以下、過去における私自身の夢とその結果です。
例:「夢・希望、またはスタート時の状況」
→ その結果
「強くなりたい」
→ 柔道の昇段審査に合格(黒帯取得)
「ボクシングの世界チャンピオンになりたい」
→ プロテストに合格するも、鼻を手術し断念
「TV番組:アメリカ横断ウルトラクイズで優勝したい」
→ 2万人中40人まで勝ち残るも、グアムでの「どろんこクイズ」で敗退
「TV番組:クイズミリオネアで1000万円獲得したい」
→ 最終カメラテストまで進むも、TV出演は叶わず
「20代で持ち家」
→ 20代では叶わなかったが、「20世紀中」に取得
「ダイナースカードを持てるようになりたい」
→ 規定年齢最年少とされる、33歳で取得
「人材派遣会社にアルバイトとして入社」
→ 事業部ごとに独立することになった際、役員に抜擢され新会社設立に携わる
「その他の仕事」
→ バイトも含め、どこでも順調に昇進・昇給
今年も不景気な中、月収が10万円増加
「本を出したい」
→ 違う2つの出版社主催の文学賞にて共に最終選考まで残るも、
あと一歩大賞獲得に及ばず
書店流通を確約した一部自己負担による出版を勧められるも、
条件が折り合わず出版に至らず
「あのコと仲良くなりたい」
→ 成功もあり、失敗もあり…
失敗がわずかに多いでしょうか(苦笑…)
以上、どのような印象を持たれたでしょうか。
現在、私は有り余るほどのお金は持っておりませんが、生活に不自由することなく、妻子及びネコと、そこそこ幸せに暮らしております。
現状に「満足」はしていません。
あらゆる面における更なる向上や夢の実現を果たし、今以上に「幸せ」になりたいと思っています。
かと言って「不満」というわけでもありません。
この現状で不満などと言ったらバチが当たるでしょう。
私の夢の数々は、実現しているという印象を受けますか?
私は現状において、成功している部類に入ると思いますか?
「夢の実現」や「成功」の線引きって、どこでなされるのでしょうか?
「夢が叶った、叶わない」「成功した、しない」ということは、はっきり二極化されるものなのでしょうか?
この話、明日以降も続きます。
(意見・反論等、大歓迎です。(ただし「価値観の押し付け」は望みません)
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唐突ですが、「夢をかなえる夢をみた」(内館牧子著)をご覧になりましたか?
お手すきな時にでも手に取られたら、もしかしたらお役に立つかも知れないな、って直感的に思いました。
桐鳳柳雨さんのご提言を十分に理解したわけではないのですが、的外れだったらお許しください。
一通り成功哲学・願望達成法を読み、実践をされていらっしゃる方々にクールな視点も併せ持つ必要があるということでお勧めしている本です。
勝手な投稿、お許しください。