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ロスチャイルド財閥-170   ゴールドマン・サックス(ロスチャイルド系) vs モルガン・スタンレー(ロックフェラー系)

2023-01-19 15:56:34 | 国際政治・財閥

 vs 

金融業界で、2大投資銀行のゴールドマンサックスvs モルガン・スタンレーも、ユダヤ・ロスチャイルド系 vs WASP・ロックフェラー系で激しい競争が繰り広げられています。




金融業界の簡単な歴史

今ではアメリカが圧倒的な金融市場ですが、古くはイタリアのヴェネツィアが、ヨーロッパ全体における金融の中心でした。そこからベルギーのブリュージュ、同じくベルギーのアントウェルペン、オランダのアムステルダム、そしてロンドン、ニューヨークと移り変わってきた歴史があります。



【世界権力シリーズ】 ベネチアの黒い貴族 デル・バンコ一族
https://www.youtube.com/watch?v=KI38_9MqJvo

ロスチャイルド財閥ー85 ヴェネチアの黒い貴族: 人類史絶対勝者のルーツhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ee17d9c2af99e8fb646a1c44d6e8e129

 



中世ヨーロッパでは、香辛料や毛皮、奴隷などの貿易が盛んに行われ、市場経済が発達していきました。貿易が行われるにつれ、「両替商」たちが栄えるようになります。15世紀に始まった大航海時代、イベリア半島に位置するポルトガルとスペインは、大西洋に面した地の利を活かして交易圏を拡大しました。中でもポルトガルは、喜望峰(アフリカ)経由でのコショウ調達を独自に開拓し、優位に立ちました。

ところが16世紀に入ると、ポルトガルが衰退。ポルトガル王室はスペインとの結びつきを強め、1580年にスペインによって併合されます。元々スペインの統治下にあったオランダは、反乱によってスペインと敵対していました。ポルトガルがスペインに併合されたことで「コショウ」を調達できなくなってしまい、ピンチに陥りました。

オランダは、こうなったら自力でコショウを調達しようと、アジアに直接、船団を送り込みました。これが見事に成功し、オランダも喜望峰経由でのコショウ貿易を可能になりました。

クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したとされるのは1492年。以来、ヨーロッパでは「大航海時代」が到来し、アメリカ大陸はヨーロッパ列強によって草刈り場になります。ヨーロッパ諸国の植民地としてのアメリカは、独立宣言が行われた1776年まで続きます。

「投資銀行」が生まれた背景には、ヨーロッパを中心とした激動の時代において、国家や企業の莫大な資金需要をささえた商人たちの存在がありました。1609年、オランダ東インド会社に雇われていた冒険家、ヘンリー・ハドソンマンハッタン島にたどり着きます。

5年後には、そこがオランダの領土「ニューネーデルラント」として宣言され、1626年には島の南端にオランダの植民拠点を建設して「ニューアムステルダム」と命名。当時のオランダは金融の中心だったこともあり、マンハッタン南部には地方商人や貿易業者が集まっていきました。

そして1653年、インディアン(ネイティブ・アメリカン)や戦争相手のイギリスから、オランダ系の入植者たちを守るための「防護壁(ウォール)」が建設されます。これにともなってマンハッタン南部の防護壁沿い「ウォール街」と呼ばれるようになり、現在まで名前が残っています。

1664年にイギリス軍が侵攻してくると、オランダ総督のピーター・ストイフェサントは無抵抗で降伏を受け入れます。さらに1667年、第二次英蘭戦争が終結した際にはニューアムステルダムイギリスに割譲され、「ニューヨーク」という名前に変更されました。

ウォール街を中心とする「投資銀行」が生まれる少し前、ロンドンで活躍をはじめたのが「マーチャント・バンク(国際銀行)」です。

1848年にゴールドラッシュが始まって以来、投資家たちはアメリカの鉄道株や、西部に開業した銀行の株を買い集めました。

開発が進むにつれ、西に向かって人口の大移動も起こり、それに続くようにして銀行も西に集まっていきました。西部に集まった小規模な銀行たちは、多くが独自の「銀行券」を大量に発行しました。すると当然、通貨のインフレが起こります。はじめは好景気のムードが高まり、輸入の拡大やビルの建設ラッシュなどにつながりますが、実態はバブルでした。




