今日は田万川中学校の卒業式にお邪魔しました。
年に一、ニ回は何かしらの授業を持たせてもらっているし、役立たずではあるが学校運営協議会の委員もさせてもらっているのです。
若干17名の卒業生。大きな体育館では余計に少なく感じた。
壇上から降りて学生に語り掛ける校長先生の温かい式辞、少人数だからこそ繋がりの強い後輩からのアツい送辞、男涙で詰まりながらも感謝を尽くした答辞。どれも本気が伝わって来て、おじさんはウルウルしました。
いつの間にか親目線で見てる自分。年取ったなあーと感じつつも、近くでサリン事件が起こっていた自らの卒業式の風景や気持ちをギリギリ思い出し、まだあの切なさを忘れていない自分が嬉しかったりと複雑なお年頃です。
卒業にあたっての冊子に地域の人間として寄稿の依頼を受け、生意気ながらもメッセージを贈らせてもらった。
がんばれ!とか、活躍を期待!ではなくて、この子たちが活躍できる土台、場をこの地域にもっと作らねば、と書いてて思った。
年に一、ニ回は何かしらの授業を持たせてもらっているし、役立たずではあるが学校運営協議会の委員もさせてもらっているのです。
若干17名の卒業生。大きな体育館では余計に少なく感じた。
壇上から降りて学生に語り掛ける校長先生の温かい式辞、少人数だからこそ繋がりの強い後輩からのアツい送辞、男涙で詰まりながらも感謝を尽くした答辞。どれも本気が伝わって来て、おじさんはウルウルしました。
いつの間にか親目線で見てる自分。年取ったなあーと感じつつも、近くでサリン事件が起こっていた自らの卒業式の風景や気持ちをギリギリ思い出し、まだあの切なさを忘れていない自分が嬉しかったりと複雑なお年頃です。
卒業にあたっての冊子に地域の人間として寄稿の依頼を受け、生意気ながらもメッセージを贈らせてもらった。
がんばれ!とか、活躍を期待!ではなくて、この子たちが活躍できる土台、場をこの地域にもっと作らねば、と書いてて思った。