Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2012年4月号 反感を買っていた警察官、深夜に暴行を受け病院へ

2012年06月29日 | 和平と治安
カクマ地区の難民や住民たちが、警官への襲撃について複雑な心境を語る。

カクマ難民キャンプのジャベルマッラ・ゾーンを担当するサタティ警察官(administration police officer)が、カクマ1ゾーン2ブロック11で、犯罪行為をしている疑いのある難民らと争っているうちに、酒の醸造場所にあった高温の沈殿物の中に誤って墜落。ドラム缶の中で火にかけられていた煮えたぎる沈殿物に浸かり、胸から足にかけて大やけどを負った。難民スタッフのワミが事件を警察署に報告し、その後、サタティ警察官は急いで病院に搬送された。

この事件は、2011年のクリスマス前日、12月24日午後10時45分に、難民キャンプの居住ブロック起きた。UNHCRが設けているキャンプ内の規則では、本来なら夜の6時以降はキャンプ内の居住地域には、警官を含めていかなる人道支援組織の職員も立ち入ることは許されていない。

しかし事件当日の夕方、ブロック11の居住地域にあるジャックシティ・レストランで、サタティはワミと一緒に酒を飲んでいるところを目撃されている。その時サタティは警官の制服を着ておらず、拳銃も携帯していなかった。そして夜9時ごろ、サタティはワミと別れた。9時から10時45分まで彼がどこにいたのかは分かっていない。それからサタティは、ゼイマという難民の女性が眠っている家に押し入った。サタティが部屋のドアを押し開ける音で、ゼイマは目を覚ました。彼女が話しかけてもサタティは返事をしなかった。彼は何の説明もなくゼイマの家に押し入ると、彼女に向かってスワヒリ語で「静かにしろ」と言った。サタティを強盗だと思ったゼイマは、恐ろしさのあまり叫び声を上げた。その声を聞いてゼイマの兄弟のタエが彼女を助けようと駆けつけたが、サタティはすでに彼女を家から追い出していた。タエはサタティ警官とは顔見知りだった。そこで彼がサタティに、いったいこんな夜中に何の用かと尋ねようとすると、サタティは口ごもって道に迷ったと答えた。そこから口論が始まり、殴り合いへと発展した。そして、後ずさりしている時に、サタティは運悪く居住用の建物の角に浅く埋められている蒸留用の熱いドラム缶の中に落ち、ひどい火傷を負った。

タエはすぐにサタティ警官を助けに行き、煮えたぎるドラム缶から彼を救出した。近所の人々も、何人か現場にやってきた。そこにはワミもいた。そして、手分けして警察に知らせ、救急車を呼んだ。怪我を負ったサタティは、難民キャンプ病院に運ばれ応急手当を受けた。それから、カクマ・ミッション病院へ転院し、3週間以上も集中治療を受けた。

事件の翌朝、別の警察官が現場にやってきた。タエとゼイマは証言を録音したいと言われ、ブロックのリーダーと一緒に警察署に行った。サタティに襲われた時の様子を一通り尋問されたあと、自分たちのコミュニティーに戻るように言われた。しかしサタティと殴り合いをしたタエは、警察に指名手配されていることを知り、キャンプを逃げ出し南スーダンに行ってしまった。

しかしながらサタティ警官を知る何人かの難民は、食糧配給の際、彼が難民を襲撃したと言っている。彼が難民を不当に扱っているところも繰り返し目撃されていて、周囲からは難民に対して否定的な意見を持っている人物と思われているようだ。「とても厳しい男だ。食糧配給センターでは、人間を犬でも扱うように殴っていた。サタティの悪行は有名なんだ。こんどは、我々の仲間と問題を起こしちまった」と、ゾーン2に住む難民のリーダーは匿名で語ってくれた。