当時、アメリカでは鉄道・鉄鋼事業で巨万の富を得る人たちがいました。 オランダからの移民である鉄道王ヴァンダービルド一族はアメリカだけでなく世界一の大富豪。

鉄鋼ではバテル一族が巨万の富を得て、現在では2万人以上の一流大学の研究者(Dr.は数千人)を有する世界トップクラスの研究所「バテル記念研究所」を設立し、アメリカの国立研究所群の管理・運営を受託し、なんと民間企業がアメリカの国立研究所を管理・運営しているのです。 バテル記念研究所はヨーロッパにもあります。


私も、付き合いがあり、量子関係と数百GHz通信のPJでバテル記念研究所に、理論も含めて可能性について見解を聞きに行ったことがありますが、調査レポートだけで1億円支払いました(もちろん会社のお金) 。しかし理論的にかなり詳しく説明してくれていたので、大変有用なものでした。 とても日本だけでは得る事の出来ない情報・見識・見解でした。

基本的にバテルは儲け過ぎて事業をする気が無く、アメリカの国立研究所や日米欧の大企業にアドバイスなどし、世界に貢献する慈善活動ビジネスモデルのNPO法人ですが結構高いです。 一般的には日本の大学と同じように数千万円くらいの費用じゃないでしょうか。

ちなみにコピー機で有名なXEROX社は、バテルでコピー機を開発しスピンアウトしたベンチャー企業です。 CDもフィリップやソニーが自分が発明したかのようにPRしていますが基本特許はバテルです。 いうまでもなく他にも多くのバテル発の発明があります。 原子力液化石炭などエネルギーコンピューター通信光ファイバーなど素材関連、etc.




1857年にこのバブルが崩壊すると、保険会社を中心に経済的な混乱が発生。この影響は、ニューヨークの保険会社にまでおよび、保険会社が銀行から現金を引き出そうとすると、銀行側も自衛手段を取り、ニューヨーク市では18の銀行が正貨の支払いを停止。ニューヨークで働く労働者2万人が職を失いましたが、ウォール街の投機家たちの中には、多額の利益をあげるものもいました。

ゴールドラッシュに訪れた人たちの多くはヨーロッパ系移民であり、ブドウ栽培やワイン醸造の知識を持っていた人も少なくなかったため、カリフォルニアはワインの名産地となりました。

JPモルガンやモルガン・スタンレーといえば、ウォール街を代表する金融機関。どちらも「モルガン」の名が入っている通り、「モルガン財閥」がルーツです。モルガン一族は英国ウェールズ出身の敬虔なプロテスタントで、アメリカに移民してきます。 移民当初は農業からはじめ商売し生計を立てました。

ジューニアス・モルガン(JPモルガンの父)は、フランス公債を引き受けて大成功し、ロンドンで一番金持ちのアメリカ系金融業者となりました。父の巨大な資本力をバックに、ニューヨークのウォール街でのし上がったのが、モルガン商会の創始者であるJPモルガン(ジョン・ピアポント・モルガン)です。

1865年に南北戦争が終わると、アメリカで鉄道建設ブームが巻き起こりました。ところが、きちんとした規制はなく、鉄道株は問題の温床となります。

「乗っ取り屋」ジェイ・グールドは、ある小さな鉄道会社を買収しようと株を買い占めました。創業者を追放すると、創業者は裁判でグールドを解任し、映画のような暴力沙汰に発展しました。

グールド側は、ならず者800人を集めて列車に乗り込み、創業者側も450人ほど詰め込んだ列車を出し、両者を正面衝突させたのです。10人ほど射殺による死者も出たと言われています。この調停役に選ばれたのが、出資者の一人だったピアポント・モルガンです。

