幸せについての考察 【桐棺三寸】

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「価値観」及び「協調性」についての私的概観

2004-11-07 | 戯言 Ⅰ

私は自らの価値観を他者に強要することも、そして強要されることも好まぬ。

「多様な価値観、あって然るべし」というよりも寧ろ、
「多様な価値観、もし無かりせば」とさえ思う。

天地開闢以来の世の価値基準が、仮に全て己がものと同一であったとするならば、確かに戦争は激減しているやも知れぬし、またともすれば、ある一カテゴリーのみ特化した発達を為し遂げていた可能性も無きにしもあらず、である。
しかし、人類全体の文化・文明の発展という見地で言うとするならば、今ほどの進化は遂げていなかったであろうことは明白である。
取分け身に纏う衣服などに至っては、未だに「イチジクのハッパ」であるやも知れぬ。
多様な価値観が存するが故に、「争い」という不幸を伴いつつも、人類は現在、そして未来に向けて邁進し続けてきたのであろう。
(その帰結が「繁栄」であるか「滅亡」であるかは別の機会に譲る)

この「諸刃の剣」とも言うべき「多様な価値観」を有用なものとするために、「協調性」というものが必要となってくるものと思料する。
「協調性」というと「他者と仲良く出来る能力」と思われるかもしれないが、私はこれを「自分の欲望・要求と他者のそれとを共存させることが出来る能力」と捉えている。
自分の要求を押し通すのではなく、また勿論、自分のそれを押し殺すこともなく、例え共に「完全」たる満足は得られずとも、出来うる限り双方にとって「完全」に近い地点に望みを着地させ得る能力、とでも言うべきか。

上述の私感、無論、賛否両論あって然りであろうし、また決して当方から共感を求めるものでもない。
寧ろ己が「戯言(ぎげん)」が、貴方に何かを考える起爆剤となり得たとするならば存外の幸いである。

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