Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2008年12月号 治安維持の困難

2009年05月15日 | 和平と治安
【写真】7月に流れ弾が当たって怪我したあと、我が子に母乳を与えるエリザベス
カクマ難民キャンプには、様々な国から暴力や戦争や危険を逃れて来た数多くの難民が集まっている。難民は、脅威や暴力から解放された平和で安全な場所を求めてケニアにやって来た。しかしカクマ難民キャンプでは、ある程度の平和や安全は提供できているものの、十分なものとは言えない。
カクマ難民キャンプの中では、多くの団体が暴力に立ち向かい防止するためのサービスを提供している。例えば、ルーテル世界連盟(LWF)平和構築ユニットは難民同士の争いを解決する支援を、LWF子供ユニットは子供の暴力行為を防止する支援をしている。LWFジェンダーユニットは特に性的およびジェンダーに基づく暴力(SGBV)を中心に取り組んでいる。LWF、国際救援委員(IRC)、イイエズス会難民サービス(JRS)、ケニア教会全国協議会(NCCK)などの団体は、人権、平和、安全といった教育を提供することで、キャンプの平和と安全を促進する大きな役割を担っている。こういったNGOの尽力より、難民は平和や安全がどういうものかを味わうことが出来た。
しかし残念ながら、こういった努力も十分な結果を生み出せずにいる。子供、女性や難民全般に対する暴力の事例はいまだに多く存在する。その理由の一つとして、ほとんどの難民が自国で様々な暴力を経験または目撃していることが挙げられるかもしれない。それが原因で彼らは暴力的な行動を取る傾向にあるのではないだろうか。例えば先月、あるソマリア人男性がソマリア人女性に腹部を刺される事件が起きた。これは男性のフェンスが女性の敷地にはみ出していると口論になった後に起きたものだ。また、プレミア・リーグ戦の期間中にも暴力的な行為が散見される。試合後に予期せぬ嫌がらせを受けたというような小さなことでも、若者達は喧嘩を始めてしまう。結局このような行動を取る傾向にある難民によって、環境が暴力的で危険なものになってしまうのだ。
難民や地元のコミュニティの中には、盗みや暴行、家屋への侵入、時には殺人までも行う強盗がいて、それが漠然とした不安を生み出している。強盗殺人を目撃してからというもの、難民の多くは強盗から不意打ちを受けないよう早めに帰宅し、夜間の外出を避けるようになった。今では不法侵入を防ぐため、家のまわりのフェンスに硬い木の枝が広く使われている。
そのような状況下では、難民は幸せに生き、幸せに働くことなど出来ない。平穏無事な生活を送るには、誰もが暴力から解放され、安全で守られていると感じられなくてはならない。絶えず盗みや暴力に脅かされているカクマ難民キャンプの生活は、真に安全とは言えない。
二つの事例
カクマ1からカクマ4まで、暴力事件のニュースを聞かずに一ヶ月を過ごすのはほぼ不可能だ。ほとんどの記録はLWF下の様々なユニットに残されているのだが、今回はKANEREのインタビューを受けたいと言ってくれた二人の難民被害者から話を聞くことが出来た。
赤道コミュニティに住むエリザベスは28歳、4人の子供の母親だ。今年7月、ケニア警察とカクマ1の難民との間で衝突が起きた。彼女が赤ん坊を抱き子守唄を歌っていると、流れ弾が彼女の左腕を貫通した。はじめ、彼女はそれに気付かなかった。彼女が血を流しているのを見付けた隣人に、どうしたのかと訊かれてやっと、自分の傷に気付き、メインホスピタルに行って治療を受けた。その6日後、エリザベスは腫れ上がった左腕から弾丸を摘出した。
傷は治ったがエリザベスの左腕の痛みは消えなかった。痛みのせいで家事が出来ず、重い荷物を持つことも出来ないそうだ。当然、自分の行動が大きく制限されていると感じている。4人の子供の母親として、できる限りのことを家族のためにしたいのに、傷の痛みがそれを妨げているのだ。
メスフィン・ゲタチュンはカクマキャンプに住む35歳のエチオピア人男性だ。彼はエチオピア・マーケットに店を構えているのだが、今年3月、その店が正体不明の武装強盗団に襲撃された。午前2時頃、強盗団はエチオピア・マーケット周辺の堅牢なフェンスを突破し、彼の店の頑丈なチェーンの錠前を壊して侵入した。その音に驚いた近隣住民が叫び声を挙げたため、強盗団は銃を発砲。近隣住民はたちまちパニックになったが、その後、周囲はしばらく静かになった。強盗団は少し間を取ってからメスフィンの店に押し入り、金銭と携帯電話用のプリペイドカードなどを奪った。そして強盗団はコミュニティの外へと向かう途中、銃を空中に向けて発砲。たまたま出くわした人々が銃撃された。強盗団は、人々が逃げ込んだと思われる家の出入り口に向かって、手当たり次第に銃弾を撃ち込み、数人が負傷した。
幸いなことに、その晩メンフィスは家を離れていた。強盗が発生したとき家にいなかったのは、ひとえに神のご慈悲によるものだ、と彼は言う。しかしこのことがあって以来、事件の記憶が頭から離れず、今でも心の平穏を取り戻せずにいる。
これらはカクマキャンプで起きた多くの事件の、ほんの二つに過ぎない。エリザベスの事例のように、一部の被害者は暴力的な経験によって永遠に人生を変えられてしまう。今もエリザベスは、愛する家族のために力を尽くせずにいるのだ。メスフィンについて言えば、あの運命的な夜を自分にもたらした偉大な神の手を、彼はこれからも忘れることが出来ないだろう。能力、態度、信仰、そして思想や人生のとらえ方までも変えてしまう特異な経験。エリザベスやメスフィンや他の被害者は、そのような経験をしている。




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