取締役に入れられたピアポントは、判事を連れてきて対立派の取締役を追い払い、さらには別の鉄道との合併を進め、見事に紛争を解決しました。ピアポントは単なる資金の出し手ではなく、企業の相談相手として頼られ、お金以上に「権力」を強めました。

ピアポントのモルガン商会が圧倒的な存在になるきっかけとなったのが、1873年の金融恐慌です。
モルガン財閥の創始者、ジョン・ピアポント・モルガンは、19世紀末のウォール街で絶対的な権力を誇りました。

1913年にピアポントが亡くなると、気弱な2代目と思われていたジャック・モルガンが、巨大な財閥をトップとして経営することになります。ジャックが父を継いでトップの座についたのは46歳のときです。
はげしい気性の父と違い、穏やかな性格だったジャックは、財閥トップとしては期待されていませんでしたが、どこにでもよくある話で、人の意見をよく聞き判断する経営者は、古今東西大体、成功します。

現実には、彼の代でモルガン財閥はさらに拡大しました。ジャックは、父ほどのカリスマ性が自分にないことを自覚していたため、権限を側近たちに移譲し、自分より有能な人たちに任せることにしました。現代の経営では当たり前のことですが、カリスマだった父ピアポントには絶対にできないことでした。

ピアポントの死後すぐに訪れた苦難にも柔軟に対処しました。当時の政権が銀行と企業の取締役兼任を禁止する法律案を目指していたところ、モルガン商会のパートナーたちが先んじて、約30社の取締役を一斉に辞任したのです。

これが功を奏し、1914年に成立したクレイトン反トラスト法では、競合間での取締役兼任は禁じても、銀行家が取引先の取締役になることは禁じませんでした。第一次世界大戦が始まって1915年になると、ウォール街史上で最高額となる5億ドルもの英仏公債の発行引き受けが行われます。

モルガン商会は、これに主幹事として参加します。引受業者は61社、販売に参加した金融機関は1,570社に達します。ところが、アメリカ国内にはドイツ系移民も多く、敵国である英仏債券を大量に売りさばくのは簡単ではありませんでした。年末には合計1億8,700万ドルの公債が売れ残ります。モルガン商会が英仏のために足りない資金を用立てることになり、大戦が終わるまでに15億ドルを超える金額を融資しました。

1917年にはアメリカが参戦し、170億ドルもの「自由公債」を販売します。これにはチャーリー・チャップリンやダグラス・フェアバンクスなどの有名俳優が集会に登場し、農民や労働者など、新たなアメリカの個人投資家層が開拓されました。モルガン商会は、大戦の中で重要な役割を果たしたことで、その支配力をさらに拡大しました。


モルガン財閥GM・GE・ATT・USスチール・カーネギー・ニューヨーク鉄道など所有し、影のアメリカ政府と言われるまでに成功できたのは、2つの大きな理由があります。 それは、ロスチャイルドがアメリカ市場に参入しようとしたとき、ユダヤ人差別で参入できませんでした。 

それでロスチャイルドは英国エスタブッリッシュメントでWASPのモルガンをアメリカ市場での代理人に使ったこと。そして1913年のモルガンが所有するジキル島での金融家たちを集めた秘密会議を行い、100%民間所有のアメリカの中央銀行であるFRBの設立に、主導的立場で成功したことです。 ドル紙幣の発行権を政府に認めさせ、ロスチャイルド、クーン・ローブ、モルガン、ロックフェラーなどの国際金融財閥が所有する銀行が大株主になりました。 


・ロスチャイルド財閥ー59 ジキル島の秘密会議
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3900d492b7661d431cb79fea2e7f343d

・ロスチャイルド財閥ー65 民間所有の中央銀行 「連邦準備制度銀行」の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f3ae7f7dc7ac6d2e9947a23988df229



