Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2020年4月号 コミュニティ内での暴行で5人が死亡、多数が怪我

2020年07月29日 | コミュニティーとカルチャー
KANEREスタッフライター

三日間続いたカクマ難民キャンプ内での民族間衝突で、少なくとも5人が殺された。衝突は2019年12月10日、カクマ3ゾーン2ブロック13で行われた南スーダンとスーダンのサッカーチームによる試合の最中に口火が切られた。サッカー場での小競り合いがより大きな復讐になり、居住地にまで広がった。翌日までには、カクマ3の多くの住民に危険が及び、支援NGOも巻き込んで徒歩や車で人々が移動し、混雑・渋滞が何日も続いた。

カクマ3のリーダー、ガトゥジャックさんは、衝突がどのように始まったか、次のように説明している。「12月10日にヌビアンズ(スーダンチーム)とロツコ(南スーダンチーム)によるサッカーの試合がありました。南スーダンチームにはディンカ族のゴールキーパーがいるんです。ヌビアンズがゴールを決めたとき、エクアトリアン(南スーダン赤道州の人々)を支持しているヌエル族の観衆はが、ロツコのゴールキーパーの右後方に立っていて、ゴールの瞬間に笑ったんです。それでディンカ族のゴールキーパーは笑った少年に殴りかかりました。すると、遠くにいたヌエル族の仲間がかけつけて、ゴールキーパーを止めに入りました。今度はヌビアンズが来て、殴られていた少年を助けようとしたヌエル族の男を追いかけました。これを見ていた女性が、コミュニティに戻ってからヌエル族の若者に事件を伝えたんです」

この衝突を間近で見ていた人々がKANEREに語ったところによると、若者グループはWhatsAppなどのSMSを使って仲間に動員と攻撃を呼びかけたという。

弟が殺されたという女性は次のように話している。「人々がここで争っていたんです。私たちには何が起きているのか見当もつきませんでした。12月11日の朝、彼らは徒党を組んでカクマ3ゾーン3ブロック8に攻撃を仕掛けてきました。手あたり次第に殴りかかってきたので、多くは川の方に逃げました。彼らはクリニック7の周辺にまで攻め込んできたのですが、私たちの若者に押し返されました。複数の人たちがその日に死んだんです。翌朝も来ましたが、追い返しました。私は弟たち3人を家に残して、コミュニティの中を歩き回っていたんです。そこに彼らがやってきて、弟を殺したんです。他の2人は幸いにも逃げ出して助かりました。弟は13歳だったんです」


【写真】カクマで行われた南スーダンチームのサッカー試合

ゾーン3のブロック6と7に住んでいるヌエル族コミュニティは、安全が確保できないと訴えている。このブロックはカクマ3の外れに位置していて、攻撃者はいつでも報復に来られるからだ。

22歳の若者は「彼らが来たのは今回が初めてです。ぼくらは追いかけられ、2人が捕まって殴り殺されました。ぼくは気を失ったので死んだと思われ、幸いにも助かりました」とKANEREに話した。

ヌエル族のリーダーも「彼らはいつ来るかもわかりません。我々は眠れない夜を過ごしてます」と言っている。

「我々のチームにはディンカ族のゴールキーパーがいて、彼はエクアトリアルを支持しているヌエル族の若者と争っているんです。両民族は歴史的な確執を抱えているので、ヌビアンズは二人の争いを何とか解決しようとしたんです。それでヌビアンズは争い大きくならないようにディンカ族のゴールキーパーを退場させたわけです。それで両者とも試合を続けました。ところが、12月10日の夜、一人の選手が家の前に座っていると、反対側から近づいてきた若者にパンガス(蛮刀)で、病院に運ばれる途中で亡くなりました」

「私は家に戻ると危ないというメッセージを受け取りました。私が良く知っている人間が、メッセージを届けてくれたんです」住むところがなくなったヌビアン人のセルマンさんはこう言った。

カクマ2の若手リーダー、チョウルさんは次のように説明する。「彼らは、サッカーの試合がきっかけで始まった事件だと言っていますが、これは、単なるサッカーの争いごとではありません。裏の事情があるのです。ヌビア人とヌエル族はこれまで、こんな争いはしたことがありません。彼らは実際には我々の敵ではないのですが、彼らは歴史的な対抗意識で、ものが見えなくなっている。政治的に扇動されているんです。ジュバから資金が来ていると思います」

しかし、ホンコンマーケットの若きリーダー、メンコイェさん、チョウルさんの見方には信ぴょう性がないと異議を唱えている。難民事務局(ARS)とダルフールコミュニティの長老たちの仲介で開かれた二日間のリーダー会議で、平和が戻った。しかし、多くのヌビア人は逃げ出し、元のシェルターに戻ることを拒否している。

「難民同士の争いや地域住民との紛争は、対応を誤ると、難民と地域住民の融合のグローバルモデルとして強く支持されているカロベイエイ社会経済統合開発プログラム(KISEDP)の実行に暗雲をもたらしかねない」GOKのトップは、2019年7月13日にUNHCRで開かれたソマリアとトゥルカナコミュニティの紛争を調停するための会議で、こう述べている。


【写真】カクマでお行われた南スーダンチームのサッカー試合

カクマに住みながら家を亡くした56人のヌビア人スポークスマン、アバディ・ハッセンさんは、「私はガンベラコミュニティに移っていましたが、ここの治安リーダーはヌエル族です。そのため、生命の危険を感じてカクマ1のエチオピア正教会の教会に逃げ込んでいます」と話す。

「私たちは、難民事務局とダルフールコミュニティの支援で、行き違いを解決しました。しかし、我々のコミュニティは元の居住地に戻ることを拒否しています。特に、カクマ3ゾーン3ブロック1,2,4,5,6,,8,12,13から逃げてきた人たちの意思は強固です。さらに、カクマ2ゾーン2ブロック6の人々も、戻ったら攻撃されると恐れています」

家を離れたヌビア人の中には、紛争解決後かなりの時間がたっているのに、まだカクマ3のヌビア人の家で暮らしている人もいた。


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