藍こみっ

楽しみな未来へ向けて、昨日と違う明日への一歩

期待値

2019年04月12日 06時05分35秒 | 日記
ちと気になったニュースがあったので。

東北大で博士を取得し、日本学術振興会賞や日本学士院学術奨励賞を取った女性が、自身の人生を閉じてしまったようです。

経歴だけ見れば、もう花道を歩いているような状態だと思いますが。。。

文系の方が企業へ(特に専攻が文学では)の道は難しかったと思いますが、タイミングが合えば大学のポストがあったのではと、正直感じました。

特別研究員が終わった後は自立していくのが難しかったようで、両親のことも考えて医師と結婚したが、結局は離婚することになり、離婚届を出した日に人生を終えたようです。

東大にも身を置いていたようで、研究者の「生きずらさ」を改めて感じましたが、まだできることはあったんじゃないかなと。

少し矛先が変わりますが、先日ノーベル賞を受賞した本庶佑さんが、小野薬品へオプジーボの対価を巡り申し出を行っていると報道がありました。

本庶佑さんへのライセンス収入などが1%以下だったようですが、京大側の特許に対するサポート体制も不十分だったようで、どう決着するのかな。

どんな文書を交わしていたか分かりませんが、企業側からすればそのライセンス料を踏まえて利益が出せるように取り組んできただろうし、稼げるのも一定期間だからどう歩み寄るか、寄らないか。

こういった「知財や成果で、大学外からお金を得て自活する」能力や体制は、日本はまだまだなんだと思います。

アメリカとかなら、年齢による定年はなく、研究活動を維持できるだけの資金を調達できるか否かが問われています。

日本はそれを国(ひいては国民の税金)が支えてきたわけですが、バランスや線引きが改めて必要なんだろうなと。

基礎的な研究(先の文学なども含む)は、外から資金を得るのが難しいテーマだから、国が支援する。一方で応用研究などは企業や資本家から資金を得て、活動しやすくするとかかなと(クラウドファンディングとかありますしね)。

知性や努力が、必ずしもお金になる(割がいい)とは思ってませんが、滞留しているお金は企業にも個人にも「あるところにはある」と思うので、それをどう結び付けるか。

先の女性研究家の世代が近かったこともあり、久々に研究関連のことを思い出しました。

Google Scholarで、自分の論文の引用状況とかも久々に見てみましたが、博士最後の論文がまだ引用数が一番ありました(笑)。

夜中にNMRとかX線取ってた頃が、ふと懐かしく感じた春でした。