第一次世界大戦の匂いを嗅ぎつけたロスチャイルドが背後で動かしていたわけですが、ちょうど大戦が勃発し、大戦の戦場となったヨーロッパのイギリス、フランスなどの連合国の国債を引き受け購入。そしてアメリカ政府も戦争には、巨額の戦時国債を発行させ、中央銀行であるFRBがそれを購入。 購入と言ってもただ同然の紙切れに印刷したドル紙幣を大量に印刷しただけです。 

その国債は満期がくると利子をつけてFRBに返さなければなりません。 その利子はアメリカ国民の税金。 そしてFRBの大株主である前述の国際金融財閥はボロ儲けです。 このシステムは国際金融財閥と軍需産業関係者がボリ儲けし、国民からは選挙という洗礼(批判)を浴びずに、自動的に税金を巻き上げることのできる天才的なアイデアなのです。

だから国際金融財閥(DS?)は各国に国債をもっと発行するように煽ります。 調子のって洗脳され発行しまくると、何が起こるか? 国際金融財閥は益々金持ちになり、国民は貧乏になります。

彼らの目的はお金だけではありません。 世界統一政府という野望です。 彼らを頂点とし、すでに我々庶民は彼らのいうことを何でも聞かかなければない奴隷階級となりつつあるのです。いいかげんに気付きなさい!



・ユダヤ教(実は軍事同盟)とグローバリズム、そして軍需産業
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/703f7d4234db701908bfd7cbaa536e30

・ノアの呪いと黒人差別
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5717d0661572032c599ef59efd580a2e

・明治以降、日本語訳の旧約聖書に書かれなかった一節https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/02df639b5ab25372db80ce9dca89b4af

・イスラム教もユダヤ教も教義は、自分たちが世界征服するワンワールド化が目標
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c3d70d0413c2f79c9e782733e2ddc704

 



第一次世界大戦で、それまで世界覇権を握っていた欧州は戦場となり疲弊し、世界覇権は大英帝国からアメリカ帝国に移行し、アメリカでは黄金の1920年代を謳歌しました。

この中央銀行というシステムが作られ、世界で最も豊かと言われた大英帝国、アメリカ帝国、日本国民はどうなりましたか? みんな中間層から貧困層に没落したでしょうが。そして国際金融財閥関係者は天文学的豊かさを享受し、格差は広がる一方なのです。 

アホみたいに調子こいて国債を発行しまくればこうなるのです。 今の、日本の円安もそうですよ。円安で石油など高騰し、巨額の貿易赤字で、国富がすごい勢いで減少しています。

アホのMMT信者が、自国通貨発行できる国家は、自国通貨での国債を発行するのは全然問題ないこと騒いでいましたが、それは全ての経済活動が自国内で完結するケースか、自国通貨が世界の基軸通貨であるケースだけであります。 

今日のように国際為替取引、国際貿易が常識の場合は、資金調達のために国債を発行すると、どんどん円安になり国の財産はどんどん目減りします。普通の頭を持っていれば誰でもわかることですが、このドアホらには分からない。 


アメリカが世界経済をリードするようになって覇権を握ったのは、モルガン商会をはじめとするWASP系金融機関。そんな中、後発のユダヤ系資本として、ゼロからのスタートでありながらウォール街を代表する存在になったのがゴールドマン・サックスです。

創立者のマーカス・ゴールドマンは、1821年にドイツに生まれました。ドイツ革命で反ユダヤの風潮が強まった1848年、同胞たちに混じってアメリカに移住しています。

有力なユダヤ資本と何の縁もなかったマーカスは、ニュージャージーで行商人として働き始め、1869年ニューヨークへ渡ります。南北戦争(〜1965)が終了後、市場金利は高く、後のコマーシャルペーパーに相当する商業手形を使って商売をはじめました。

当時の銀行は力が強く、支店がなくとも融資を求めて顧客がやってくる状況でした。マーカスは、資金を求める商人と知り合い、彼らの信用度を調べた上で、大手の商業銀行との間に立つことにしました。

