唐突ですが、「潔癖症」と「きれい好き」との差って、どのあたりにあるのでしょう?
私は、
「周りの全ては、みんな私よりもキタナイ」と思っている人が「潔癖症」
「自他共に同等くらい」と思っているレベルが「きれい好き」
だと、考えています。
或いは、トイレや洗面所、または公共の場所等において、
自分が使用する「前」に、そこをキレイにしようとする人が「ケッペキショウ」
自分が使用した「後」に、そこをキレイにしようとする人が「キレイズキ」
とも、言えるかもしれません。
そんなイメージがありますので、私個人としては、「キレイズキ」な人は好きですが、「ケッペキショウ」の人はあまり好きではありません。
(「その全てが嫌だ」ということではなく、「その部分においては」という意味で)
これと似たようなことで、一見同じような行動に見えても、その人が「自分が他者より大事」と思っているのかそうでないのか、なんとなく透けて見えて(感じて)しまうことってありませんか?
(それは、全く主観によるものなのかもしれませんが)
例えば、パッと見、丁寧な物腰の人でも、それが本当に「尊敬・謙譲」の念から出ているのか、単なる「保身」のためなのか、など…。
個人的な体験から言うと、「とても物腰が低く丁寧な言葉遣い」をするような、第一印象がとてもよいイメージの人に、案外「保身タイプ」がいるように思うのですが…。
もちろんこれは、私自身も充分自戒しないといけないことだと思っております。
↓なんと、トップ10入りしました!
「あなた」のおかげです! ありがとうございます!
もし、更にランクアップしているとしたら、
それも、まさしく「あなた」のお力によるものです。
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最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…
明日もまた、お会いできたら嬉しく思います。
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よりよく気持ちのいい状態に、私も、あなたも、と、
自他共に向けて、思いやりと優しさに裏打ちされているかの違いかも、って思います。
で、固執の場合は「他を見下す気持ち」と「劣等感」の両極が常に揺れ動いていて、
自分の決めた「固執」という軸にしがみ付いていないと不安でしょうがない‥
そんな気持ちが根底にあるのかもしれない‥
そんな風に感じています。
なので、しがみ付くことが、イコール、無意識の保身になるのかナ‥
そんな風にも思っています。
で、私の中にも、ときどきそれが現れます。
意識化できているから修正もしやすいけれど、
無意識のままの人は‥ ご自分もきっと、苦しいでしょうネ‥
自然体で、すっと優しくたつことのできる人間を目指してますけど‥
人間は‥ 弱いです。
でも、だから努力のし甲斐があるし‥
だから、人生は‥ 素晴らしいです。"^_^"
「謙譲」か「保身」か
確かに見分けにくいですね。
そして、心が全然違う。
相手に対してもですが、
自分はどうだろうかと
考えてみました。
少々面倒なことになっても
「謙譲」に徹したいと思います。
ランキング、どんどん上にいくと
いいですね!
ポチしときました~!!
「自他共に向けて、思いやりと優しさに裏打ちされているか」…
このあたりに「thorn rose」さん独特の感性というものがあるように思います。
「自分:他の人」という「二極化」ではない、「自他共」という「一体感」…。
はっきりと分けてしまいがちな価値観を持つ私が、見習わなければならない部分だと思います。
*「ぱんだ」さん
「面倒なことになっても謙譲に徹したい」という意気込み。
素晴らしいとおもいます。
私など、「顕在=謙譲」「潜在=保身」のような気がして…。
いつも応援ありがとうございます。
こちらからもまた、伺わさせていただきます。