幸せについての考察 【桐棺三寸】

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「戯言(ぎげん)」とは?

2004-11-09 | 日記 Ⅰ

日々の繁劇の中から生じた様々な思いや雑感、或いは月日を積み重ね確信されるに至った、ささやかな箴言めいたものといった、せいぜいが身内への愚痴程度として昇華されてしまっているようなコトバたちを世に解き放つべく、ある程度の体裁に整えたもの…
これを私は「戯言(ぎげん)」と名付けています。

私の発するコトバには、読者の方々の価値観とは或いは相容れない部分も多々あるかもしれません。しかし、これらのコトバに例え共感が得られなかったとしても、ご覧になった方々が何かを考える起爆剤となり得たならば幸甚に思います。

また、「戯言(ぎげん)」には時々「てめぇ」とか「アンタ」とかいったコトバが登場します。これは、無論ご覧いただいている方に対してのものではなく、この世の何処かに存在する、これらのコトバに該当する「誰でもない誰か」に対するものとご理解下さい。

とは言うものの、私のコトバに「誰でもない誰か」が素直に肯首するなどとは思っておりません。そんな能力があるのなら、私は「新興宗教の教祖」か「政治家」になっています。
いささかシニカルではありますが、「…オレは、あん時そう言ってたよね。」というスタンスでしょうか。

また、私の「戯言(ぎげん)」は決して高所から他者を卑下するものではなく、全て自分自身にも返って来得るコトバです

更に「戯言(ぎげん)」について、違った側面を挙げるとするならば、「経験則の共有」という見方もあるかもしれません。
ある人が持つ経験、知識、ものの見方・考え方、その人だからこそ見える景色、など…。
その人にとっては何ということはないようなものでも、他の人にとっては大変貴重なものとなり得るかもしれません。
(例えばうら若き女性の本音など、事の善し悪しは別にして、それだけで貴重と思える「野郎ども」も、さぞ多くいることでしょう。)

そうして生まれてくる「思い」を、
投書・愚痴よりも文学的な
小説・随筆よりも簡潔な
そして詩よりも実用的な
そんなコトバとして表現する…。
「戯言(ぎげん)」とは、そうしたものでもあるかと考えます。

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