Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2010-11年冬号 コミュニティーの話題:併合か分離か

2011年04月03日 | コミュニティーとカルチャー

南部スーダンの併合か分離かを問う国民投票について、難民が自分達の意見を述べている。


「南部スーダンが国民投票に至るまでの経緯を見れば、独自国家を作るべきだという歴史の裏打ちがあるのは明らかです。北部が嫌いなのではありません。自分達の国を自分達で治めたいのです。私達は、国を分離させることができると思います」
――デング カクマの南部スーダン住民投票委員会(SSRC)職員 

「南部スーダンで、家畜を育てていました。ひどく不平等な暮らしでした。自分達のオレンジ畑が燃やされるという、ひどい事件がありました。どうして火事になったのかは、決して忘れません。やっと変化の時代が訪れました。私は自分の自由のために、この入植者に反対票を投じます。国民投票は、私達のリーダーの努力をみれば、当然の結果です。でも、私達の味わった悲劇の数々は、まだ忘れられそうにありません」
――A.G.

「国民投票が近づいているので、私は南部の若者に、率先して分離独立に投票して欲しいと呼びかけています。私達の血がずっとナイル川に流されてきたのは、もはや周知の事実です。南部スーダンは私の故郷です。私はいつでも故郷を誇りに思っていますし、当然、自分が住むところだと思っています」
――J.G.Y.

「キャンプのスーダン人はとても恐ろしい目にあっています。しかし、南部スーダンに暮らしている人達はとても心配しながらも、国民投票の結果が発表されるのを心待ちにしています。カクマキャンプでの選挙権登録の間に国際移住機関(IOM)がスーダン人のコミュニティーを組織しに来て、いくつかの政策が原因で問題が起こりました。スーダン人の指導者達が抵抗したのです。現地の難民を調停役として雇ったのですが、そうでなければ、始めのうちは誰もIOM職員を信用しませんでした。その結果、選挙権登録が十分に行われず、多くの人が登録できませんでした。ましてや実際に投票した人は、なお少ないのです」
――D.O., 赤道コミュニティー


「分離独立に一票を投じました。私達は20年以上の間スーダンを離れざるをえませんでした。仲間は拷問され搾取されています。今は独立して南部の人々が団結することを望んでいます。私は、アラブ人が故郷のサウジアラビアに戻り、スーダンの支配から永遠に手を引くべきだと思います」
―― G.R D.、ヌエル人

「私達は北部の人間に抑圧され続けてきました。ですから、もうこれ以上一緒にいたくないのです。北部の政策には、深刻な問題があります。分離すれば、この問題がいつどのように生じるのかが分かるでしょう。投票前は、私達は投票することを怖れていました。しかし、世界中にいる南部スーダン出身の人達が自分の国をつくるために一致団結したと知り、私はとても誇らしく感じました。私は、平和と安定をこよなく愛しています」
- R.O.,
東部赤道

「難民キャンプにいる人々へ心配りをして下さる南部スーダン住民投票委員会への感謝とともに、個人として民主的な選挙権の行使ができることに感謝します。私達みんなが、国民投票において一致団結して分離独立に投票でき、新しいアフリカの国として独立を獲得することを、うれしく思います。私達が故郷の大地とそこに眠る石油資源を取り返せたら、アラブ人は自分達の故郷へ帰るべきです。あるいは、アラブ人はアフリカ人の支配やアフリカ連合の監視下でアフリカに住むべきなのです」
――J.D.K.

「私は南部スーダン人です。私は黒人ですから、南部の独立に投票しなければなりません。両親や祖先も南部に住んできました。以前は平和で穏やかな所でした。いろいろと心配なこともありますが、北部と南部の両政府が、2005年に締結された包括的和平協定(CPA)に従って、国民投票の結果を受け入れてくれることを期待しています」
――L.B.

「私は分離独立に一票を投じます。南部スーダンに、独立と自治をもたらしたいのです。私は、アラブ人がやってくるよりも前から南部スーダンにいるべき人間でした。今は大変重要な時期を迎えています。世界中が注目しているこの国民投票が、反対者による妨害が行われることなく、無事に成功することを願いたいと思います。私達は南部の分離独立による新しいアフリカの国家の成立を望んでいます」
-T.M.G.

