと思います。
そして、もしも突出して得点が積み重なる項目があったとするならば、或いはそれが「その一点」になる可能性を秘めているのかもしれません。

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成功するための「マニュアル」について

2004-12-06 | 日記 Ⅰ

成功するための「マニュアル」みたいのってありますよね。
仕事でも恋愛でも。
例えば、男の場合の恋愛であるなら、「彼女に好感を持たれる方法」とか「誘い方」から、果ては「Hの方法」まで…。

参考にするのは構わないと思うんですけど、そのマニュアルに従った結果、ついてきた女性ってのは、要するにそのマニュアルのとおりの男に魅力を感じたからですよね。
そのマニュアルとその男が全く同じ考え方・価値観なら問題ないですけど、もし違っていたとしたら…。
というよりも、全く同じなんてあり得ない…。
もしも、彼女がマニュアルにない行動をとった時、その男のリアクションがマニュアルの流れとズレたものだったとしたらどうなるのか…。

成功するために「成功者」から学ぶことは必要だ、と以前書きました。
ただ、それは自分自身の基本的な部分を向上させることに用いるべきであって、その人と全く同じ価値観ということでない限り、やり方まで全てマネるのはいかがなものかと感じます。
(「職人芸」のような世界であれば別ですが)

自分自身の「魅力」や「能力」が「本物」であるなら、それに自信を持って、そして相手のことをまず最初に考えて行動しさえすれば、仕事でも女でも、「No.1」とはなれなくても、そこそこの結果にはなるのではないでしょうか。

私も人のことをとやかく言えるほどの人間ではありませんが、周囲の「うまくいかない」人たちをみていると、自分に「魅力・能力」が備わっていないのに、それに気付かず他者の気持ちを考えることなく「自分」を主張し過ぎている、或いはそのため自信を持てず何かに頼ろうとばかりしている、というような気がします。

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12月3日掲載予定だった分です

2004-12-05 | 戯言 Ⅱ

結局、「ロールプレイングゲーム」みたいな環境が望みなんだろ?
一見自由だけど、実はルールはしっかり決めてもらってて。
動いていいよ、っていう範囲も決めてもらってて。
何も責任をとる必要がなくて。
失敗してもリセットすればまた再開できて。

「本当に全くの自由です、好きにして下さい」って言われたら、
困るんと違うか?

そんなんじゃ、ルール作ってるヤツらの思考範疇や価値観の中、
ただ、ウロウロしてるだけだぜ。

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昨日の続きです

2004-12-04 | 日記 Ⅰ

昨日、堀江社長、藤田社長、そしてロバート・キヨサキ氏を例として挙げさせていただき、「部分部分で参考にはさせていただくが、この方たちのようになりたいとは思わない。」と、失礼なことを書きました。

なぜ私がそのように思うかというと、
「もしも、この方たちが金持ちじゃなかったとしたら、このような生き方は果たして『幸せ』といえるのだろうか。」
と、感じるからです。
(もちろん、人それぞれ価値観が違いますので、それでも「幸せ」と思う方もいることと思いますが…。)

私も「お金」は、物凄く欲しいです。 物凄く…。
しかし生きていく過程において、「お金」の優先順位は常に上位に位置しているとは思いますが、決して「最上位」にくることはないと思います。
(「今この瞬間」ということでは別かもしれませんが)

そんな私が今、いわゆる「お金持ち」といわれる方々の中で、一番参考にさせていただいているのが、「斎藤一人さん」です。
「心酔」というわけではないですし、加盟店になりたいとも思いませんし、また結構距離をおいた見方もしておりますが…。

なぜかと言うと、「斎藤氏の価値観のとおりに生活していれば、仮に金持ちになれなかったとしても、幸せな人生は送れるだろう」と感じるからです。
(以下、発行者の方には事後承諾となってしまいますが、私が購読している無料メルマガです。 → http://www.mag2.com/m/0000117633.htm)