ギリギリのキャッシュフローで商売を行う宝石卸商や、皮革商人などを相手に、商人の約束手形を割り引いて買い取り、商業銀行まで持って行ってわずかな利ざやを乗せて再販。

非常にささやかな商売でしたが、すぐに現金化できるゆえにリスクは低く、取引を繰り返すことで事業を伸ばしました。1882年には税引き前で5万ドルの利益に到達。今の貨幣価値で130万ドルほどですから、個人事業としては大きな稼ぎです。

羽振りがよくなったので、末娘の夫サミュエル・サックスをジュニア・パートナーに採用。商号を「ゴールドマン・サックス」に改めました。

創業から50年ほど、パートナー(共同経営者)は全員、親戚の中から選ばれました。1890年代には、アメリカで最大のコマーシャル・ペーパー業者に成長。

ニューヨーク以外の地方都市にも手を伸ばし、1897年にはロンドンの有力なマーチャント・バンク、クラインウォート家を訪れ、ニューヨークとロンドン間の金利差を使った共同事業を提案。これも軌道にのり、ヨーロッパの銀行とも取引関係ができます。

当時、ロンドンの金利はニューヨークに比べてはるかに低く、こうした短期金融の活動を広げることができました。ゴールドマン・サックスのコマーシャルペーパー事業は急拡大し、1904年の資本金は100万ドルに達しました。1907年にマーカスが亡くなると、2代目ヘンリー・ゴールドマンは「投資銀行業務に進出したい」という新しい野心を持ちます。

1900年ごろ、後発のユダヤ系業者でありながら、ウォール街のトップ業者たちに食い込んでいったゴールドマン・サックス。

成長を牽引した2代目トップのヘンリー・ゴールドマンは、第一次大戦をきっかけに過激なドイツ支持に傾いてしまい、それが元でゴールドマン・サックスは経営難に陥ってしまいます。ヘンリーの後をついだワディル・キャッチングスは1920年代、好景気に浮かれるアメリカ経済の中で浮かれてしまい、さらに深刻な危機をもたらします。

キャッチングスは1928年に出版された『豊かさへの道』という本を書き、「事業では環境がどうあろうと、フル回転で生産を続けるべきだ。なぜならアメリカは繁栄するのだから」といった無邪気な言葉を残しています。アメリカ経済の繁栄が限りなく続くと信じていたキャッチングスは、当時注目された「会社型投資信託(ただの持株会社)」に最悪のタイミングで参入します。

キャッチングスは、1929年の春に「ゴールドマン・サックス・トレーディング」という持株会社を設立し、市場から資金を募りました。1907年、使い走りからスタートしたシドニー・ワインバーグは、世界恐慌で危機的状況に陥ったゴールドマン・サックスを、自身の圧倒的な「政治力」を駆使して立て直し、自らの地位も高めました。

 

戦時中には、アメリカ中の有能な若手企業幹部と知り合いになり、彼らがCEOになったときに投資銀行として指名されるサイクルを作ります。その中にはフォード社の若きCEO、ヘンリー・フォード二世もおり、その後のゴールドマン・サックスの成長に大きな影響を与えました。

フォード・モーター社は、ヘンリー・フォード一世によって設立された個人所有の会社でした。

1947年に彼が亡くなると、息子のエドセルがCEOに就きますが、わずか6ヶ月後に亡くなってしまい、弱冠35歳のヘンリー・フォード二世が継承。

長老フォード一世は亡くなる直前、相続税を節約するためにフォード社の普通株88%を移してフォード基金を作り、2%がフォードの幹部や社員に割り当てられ、一族に残されたのは10%だけでした(この10%で議決権は100%)。ところが、フォード社が配当を支払っていなかったため、フォード基金の収入は不十分。理事たちは寄贈された株式をニューヨーク証券取引所に上場して公開し、大量に売却することにしたのです。

これにはフォード一族が大反対します。何しろ、一族の多くはフォード社の社員であり、たっぷり給料をもらい、裕福な立場にありました。配当金など必要なかったため、基金と一族が対立することになりました。そして、両者は偶然にも同じ専門家をアドバイザーにつけようとしました。それが、シドニー・ワインバーグだったのです。

