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2008年12月号 アフリカにおける子供の権利:前進を願って

2009年05月15日 | 人権
アフリカにおける子供の権利:前進を願って

アフリカ人の親に、子供達を叩くのはいけないことだとわかってもらうにはどうしたらよいだろうか。アフリカ人の親は自分たちの経験から、子供を叱るには叩くのが唯一の方法だと思いこんでいる。そういう親たちに、子供はみな愛情深く諭され叩かれない権利があるのだと、どう説明したらよいだろうか。最近目の当たりにした事例だが、ある母親は子供が言うことを聞かないからと食べ物や着る物を与えず、ルーテル世界連盟の子供の権利擁護室に行って面倒を見て貰えと、子供に命令していた。

この母親は、自分が産んだ子供は自分のものであり何をしてもよいと思っている。テイーンエージャーの娘が妊娠したとき、妊娠した娘の母親が自らを赤ん坊の父親として国連難民高等弁務官事務所に届け出たという話もある。娘のボーイフレンドが気に入らないという理由で。

歴史をさかのぼって1700年代のヨーロッパを見ると、裕福な家庭であっても女子は学校にいくことができなかった。男子は学校に行き、一方女子は花嫁学校で料理、髪型の整え方、結婚後の家庭の切り盛りなどを身につけた。こういう花嫁学校は、娘達が裕福で身分の高い男性と結婚し、家族の名を高めるために存在していた。親が娘を学校に入学させるようになっても、その数はわずかだった。また数学や科学のような科目を学ぶ機会も認められなかった。数学や科学は女子生徒の能力を超えるもので、男子生徒しか成し遂げられないと考えられていた。

1800年代の産業化の時代には石炭が採掘された。工場は多くの従業員を必要とし、安い労働力として子供達を雇用した。子供の労働力は時代の趨勢となった。子供達は権利のことなどわからず、働くには幼すぎるとか賃金が少なすぎるとか、自分の要求をつきつけることできないからだった。

こうした考え方や習慣を変えるのにヨーロッパ社会は300年以上かかった。長年かけて少しずつ変わり、ようやくすべての女子が学校に通えるようになり、子供の労働は違法となった。

さて、ほとんどのアフリカの国は独立して50年足らずだが、我々は押し寄せてきた変化をすぐさま受け入れた。習慣を変え、あらゆる人間には権利があることを理解するのに300年はかからなかった。世界は変化している。我々は前途に横たわっているより良いものに向かって走り続けている。

たしかに親達は、子供を罰するのに従来のやり方に従わなければならないと思っている。また宗教や文化を盾に子供達を支配できると思ってはいるが、それでも私は、変われる可能性はあると希望的観測をしている。なぜならつい最近独立したばかりなのに、たいした時間もかからずに子供の権利を受け入れてきたのだから。

アフリカにハレルヤ! 我々が今しなければならないことは、我々の大陸を分裂させようとしている邪悪な指導力を遠ざけることである。


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