「最初から、金持ちになれないかも、などと言ってるからダメなんだ。絶対になれる、との強い信念を持つべきだ。」という意見もあるかと思います。
その点における私の考え方については、
「池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢」で終わらぬためにをご覧下さい。


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「成功するしないに関わらず、その人みたいになりたいか。」という視点

2004-12-03 | 日記 Ⅰ

前回の続きのような話になります。
例えば、「成功」「金持ち」「(会社の一構成員ということからの)自立」という観点において参考にすべき人、ということを考えてみたいと思います。

まず、今話題の「ライブドア」の堀江社長。
短期間であれだけの「お金を集める」力、そして、いい意味で「名前を売る」力は物凄いと思います。
ただ堀江社長は、子供の頃から学業成績抜群で、ちょっと勉強しただけで東大に入ってしまうような頭脳明晰な方。
私には恐らくマネできないと感じます。
同じように頭脳明晰な方、或いは、マスコミにTシャツ姿で登場し「カネで買えないものなんかない!」と豪語する姿に憧れを感じる方などが、参考にするといいかと思います。

次に、「サイバーエージェント」の藤田社長。
タレントさんと結婚したことでも話題になりました。
この方は起業する際、「1週間に110時間働く!」と誓いを立てたそうです。
いや~…、私にはムリです。 というか、正直そこまで働きたくないです…。
「年収は10分の1以下で大満足ですので、勤務時間をせめてその半分くらいでカンベンしていただけませんか?」と言いたくなってしまいます。
しかし、元々才覚あふれる方にして、この努力。
私自身、ちょっと忙しくて勤務時間が長い日が続く時など、「藤田社長に比べれば…」と、自らを奮い立たせるお手本となっています。

そして、「金持ち父さん 貧乏父さん」の著書で知られる、ロバート・キヨサキ氏。
この本のとおりに実践するかしないか、したいかしたくないかは別にして、正に「目からウロコ」という感じでした。
同氏の概念は、今後必須となってゆくものと思います。
上記の本は、私のものの見方・考え方を拡充することに、大いに役立ったと思います。

以上お三方共、私が評論するのが失礼なほど素晴らしい方々ばかりですが、私自身、このように部分部分で参考にしたいと思う点はあるものの、「その人みたいになりたい。」とは思いません。

「なれるとは思わない」というのももちろんですが、なぜか?…。
長くなりましたので、続きはまた明日以降に致します。

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前回の「成功するための…」にコメントいただき、ありがとうございます。

2004-12-02 | 日記 Ⅰ

「成功」について、その人個人のことだけで言えば、偶然だろうが必然だろうが成功して幸せに生きてゆけるのならそれでいいと思います。

ただ、例えばその人が、成功に至るまでの過程をノウハウとしてまとめた場合、それが「偶然」によるものだとしたならば、他の人がそのノウハウによって得られる部分は少ないのではないでしょうか。

成功した人自身も、偶然により成功したということに気付いていないかもしれない…。
或いは、気付いていながら、それを「金儲けのタネ」にしようと目論んでいるのかもしれない…。

前回、そして「11月29日」のブログでも触れましたが、自分以外の人から何かを学ぶことはとても大切だと考えます。
しかし、学ぶべき対象を見誤ってしまわないよう、「その部分」のみにとらわれることなく、しっかりと見極めるということが必要なのではないでしょうか。

私は、「成功するしないに関わらず、この人みたいになりたいか。」という視点で見るようにしています。
成功するしないは、「運」といった要素もあるかと考えます。
「たくさんの天才が、自分にも他人にも見いだされることなく死んでいく」とは、誰の言葉だったでしょうか。
素晴らしい能力や素養を持ちながらも、世に出ない人もたくさんいることと思います。

ただし、「世に出る」ということも、一つの立派な「能力」であり「ノウハウ」でもあるでしょうから、そういったことに興味がある人は、その点についてのみは大いに学ぶべきではあるかもしれませんね。
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