ゴールドマンサックスの中興の祖が、 このシドニー・ジェームズ・ワインバーグで、 当時ハーバード大学のMBAしか採用しない決まりのあったゴールドマンサックスですが、

シドニー・ワインバーグは、ささやかな酒の卸業を営む移民、ピンカス・ワインバーグの11人の子供の3番目に生まれました。 11891年に生まれ、ブルックリンで育ち、公立代13小学校で教育を受けました。 彼は生涯、この小学校に愛着を持ち、10歳の頃からは他t働き始めました。

マンハッタン島とブルックリンを往復するフェリーの発着場で新聞を売ったり、蠣の殻を剥いたり、婦人用の帽屋のために鳥の羽を運んだりして生活を支えました。 彼は、1906年春、中学を2年で中退しました。 これが彼の最終学歴です。

それが天下のゴールドマンサックスの経営危機を救い、大きく発展させました。 本当に学歴など関係ないと思います。 社会に出てからも自分で勉強し、実社会で確かな見識をもち、真面目にやっていれば、必ず目をかけてくれる人が現れます。

ゴールドマンサックスの歴史とシドニー・ワインバーグに興味がある方は、お勧めの著書がありますので、下記に書いておきます。


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『ゴールドマン・サックス』世界最強の投資銀行  著者 リサ・エンドリック、斎藤聖美訳

リサ・エンドリック(Lisa Endlich)
MITでマネジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社。外国為替部門のトレーダーとなり、ヴァイス・プレジデントの肩書を得る。 退職後の現在は夫と3人と共にロサンゼルスに在住。

齋藤聖美
津京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒、ハーバードMBA。 モルガン・スタンレー投資銀行の不動産部門の在日代表を経て独立。 コンサルティング会社エースジャパン代表取締役。インターネット関連のベンチャー企業などにアドバイスを与えるかたわら、文京女子大学生涯学習センターで国際経営学の講師を務める。訳書に『となりの億万長者』(早川書房)など。


1999年初版印刷
発行者 早川浩

印刷所 中央精版印刷株式会社
製本所 中央精版印刷株式会社


訳者あとがき
1999年5月3日、ゴールドマン・サックスの株式公開価格は一株当たり53ドルに決められた。翌4日にニューヨーク証券取引所で売買が開始されると、寄り付きから買い注文が殺到し、ようやく初値がついたのは午前10時半過ぎ。公開価格を43%上回る76ドルであった。 それは名門投資銀行最後のパートナー制終焉にふさわしい、華やかな幕開けであった。

公開によって、同社のパートナーたちは巨万の富を手にした。 単純に公開時の株式時価総額を221人のパートナーで割っても、一人当たり約68億円の資産を得たことになる。

 若いパートナーですら約18億円トップの数人にいたっては240億円もの資産を手にしたと言われる。 1万3000人の従業員にも単純平均で4600万円分の株くまなく割り当てられるという大判振る舞いは、マスコミを騒然とさせた。


それから2ケ月後、ゴールドマン・サックスの元シニア・パートナーであったボブ・ルービンは、歴代最高という惜しみない賛辞と共に、アメリカ財務省長官の座を去っていった。 1999年は、ゴールドマンサックスにとって何かと話題の多い年となった。

本書は、同社の元為替トレーダーでヴァイス・プレジデントの著者が、膨大に資料に基づき、ゴールドマン・サックスの130年にわたる歴史を、初めて一般に紹介したものである。今まで神秘のベールに包まれていたこの高利潤を生む」エリート集団組織の秘密は奥深く、読み物としても、たいへん面白い。

ドイツから移住してきた貧しいゴールドマン家と姻戚関係にあるサックス家が、口論を重ねながらも、世界に冠たる金融機関に育てようという共通の大きな夢に向けて努力を続け、今日のゴールドマン・サックスの礎を築いていく。 それは壮大なアメリカン・ドリームの成就である。