「選挙権登録をして南部スーダンの分離と自由のために投票することは、私の民主的な権利です。うれしいことに、これが私にとって初めての投票です。怖れてはいません。投票のためにやって来たたくさんの人々を見れば、結果は決まったも同然だからです。私は心の底から南部の人間なのです」
-G.I.C.

「私は、国籍上はエチオピア系ヌエル人です。ですから、国民投票のための選挙権登録はしていません。スーダンでの南北に分かれた民族紛争の間に、ヌエル人も二つに分かれてしまいました。両親は他のヌエル人と一緒に逃げ出し、私はエチオピアのガンベラ地方で生まれたのです。今はカクマキャンプで暮らしていて、私達は、スーダン人とはみなされていません。私の国籍はエチオピア人ですが、他のスーダン人の事をいつも心配しています。南北の争いはもうたくさんです。国民投票の結果が正当なものになり、スーダンの状況が改善することを、世界の指導者や政府の方々にお願いしたいです」
――B.W.T.N.

「みんなが分離独立に投票した後には希望があると、今は考えています。私は行く当てのない子供、ロストボーイと呼ばれました。他のロストボーイ達がアメリカ合衆国に行ったのは、私が14歳のときでした。取り残されてしまった理由は良く分かりませんが、他の子供達は、いろいろな国でまた暮らし始めました。出発の前の晩、みんなは書類を手にうれしそうな顔をしていました。私をカクマキャンプに連れて来たいとこは、マラリアにかかって亡くなり、私は一人ぼっちになってしまいました。両親もいません。自分のよりどころをなくしてしまったのです」
――J .H.E., 赤道コミュニティー

20年間の内紛による動乱も終わりを告げました。私達の独立旗が掲げられると聞いた時、北の人々が爆撃をはじめ親類が殺された日のことはもう忘れました。うれしさのあまり、寝ることができませんでした。カクマでの国民投票は、私にとって初めての投票でした」
――A.M.

「アラブ人と生活し支配される日々が続いていた長い間、南部の黒人には自由や民主主義もなければ、憲法で保障された権利もありませんでした。私達は、南部の人々が独立のために準備を整えることを望んでいます」
――L.C.

「南部と北部は、まるで別の国のような状況です。北部は南部から分離すべきです。そもそも国境は、植民地宗主国によって決められたものです。国際社会が、この国民投票に適切に関与することを期待しています。北部国民会議党(NCP)は、国民投票における分離独立派の勝利を喜ばないでしょう」
――B.M.T.

「私は南部スーダン人です。私の生まれ故郷であり、先祖達が暮らしていた土地です。南部の政府が南部の人々に働きかけて、みんなが分離に一票投じてくれることを期待します。私が怖れているのは、国民投票が引き金となって、今度は別の内戦が起こり、それが長期化するのではないかということです。北部の人々は南部の独立を良く思っていませんから。分離こそが、自由と生存を守る唯一の道なのです」
――匿名

「私達は、1950年代からずっと戦争をしていますが、変化が訪れたことは一度もありませんでした。私達が不公平で非人道的な扱いをされることに終止符を打つために、独立が必要なのです。しかし私は非常に懸念しています。1972年にエチオピアのアディスアベバで、南部と北部の間で初めて和平協定が結ばれてからも、状況は一向に改善していないのです。つまり、北部が統一を考えている限り、平和など訪れないということも考えられます」
――M.M.

「国民統一政府(GNU)が権力の座についてから、良いことは何もありませんでした。私達は自分の文化や宗教になじんでいるので、そろそろ分離する時期が来ているのです。国民投票で南部が勝っても北部が勝っても、国民には辛抱して欲しいです。私は喜んで結果を受け入れます。しかしアラブとの問題がまだいくつかあります。国民投票が、予定通り未来の繁栄につながることを望みます」
――L.P, カクマの団体スタッフ



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