多言語で皆が祝福する中、エチオピア正教会の輔祭、マイケル・エルーとステラ・アコムさんが結婚した。
2014年2月16日(日)は、2人のトゥルカナ人の人生を結び合わせる大きな日となった。キャンプでは、日曜日の礼拝に参加した人たちが皆、喜びを声高らかに分かち合った。
結婚式はカクマ1のメドハネアレム・エチオピア正教会で始まり、夕方、カクマ・タウンのはずれにある2人の新居で終わった。エチオピア正教会では毎年多くの結婚式が祝われているが、今回は新郎新婦がいずれも現地のトゥルカナ共同体の出身という珍しい式だった。
11年前、少年だったマイケル・エルーさん(現在はトゥルカナ輔祭)は友だち2人と連れ立ってメドハネアレム・エチオピア正教会にやって来た。「洗礼を受けたい、輔祭になりたいと言ってきたのですよ」と、教会の主任であるフィクレマリアム司祭は当時を思い出す。その日以来、「彼らは友だちや近所の人や、家族まで教会に連れて来た」そうだ。
フィクレマリアム司祭によると、教会のメンバーは3人の少年を快く迎え、敷地内の家や食べ物を与え、何年にもわたる研修を受けさせた。2010年、マイケルさんと2人の友だちはアムハリック語習得のためエチオピアに派遣される。3人とも読み書きだけでなく、アムハリック語を流暢に操ることができるようになり、結婚式でも披露された。
最初のエチオピア人難民がカクマに住み始めたのは1991年のこと。持ち物は、信仰と文化への情熱だけで、UNHCRと書かれたビニールのテントを小さな教会とし、聖母マリアとイエスの絵を飾った。周囲の異なる民族の人も招いて祭日を祝い、持っているわずかな食べ物と衣類を分け与えていった。トゥルカナ人共同体からも礼拝に参加する人が増え、教会は成長していったのだ。
【写真】 結婚式の飾りつけ
過去22年の間に、この小さなビニール・テントは、三つの礼拝所を備えた華麗な建物に姿を変え、敷地内には人も住むようになった。ステラさんとマイケルさんの結婚は、トゥルカナ人共同体と、22年前に始まったエチオピア人共同体のつながりを証明するものだった。
これから2~3ヶ月の内に、マイケル・エルー輔祭は司祭になる。トゥルカナ語、スワヒリ語、アムハラ語のいずれも操ることができるため、教会にいるすべての人へ母語での奉仕が可能だ。
カクマ内の異なる共同体に宗教面で奉仕するだけでなく、エチオピア正教会は教会の敷地内に30人あまりの孤児を住まわせている。民族の垣根を越えて、多くの人が教会に助けを求めて来る。「皆を追い払うことはできません。できる限り受け入れ、与えていきたい」とフィクレマリアム司祭。
【写真】 エチオピアの伝統的な料理を楽しむ
こうした受け入れの心は、今回の結婚式で「インジェラ」と呼ばれる料理がたくさん用意されたことからも見て取れる。皆が食事を楽しむ中、アムハラ語、トゥルカナ語、スワヒリ語の歌を聖歌隊が歌い、皆が踊った。スピーチは、「エンデメナチュ」、「ニャイ」、「ハバリ ゼヌ」のほか、「グッド モーニング」でも始まり、皆の話す言葉すべてが使われた。
正教会の人々やトゥルカナ人共同体の家族のほか、UHHCRカクマ事務所の所長、ジルマ・ジェブレ=クリストスさんや、国際移民機関、ルーテル世界連盟、イエズス会難民サービスなどのNGO代表も結婚式に参加した。
午後にはカクマ1を多くの車が回りながら、喜びを警笛で表してカクマ・タウンにある聖ガブリエル・エチオピア正教会へ向かった。この教会は、この地域の長であるジョゼフ・クチャールさんが土地を寄付したことによって建てられたもので、トゥルカナ人とエチオピア人のつながりを示すものである。クチャールさんはこれまで、イスラム教、モルモン教、セブンスデー・アドベンティスト教会、エホバの証人にかかわってきたが、2007年に夢の中で正教会に呼ばれ、4人の妻と69人の子どもも洗礼を受けるにいたった。
カクマ・タウンの教会の周りで歌い、踊って祝った後、マイケルさんの母の住む家まで結婚パーティーは続いた。アムハラ語で歌いながら家に近づくと、伝統的なトゥルカナの歌を歌う家族や近所の人たちに迎えられた。この式に参加したイエズス会司祭のポール・ヴィダル神父は、多言語が飛び交う多文化交流のイベントだったと言う。
「文化とは変わり続けるものだと教えてくれました。それぞれの歌には独特の世界観があり、すべて一本の糸でつながっているようでした。喜びという糸です」
平和と一致を目指す者として、ポール神父は今回の式が難民と地元の村を結んだことに特に心動かされたという。カクマにおいては、この二者は相容れないことが多い。
このような厳しい関係の中では、異なる文化が共生するのは難しいことであるが、今回の結婚式のような出来事は多くの人に寛容と友情の希望を与えた。エチオピア人がカクマを離れる時が来ても、その文化はこの地に根づき続けるだろう。
