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詩編29篇「ものみなは唱える『栄光あれ』」週報掲載説教

2007-06-23 19:45:26 | 詩篇小説教
「ものみなは唱える『栄光あれ』」 ・・・詩編29篇1-11

29:1 【賛歌。ダビデの詩。】神の子らよ、主に帰せよ/栄光と力を主に帰せよ29:2 御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。29:3 主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。29:4 主の御声は力をもって響き/主の御声は輝きをもって響く。29:5 主の御声は杉の木を砕き/主はレバノンの杉の木を砕き29:6 レバノンを子牛のように/シルヨンを野牛の子のように躍らせる。29:7 主の御声は炎を裂いて走らせる。29:8 主の御声は荒れ野をもだえさせ/主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。29:9 主の御声は雌鹿をもだえさせ/月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える/「栄光あれ」と。29:10 主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。29:11 どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。

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詩編29篇は旧約聖書における頌栄(主への讃美)の一つです。「神の子らよ。栄光と力を主に帰せよ――聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ」(1-2節)とあります。これは「跪きなさい」という意味の言葉です。神に栄光を帰し、御前に跪けと招くのです。
 この29篇では、主の御声を顕すものとして、雷や嵐などの自然現象が用いられます。それは、御声の偉大さを示すだけが目的ではありません。
カナン地方では、バアルという異教の神が崇拝されていました。彼らの神話によれば、バアルが自らの王権を打ち建てようとする時、それを妨げる敵として、海と川が立ちはだかっていると信じられていました。しかし聖書は、主は、「大水の上」にいまし「洪水の上に御座をおく」。この方こそ「とこしえの王」(10節)であると宣言するのです。荒れる海も、自然世界も、すべてが主なる神のご支配の下にあるのです。
 しかし、この詩編の頌栄をもたらしたのは、驚くべき出来事ではありません。その只中にある福音そのものです。頌栄は決して自然讃美ではありません。この神が、主の民に力を与え、平安をお与えになる(11節)。 全世界はもちろんのこと、主の民、他ならないこの私自身を支えるのです。人間は嵐の前にはあまりに無力です。しかし、たとえ山が海に没し、世界が滅びるとしても、私はこの神の御手により頼むことができる。まさに、ここに讃美が生まれるのです。
 パウロは十字架のキリストこそ、栄光を顕された主に他ならないと言います。(第一コリント2:18)嵐の海に溺れるばかり、望みの絶えんとする人間に、差し出された神の御手がある。まさに、キリストの十字架、そこに神の栄光は現され、私たちは主への讃美を歌うのです。「栄光あれ」と。

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