(本日はちょっと長くなりますが、ぜひ最後まで読んでいただきたい内容です)
先日、「カイパパ」さんという方からトラックバックをいただきました。
拙文を、「新たな門出を迎えた方々への贈る言葉」として紹介していただいた、とのことです。
⇒新しい門出の日に
私のコトバをこのように使っていただき、本当にありがたく感じました。
コトバを発信し続けていてよかった、と思った瞬間でもありました。
実は今まで私自身、何らかの「障害」を持ってらっしゃる方やそのご家族に対して、どのような言葉をかけるべきなのか、とても迷っておりました。
例えば、
「お元気で」「頑張って」「大変ですね」など…。
善意のつもりでかけた言葉が、かえってその方々を傷つけはしまいか、など…。
「カイパパ」さんもおっしゃっていますが、私自身、もし「公式に」発言するとなれば、
「勉強不足ですので、無責任な発言は控えさせていただきます」
ということになるのかもしれません。
そして、せいぜいが「わずかな金銭」、或いは「自分の生活に支障のない程度のお手伝い」などでフォローするに留まり、結果的には、その方々から距離を置いてしまうのではないかと思います。
しかし今回のご縁で、とても気付かされたことがありました。
「理解したいと思ってくれることが嬉しい」…
相手のことを真に理解しようともせず、聞き心地のよいコトバのみで取り繕おうとする小賢(ざか)しい私の心に、冷水を浴びせられたような気がしました。
確かに、「どんなコトバをかければよいか」など、全ての方に共通するものなどないでしょう。
また、たとえ同じ人だとしても、その人が置かれているその時々の状況によって、受け取り方はいくらでも変わってくることと思います。
そしてこれは、単に「対・障害者」ということに限ったことではないでしょう。
以前にも「戯言家宣言」という拙文の中で書きましたが、「コトバ」は確かに、
「時として道標となり、時として慰安をもたらす沃地となり、また時として荊門(けいもん)とも成り得る」
ものだと思います。
更には、「武器」や「薬」にも成り得るものでもあるでしょう。
しかし、「絶対的に万能なもの」ではない…。
「それ以前に」または「それ以上に」、大事な「何か」がある…。
「コトバの持つ力」に気付くと同時に「コトバの無力さ」にも気付かされた…。
そんな感じがします。
「自閉症」という病気について、私自身ずっと誤解をしていました。
だいぶ年齢を経てからたまたま見たTVによって、初めてその病気で苦しんでいる子供さんを見たのですが、字面(じづら)からは「閉じこもってしまう」ように捉えてしまいかねない病気…。
しかし、TVで見たその子供さんは、「とても明るく元気な子」でした。
自閉症は「情報を理解することに対する障害」なのだそうです。
いわゆる「五感」の知覚が正しく機能しないために、「自分の周辺についての情報処理」がうまくできず、不安や恐怖を抱いた状態でいる…。
問題だと映る行動は、それに対してその人が「苦しんでいる」という表現である…。
そして今現在、残念ながら決定的な治療法はない…。
(一夜漬けの拙い知識ではかえって誤解を招くかもしれませんので、より詳細に知りたいという方は、こちらをご覧下さい↓)
自閉症を知ってほしい
だからこそ「コトバ」などではない、周囲の方々の理解や愛情が、まず必要ということなのでしょう。
ところで、「発達障害者支援法」という法律が、2005年4月1日から施行されたそうです。
私は知らなかったのですが、ご存知だったでしょうか?
その「第四条」には、「国民の責務」として、
「国民は、発達障害者の福祉について理解を深めるとともに、社会連帯の理念に基づき、発達障害者が社会経済活動に参加しようとする努力に対し、協力するように努めなければならない。」
と、あります。
同じ4月1日からの、「ペイオフ」や「バイク2人乗り」の解禁、「個人情報保護法の施行」、「国民年金保険料の引上」等には強い関心を示す、私たちやマスコミ…。
(「中日新聞・東京新聞」には取り上げられていたそうです↓)
発達障害者支援法4月1日施行~中日新聞4月1日で報道
この世の事象の全てを知ることは不可能ですが、少なくとも「全てを知り得てはいない」という認識は持っておくべきなのかもしれません。
「もくじ」へ
最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
「障害」に苦しんでいる方々とそのご家族の方、そしてこれをご覧いただいているあなたに、良いことがいっぱいありますよう…。
明日もまた、お会いできたら嬉しく思います。
本当にありがとう。
時々ブログではこういった出会いがあって、偶然を必然に変える、つながっていく、広がっていく――イメージだけじゃなく現実にそうなっていくことがありますよね。私は「奇跡の瞬間」と呼んでいます。
だから、発信を続けたい。
桐鳳柳雨さんに出会えてよかったです。
私の記事へのコメントに、お答えをしてよかった。
こんなにも真摯にうけとめていただけるとは正直思っていませんでした。
本当に、うれしかったです。ありがとう。
P.S.
Trackback反映されましたので、コメントの方は消しておきますね(^^)
livedoorはサーバーが混雑している時こういう現象が起きるようです。お手数をおかけしました。
それを知らずに考え、そして発言を続けていたかもしれなかったことを考えると、私も今回のご縁をとても貴重なものであったと受け止めております。
カイパパさんとそのご家族の方々に良いことがいっぱい起こりますよう、心よりお祈りしております。
*「コメントの消去」は、こちらからもお願いしたいと思っていたところです。
お手数をおかけします。
素敵なお話ですね。そうです、理解しようとする気持ちが大切なんです。分かりもしないくせに、偏見だけ持って小ばかにするような態度は絶対に許せません。いつもは穏やかに過ごしたいと思う私も、これはとても怒りを覚える行動です。
障害がないから、えらいの?って思ってしまいます。
こういう認識をもった大人がいるから、子供も真似するんだと思います。桐鳳さんの記事を読んで、何かとても嬉しくなりました。
素敵な記事を有難うございます!
私自身、カイパパさんとのご縁がなければ「理解」していなかったことかもしれません。
そしてこのことによって、少し視野が広がったかな、と感じています。
あらゆる「障害」を含め、「他者を理解すること」という概念が必要なのではないかと思います。