2014年2月16日(日)は、2人のトゥルカナ人の人生を結び合わせる大きな日となった。キャンプでは、日曜日の礼拝に参加した人たちが皆、喜びを声高らかに分かち合った。
結婚式はカクマ1のメドハネアレム・エチオピア正教会で始まり、夕方、カクマ・タウンのはずれにある2人の新居で終わった。エチオピア正教会では毎年多くの結婚式が祝われているが、今回は新郎新婦がいずれも現地のトゥルカナ共同体の出身という珍しい式だった。
11年前、少年だったマイケル・エルーさん(現在はトゥルカナ輔祭)は友だち2人と連れ立ってメドハネアレム・エチオピア正教会にやって来た。「洗礼を受けたい、輔祭になりたいと言ってきたのですよ」と、教会の主任であるフィクレマリアム司祭は当時を思い出す。その日以来、「彼らは友だちや近所の人や、家族まで教会に連れて来た」そうだ。
フィクレマリアム司祭によると、教会のメンバーは3人の少年を快く迎え、敷地内の家や食べ物を与え、何年にもわたる研修を受けさせた。2010年、マイケルさんと2人の友だちはアムハリック語習得のためエチオピアに派遣される。3人とも読み書きだけでなく、アムハリック語を流暢に操ることができるようになり、結婚式でも披露された。
最初のエチオピア人難民がカクマに住み始めたのは1991年のこと。持ち物は、信仰と文化への情熱だけで、UNHCRと書かれたビニールのテントを小さな教会とし、聖母マリアとイエスの絵を飾った。周囲の異なる民族の人も招いて祭日を祝い、持っているわずかな食べ物と衣類を分け与えていった。トゥルカナ人共同体からも礼拝に参加する人が増え、教会は成長していったのだ。
【写真】 結婚式の飾りつけ
過去22年の間に、この小さなビニール・テントは、三つの礼拝所を備えた華麗な建物に姿を変え、敷地内には人も住むようになった。ステラさんとマイケルさんの結婚は、トゥルカナ人共同体と、22年前に始まったエチオピア人共同体のつながりを証明するものだった。
これから2~3ヶ月の内に、マイケル・エルー輔祭は司祭になる。トゥルカナ語、スワヒリ語、アムハラ語のいずれも操ることができるため、教会にいるすべての人へ母語での奉仕が可能だ。
カクマ内の異なる共同体に宗教面で奉仕するだけでなく、エチオピア正教会は教会の敷地内に30人あまりの孤児を住まわせている。民族の垣根を越えて、多くの人が教会に助けを求めて来る。「皆を追い払うことはできません。できる限り受け入れ、与えていきたい」とフィクレマリアム司祭。
【写真】 エチオピアの伝統的な料理を楽しむ
こうした受け入れの心は、今回の結婚式で「インジェラ」と呼ばれる料理がたくさん用意されたことからも見て取れる。皆が食事を楽しむ中、アムハラ語、トゥルカナ語、スワヒリ語の歌を聖歌隊が歌い、皆が踊った。スピーチは、「エンデメナチュ」、「ニャイ」、「ハバリ ゼヌ」のほか、「グッド モーニング」でも始まり、皆の話す言葉すべてが使われた。
正教会の人々やトゥルカナ人共同体の家族のほか、UHHCRカクマ事務所の所長、ジルマ・ジェブレ=クリストスさんや、国際移民機関、ルーテル世界連盟、イエズス会難民サービスなどのNGO代表も結婚式に参加した。
午後にはカクマ1を多くの車が回りながら、喜びを警笛で表してカクマ・タウンにある聖ガブリエル・エチオピア正教会へ向かった。この教会は、この地域の長であるジョゼフ・クチャールさんが土地を寄付したことによって建てられたもので、トゥルカナ人とエチオピア人のつながりを示すものである。クチャールさんはこれまで、イスラム教、モルモン教、セブンスデー・アドベンティスト教会、エホバの証人にかかわってきたが、2007年に夢の中で正教会に呼ばれ、4人の妻と69人の子どもも洗礼を受けるにいたった。
カクマ・タウンの教会の周りで歌い、踊って祝った後、マイケルさんの母の住む家まで結婚パーティーは続いた。アムハラ語で歌いながら家に近づくと、伝統的なトゥルカナの歌を歌う家族や近所の人たちに迎えられた。この式に参加したイエズス会司祭のポール・ヴィダル神父は、多言語が飛び交う多文化交流のイベントだったと言う。
「文化とは変わり続けるものだと教えてくれました。それぞれの歌には独特の世界観があり、すべて一本の糸でつながっているようでした。喜びという糸です」
平和と一致を目指す者として、ポール神父は今回の式が難民と地元の村を結んだことに特に心動かされたという。カクマにおいては、この二者は相容れないことが多い。
このような厳しい関係の中では、異なる文化が共生するのは難しいことであるが、今回の結婚式のような出来事は多くの人に寛容と友情の希望を与えた。エチオピア人がカクマを離れる時が来ても、その文化はこの地に根づき続けるだろう。
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