しかし、その道のりは平坦ではなかった。 新興勢力であるがために古くからの名門金融機関につまはじきにされ、29年の大恐慌時には破産の瀬戸際に陥り、世界大戦時にはゴールドマン家とサックス家が絶縁し、アメリカ最大の鉄道会社の倒産に関与し、インサイダー取引でパートナーが逮捕され、トレーディングで巨大な損失を発生させる・・・。 その歴史は近代金融の歴史そのものである。

幾多の苦境を乗り越えさせたものは、同社の強い企業文化であり、その中に育ったカリスマ的リーダーたちの卓越した手腕であった。 シドニー・ワインバーグは利益より何よりも会社の信用を打ち立てることを重視した。 

そして、当時の投資銀行の常識を逸脱してトレーダーのガス・レビーをトップの座に据える勇断に踏み切り、他社に先駆けてトレーディングのメンタリティを社内に植え付けた。ゴールドマン・サックスが新たな金融の潮流にうまく乗って、世界のトップに躍り出ることが出来たのは、この先見性のおかげである。逆境に会っても長期的なビジョンを持ち続けたリーダーたちの経営姿勢に学ぶところは大きい。 
「欲望、ただし長期的欲望」というガス・レビーの処世訓は、時を超えた重みを持つ。

IPOによって資本を充実させ、公開株による買収の手段を得たゴールドマン・サックスは、これからどのような戦略を展開していくのか。その独特な企業文化はどう変貌していくのか。これからの同社の動きは目が離せない。

ゴールドマン・サックスが日本で一般にその名を知られるようになったのは、1986年に住友銀行が5億ドル出資した時ではないだろうか。 住友銀行は今回の公開時に出資分の約4割を放出し、4億7700万ドルの売却収入を得ている。この出資を決断した小松元頭取も今は亡いが、天国のどこかで、してやったりと満面の笑みたたえたことだろう。

次に、一般の新聞に大きく取り上げられたのは、1994年に、元日本興業銀行副頭取の石原秀夫氏が、興銀リースの社長に就任されてまもなく、ゴールドマン・サックス・ジャパンの会長に就任したときだろう。その華麗な転職は、今振り返ってみると、石原氏の日本の金融界への訣別であったのかもしれない。 

2、3年前の夏、ニューヨークのメトロポリタン美術館でばったりお会いしたのが最後になってしまった。 薄藍色の麻のジャケットを着こなしたダンディな姿が思い出される。

石原氏の急逝という不幸にもかかわらず、ゴールドマン・サックスは日本版ビッグバンの好機をとらえて、日本市場において大変な勢いで業務を拡大しつつある。 

たとえば同社の投資顧問業務は、1996年にゴールドマン・サックス投信設立後2年足らずで、外資系投資会社で初めて運用資産額1兆円を突破、99年5月現在、外資系でトップ、全投信中でも第6位の規模を誇っている。 世界中の株式・債券・通貨に分散投資する「ダ・ヴィンチ」の商品名は、広く知られるようになった。 

投信に限らず、M&Aや企業財務のアドバイザー、不良債権のバルク買いなどのプリンシパル・インベストメントなど、低迷する日本の金融界を尻目にゴールドマン・サックスにお日本での活躍ぶりはめざましい。


この書を翻訳することで、この優良企業を紹介する一助けとなることは、まことに嬉しい限りである。といいたいところだが、正直なところ、そう単純な心境ではない。

「ゴールドマン・サックスにとってモルガン・スタンレーだけが唯一の真の競争相手であり、敬い、恐れる相手であった」と本書にある。そのモルガン・スタンレー社に私は8年間勤務している。 

東京支店とニューヨーク本社で働き、ゴールドマン・サックス流にいえば、非パートナーのまネージング・ディレクターに相当するエグゼクティブ・ディレクターの肩書を得てまもなく退職して、独立・起業した。 

それからすでに7年の月日が経過しているが、それでもかつてのライバル会社を礼賛するのは、どうにも面映ゆい気分である。 慶応大学の卒業生が早稲田大学を褒め称える本を翻訳したような気分とでも言おうか。