また他の人たちによれば、サタティ警官は些細なことで難民たちを攻め立てて困らせていたという。サタティの対応を受けたことがある人の多くが彼に不満を持っているのだ。もちろん、人道支援組織の職員の多くはとても親切で謙虚だが、なかには自分の権力を濫用してキャンプの難民たちを社会的に不利な立場に追いやってしまおうとする人たちもいる。加えて、人道支援組織の職員は、難民居住地域にやってきては難民と一緒に過している。ある難民の女性は、違法にお酒を売っていることを率直に認めた。食料の割り当てが十分ではないので、子どもたちを養うためには他に生計を立てる方法がないからだ。「私たちは事情があって、お酒を売っているのです。食料の割り当てが不十分です。お金がない、野菜もない、私たちはいろいろな困難に直面せざるを得ないのです」と、ロトゥコ族の女性が匿名を条件に話してくれた。

〈事件の影響〉
コミュニティーの人々は、警察の権力行使におびえている。2011年12月28日の朝には、政府治安警察官たちが地元の司令官と警察部隊を連れて、事件が起きたコミュニティーに一斉に入り、その後数時間留まっていた。ゾーン2ブロックの難民たちは、犯罪者やお酒を取り扱っている人たちを逮捕するために送り込まれた一般の警察官に襲われた。犯罪者や違法にお酒を販売している者たちを捜索している過程で、現場に居合わせた難民のうち何名かが警察官に殴られたが、それはまるで仲間の警官であるサタティの敵討ちであるかのように激しいものだった。

「私は自宅で殴られました。警官は、何の予告もなく家の中を捜索しました。私は、キャンプの病院で手当てを受けなければならなかったんです」と言うのはブロック11に住む女性。「4歳になる娘は、共同住宅で兵士に殴り倒され2日間も意識を失ったままだったんですよ。病院で治療を受けなければならなかったんだから」と、その子の親も訴える。

住民の話では、武装した警察官をたくさん乗せた8台の警察車両がそのブロックを包囲し、人々を殴ったり、行く手をさえぎるものをことごとく倒し始めたという。「警察のパトロール用の車が8台停まっていました。みんな、おびえていました。私が外で困惑していると、2人の警官が私の家に入ってきました。」ブロック11に住むNGO職員はそう話した。ブロック11と12のコミュニティーに住む人たちは逃げ出して、3日以上も警察から離れた安全な場所を探しながらあちこちで過していた。

コミュニティーの人たちは、警察官たちのこの行動をコミュニティーの規則と住民の人権を侵害するものと見ている。住民たちは、コミュニティーの中の一個人による悪行の容疑なのに、コミュニティー全体が標的にされるべきではないと述べている。「警察が、怪我を負った警察官と殴りあった人たちの行為に何らかの犯罪の可能性があると知っているなら、なぜ警察は彼らを逮捕した後で釈放してしまったのか。何も知らない子どもたちは、恐怖を感じている。子どもたちの権利はどこに行ってしまったのか」ブロック4の若者は怒りに駆られながらそう疑問をぶつけた。ブロック11と12,4,2,1は、今回の事件の影響が大きい地域だ。

12月31日には、エクアトリア・コミュニティー出身の男女が集まって、UNHCRカクマ支部の前で穏やかなデモが行われた。そのデモでは警察の相次ぐ蛮行に不満をつのらせた住民たちが、12月28日以降コミュニティー全体が警察の復讐行為の対象になった理由を説明してほしいと要求した。指導者を含めて15人で構成されている抗議行動グループはUNHCR幹部に面会し、自分たちの要求を主張した。UNHCRは、直ちに調査員による検証を行うことを約束した。

〈ロドワー裁判所〉
その事件に関連して、7人の難民が逮捕され、そのうち6人がロドワーにあるケニアの裁判所に移送された。そのうちの1人は小学生の男の子。それに3人の女性と、中学校に通っている女の子が1人。それからカクマキャンプ内のアンジェリーナ・ジョリー女子小学校に通っているサイラだ。サイラは20011年12月28日に店で洗剤を買っているところを逮捕された。彼女たちはロドワー裁判所に告発され、罰金と禁固刑を宣告された。サイラは、まだ幼くて付き添いの親もいなかったので、カクマキャンプに帰され、2011年12月28日から2012年1月4日までキャンプ内の警察署の留置所に身柄を拘束された。そして保釈金として、両親は5千ケニアシリングを支払った。両親はサイラが何の罪で告発されたのか教えて欲しいと要求したが、詳しいことは何も明らかにされなかった。「娘が何の罪を犯したのか警察に説明して欲しいと言いました。彼女は8日間も閉じ込められていましたが、私には何も知らされていませんでした。警官は私に、ここに来てお金を払えば娘は釈放されるといいましたが、そのときは手持ちのお金がなくて」と、サイラの親は言った。

