ろごするーむ

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高い所から低い所へ(詩113)

2006-08-15 07:34:44 | 詩篇小説教
ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ。主の御名を賛美せよ。今よりとこしえに主の御名がたたえられるように。日の昇るところから日の沈むところまで、主の御名が賛美されますように。主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置きなお、低く下って天と地を御覧になる。弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ自由な人々の列に、民の自由な人々の列に返してくださる。子のない女を家に返し、子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。
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詩篇113篇は「ほめたたえの詩篇」とも呼ばれます。この詩篇は、個人の神への讃美というよりは、共同体が礼拝において神をほめたたえる、そのような詩篇です。何をもって神をほめたたえるというのでしょうか。それは後半の部分をご覧頂ければと思います。
「主は御座を高く置き、なお低く下って天と地とをご覧になる。」(6節)高き御座にいます方が、深みに目を留められる。
神が高き御座におられるとは、神を崇めるための可能な限りの表現であり、また人間の言葉をもって表せる何とかの要約でもあります。この神の崇高さは、何にも比べられない、唯一無比、誰もこの神に比べられない。そのようなことを言っております。理解し尽くせない、神を表す相応しい表現も見つからない、想像さえできない、神に比べうる人も、物も存在しない。これが神の栄光のお姿なのだと聖書は理解しております。
ところが、これ以上ない高き御座にいますその神が、「低く下って天と地とをご覧になる。」深みに目をお留めになると今日の詩篇は申します。高き所から低く下って、被造物に目をお注ぎになる。それは低いところにある者、神に叫び求める者を助け出すためです。
私達の方からはどうしても神を知りえない。どうしても上を仰ぎえない。地上の様々な束縛、現実の中で歩むしかない人間の姿。しかし、私達が神を仰ぎえなくとも、神が私達の方へと目を注いで下さっている、それだからこそ、私達は神に呼ぶことも、助けを求めることも出来る。神に向き合うようにと招かれているのです。
 この神は、ただ高き御座から私達を見下ろしておられるだけではありませんでした。御子イエス・キリスト、最も高き所にいました神が、最も低き所に下られた。弱い者、乏しい者、そのような私達を引き上げ、喜びを与えて下さったのです。ただ一人、希みを失って歩む民に、主は救いとなられたのです。それゆえに民はこう叫ぶのです。
 「ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ。主の御名を賛美せよ。」(1節)

日本基督教団・聖徒教会 週報掲載小説教

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