しかし、ライバル会社とはいえ、ウォール街の名門投資銀行には、多くの共通点がある。 ウォール街の人々は実によく働く。 

新入社員がやってくると「ウィークエンドは、どういう日か知ってるかい? ネクタイを締めずに会社に来てもよいという日なんだよ」と1、2年前に入社した若者が先輩風を吹かす。 出社した日と同じ日付のうちに家に帰りたいものだ、土曜日か日曜日のどちらか1日くらいは休みたいものだとこぼしながらも、徹夜もいとわず、みんな猛烈に働く。


厳しいのは長い労働時間だけではない。 他社との競争に打ち勝って案件を取ろうとして全知全能を傾ける緊張感。 社内の他部門とかけあって自分のプロジェクトに協力してもらうための駆け引き。 同僚との競争。 そのストレスは並大抵のものではない。

それほどまでして、なぜ働くのか。 報酬の大きさは理由の一つである。 1億円を超える年収はウォール街ではもう珍しいものではなくなってしまった。 

本書には、年収3億円程度では安すぎるとして、10億円が見込まれるヘッジファンドに大挙して社員が移っていく様子が書かれている。 だが、お金のためだけに働くわけではない。 世界の鼓動が聞こえるような、経済の第一線のただ中にある興奮。きわめて優秀な人々との知的なせめぎあい。 そこに、麻薬のように人をひきつけるものがある。 金融の世界のダイナミズムが、この書の隅々からつたわってくることだろう。



投資銀行でみずから働いていたとはいえ、金融界は専門分化が非常に進んでおり、専門外の事柄では不明な点が多く、さまざまな方にご協力をいただいた。 株に関しては椿紅子さん、法律関係は安田尚代さん、ロンドンの金融事情に関しては吉水弘行さんのご教示いただいた。 

また、兄。齋藤康徳にも何くれとなく助けてもらった。 そして、全文を読んで不明な点を指摘して、内容を明確化するのに貴重なコメントをしてくれた夫、憲治には深く感謝している。 


また、ゴールドマン・サックス・ジャパンのご協力を得て事前に事実関係の確認を行うことが出来た。本書中のゴールドマン・サックス社員の人名は、同社の表記に基づく。 最期に、早川書房編集部の國分さんには、お父様の看護でお忙しい中、お世話になった。 他にも実に多くの方々に助けていただいた。
みなさんに心よりお礼を申し上げたい。


平成11年7月12日


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(参考)

・ロスチャイルド財閥-168 ロイヤル・ダッチ・シェル連合(ロスチャイルド) vs スタンダード石油連合(ロックフェラー)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f4fcc8e6d083c67b22bcf97024ee9bbf

・ロスチャイルド財閥-167 ロスチャイルド財閥(ユダヤ)vs ロックフェラー財閥(WASP)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3eed00d49f3a55bef557d1a03ffa8c22

・ロスチャイルド財閥ー4 金融街シティの誕生
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/51d373b45f326e454062fb2a23aca712

・ロスチャイルド財閥ー5 皇帝たちの金庫番
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bf1ef0b119dc91fe01175386fdcfdd16

・ロスチャイルド財閥-6 ベアリング家との戦い
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/089dd4046b812a12210b3632618c333f

・ロスチャイルド財閥-7 5本の矢
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1e2fa5625a9d19f29501b9a2fab08287

・ロスチャイルド財閥-8 N・M・ロスチャイルド&サンズ 
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2 コメント

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感謝申し上げます (RetreatSyndrome)
2023-04-15 22:16:20
大変興味深く拝読しました。

ひとつ、僭越ながら、誤字脱字等を修正されると尚、よろしいかと存じます。
返信する
ありがとうございます。 (renaissancejapan)
2023-04-16 15:26:28
毎日のように投稿しているので、誤字脱字は後で修正しています。 今後ともよろしくお願いします。
返信する

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