2011年12月28日、ロドワー治安判事裁判所に事件の容疑者である6人の難民が出頭し、違法に酒を製造かつ消費していた罪と警察官襲撃の罪に問われた。裁判所は、全ての容疑についてその日のうちに判決を下した。そのため、告発され留置されていた難民たちは誰一人として、カクマキャンプのUNHCR職員を法定代理人に立てる事ができなかった。

ニイムは、違法醸造所を運営していた罰を科せられた。5人の子どもの母親であるニアンガは酒を飲んでいるところを見つかり、3歳の女の子と一緒に逮捕され、8ヶ月も刑務所に収監された。そしてUNHCRは難民としての適正資格をテストするため、彼女の家族を呼び出した。家長がいないので、6人家族の食糧配給は4人分に減らされ、4人の子どもたちはひどい空腹状態に陥っている。それでもニアンガの家族は皆、UNHCRが家族に代わってロドワー刑務所にいる子どもとその母親を釈放してくれるだろうと期待していた。

一方、同じく飲酒の容疑で逮捕された女性ディタズは、法定代理人を立て警官の申し立てには自分は一切かかわっていないと主張し、身を守ることができた。彼女は自分がなぜ逮捕され、裁判所にいるのか分からないと述べた。密造の容疑をかけられた近所の人たちが走って逃げていた時、服を洗濯していた。それなのに警官は、何の質問もせずに彼女を逮捕したのだ。裁判官は彼女の主張を認め、逮捕から2週間後の2012年1月、チタズを釈放した。

チミも2012年1月2日の2回目の公判で5000ケニアシリングの罰金刑に処せられるまで、ロドワーに拘留されていた。幸いにも彼女の親類がロドワーに行き罰金を払うことができたので、釈放された。チミはその日のうちに親類と共にカクマキャンプに戻った。

事件の判決が言い渡される重要な日に、UNHCR職員がカクマの警察署を訪れたが、エクアトリア・コミュニティーで逮捕された6人が釈放された後であり、あまり有意義なものではなかった。また、アンジェリーナ・ジョリー女子小学校の女性校長は、親からの知らせを受けると自分の学校の生徒を釈放してもらおうとロドワー裁判所に駆けつけた。しかし、裁判所に着くとサイラは既にカクマキャンプに戻っていて、警察の保護下に置かれていた。すぐに、この事件を明らかにするためのさまざまな問題が議論されたが、結局どれも無駄に終わった。

UNHCRの報告書には次のように書かれている。「12月29日と31日に、地域の指令官が率いる通常の警察官と政府警察官の共同部隊が、カクマ1ゾーン2の5と9のブロックで違法に酒をつくっている人たちの捜索を行った。その地域は、大部分がエクアトリア州出身の南スーダン人が移住している場所だ。報告書にはさらに、その「襲撃」は祝日期間中のキャンプ内での犯罪を積極的に防ぐ目的だったともかかれている。「不法に作られた酒が満タン状態だったいくつかのドラム缶が空にされ、コンテナが破壊された。違法に酒を製造していた容疑で数人の容疑者も逮捕された。彼らは、その週のうちにロドワー裁判所に召喚されることになっている」

エクアトリア・コミュニティーに関連した事件は、たくさん報告されている。難民や地元住民の間では、手広く不法に酒をつくっているグループとして有名なのだ。エクアトリアの住居は、生活や衛生の面でも、カクマ1の中で最も貧弱だ。とくに居住区分けの状況が危機的で、地元住民と難民コミュニティーの間で衝突が起きている。警察のパトロールで犯罪を抑えたり、暴力行為を抑制したりしているが、すべてを取締れていないのが現状だ。

※記事中の人名は本名ではない。


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