田万川散歩

都会に伝えたい田舎の空気

さよならテレビさん

2012年10月24日 01時02分29秒 | 日記
結婚し、新生活を始めるにあたり都内の狭い賃貸マンションに合わせて、当時でも「え?今買うのにそんな小さなサイズ?」と
よく言われた25型液晶テレビを購入した。僕はもっと大きなのが欲しかったのだけれど、みー坊が目に良くないと一点張りのため
まぁ狭いしいいかと折れたのだ。

それが現在のだだっぴろい田舎の家に移り、26型のテレビさんは辱めを晒すかのように明らかに不釣合いのサイズとなって、
でもたくさんの情報を僕らに見せてくれる。

息子のまー坊がテレビさんをよくいじめる。ものを投げつけたり、真っ黒なのにクレヨンで書かれたり。
でも本当は大好きで、朝起きて、自分でテレビさんの脇にある主電源を間違うことなく一押しでつけ、“入力切替”を数度押し、すかさずDVDの電源を入れ、見事にひとりでミッキーのDVDを見始める。

そんな思い出の深いテレビさんともお別れがやってきました。
愛情のあまり、まー坊が頭突きをすると、





あぁ、参った。急いで大きなテレビとDVDレコーダーを買わなきゃいけないな(喜)

これまで僕らと共に、多くの引っ越しや子供の誕生を見てきた、映してきたテレビさん、ありがとう。

今日はそんな、結婚記念日。

メイ君

2012年10月08日 23時09分21秒 | 日記


去る10月2日、3年前のその日にメイ君は死んでしまいました。
今年は3回忌。お別れの日に庭一面咲き誇っていたコスモスをお墓に供え、妻みー坊と、最後の呼吸をしたその時間に
お祈りしました。


メイ君はザンビア生まれ。灼熱の下、街の交差点で信号待ちする車に声をかけるザンビア人の肩に担がれて
売られている赤ちゃん犬にみー坊は一目惚れして買った。
水もえさも与えられず今にも死にそうな赤ちゃん犬を連れて帰り、ミルクを与え、病院へ連れて行き、
温めた。

みー坊はその赤ちゃん犬をメイと名づけた。推定5月生まれだからメイ。

広い庭で自由に走り回り、ザンビア人のガード(門番)や庭師に可愛がられあっという間に大きくなっていった。



ザンビア人は基本的に犬が苦手。犬もザンビア人にはなぜか吠える。
メイはずーと塀に囲まれた、箱入り犬だから余計に人見知りが激しく、みー坊やガードにしか
慣れずにいた。

時は経ち、みー坊が日本へ帰る時期となり、色々と考えた末にメイも日本へ連れて帰ることにした。
ザンビア犬が日本へ移住する。
予防接種等の関係でみー坊と同時帰国ができず、みー坊は先に帰国し、メイは一時的にたくさんの犬のいる友人宅に預けられた。
そこで出会った遙か年上の熟女犬に若干1歳のメイは「男」にしてもらうこととなり、同時に「父親」となる。

移住したメイは東京に住むみー坊と一緒に住むことはできず、今僕らが住んでいるここ萩市の親元に預けることにした。
ここなら自然あふれ、ザンビア犬もカルチャーショックが少なくてすむ。むしろ、ザンビアより田舎であることに
ショックを受けたかもしれない。

日本に居てもなかなか会えない日々。申し訳なく、愛おしく思う。
でも毎日散歩してもらい、時には軽トラに乗ってお出かけさせてもらう。
荷台に乗っているはずのメイが見えなくなり、気づいたらリードをつけたまま走り続けた軽トラに引きづられていたことも
あったらしい。でも生きていた。
日本の寒さは堪えたかな。コタツ布団をまとい、手厚い待遇もしてもらっていた。



そうこうしているうちに僕はみー坊と結婚することとなり、メイと再会する。
そしていつの間にか、僕らもこっちに移住することとなる。

やっと一緒に住めるようになった。メイ君待たせたね。
一緒に散歩に行ったり、寝転んだり、毎日楽しかったね。

半年がたち、メイの様子がおかしくなった。後ろ足に力が入っていないようで散歩していても
よろよろする。次第に狂牛病の牛のように、立つことも難しくなり、えさも食べなくなっていた。
地元の病院で見てもらったが貧血しかわからない。急いで山口大学付属の獣医に診てもらうことになった。
元気がないはずなのに、ぴょんっと車に飛び乗る。

病院へ向かう途中、僕はみー坊に言った。
「万が一の場合は、最終的には君が決めてくれ」

相変わらず人見知りのメイは病院がきらい。一生懸命抵抗する。
CTやMRIをとるのに20万円くらいかかった。
「元気にしてもらえよ!」と声をかけ、メイは病院へ入っていった。

数時間後、検査結果とともにメイが出てきた。
「早く助けてよ」と僕らに目で訴える。
結果は髄膜炎。医師曰く「普通なら痛みで動けない」ほど悪い状態であった。
脳内に何かが見えるため、これからさらに検査をするとのこと。
説明をうける僕らにメイは擦り寄る。「助けて」
痛みに耐えられず身体をよじり、反動で床に頭をぶつけ悲鳴を上げる。
見ていられない。

夜も21時を回った。
メイは麻酔がかかってぐったりしている。
連れて帰ることにしたが、車に乗せるとすぐにもどしたので
一晩入院させることにした。「メイ君、明日迎えにくるからね」

家まで2時間かかる。山陽から峠を越えて山陰へ帰るともう夜中。
二人とも心配だったが無事を祈り眠りに着いた。

午前3時15分。
家の電話が鳴った。夜中の電話で良い知らせはない。
獣医からだった。
「急変し、今、心肺停止しました」

言葉が出ない。

「心肺蘇生してもよろしいでしょうか?」と獣医は言った。
「お願いします」
「そちらもすぐに出れる用意をしていてください」

「メイが死んだ」僕はベッドにいるみー坊に伝えた。
彼女は泣き叫んだ。“メイ、メイ、メイ”呼び続けた。
「大丈夫。心肺蘇生してくれてる。大丈夫」

午前3時45分。再び電話。
「いま、心肺蘇生し、呼吸が戻りました。至急来てください」

メイが待ってる。
さっき帰ってきた真っ暗な山道を再び猛スピードで走る。
二人とも言葉がない。

メイは酸素マスクやたくさんの管をつけられ、苦しそうにかなり早い呼吸をしていた。
僕らは走り寄り「メイ!!」と呼びかけると、閉じていた目を少し開け、わずかに声を出して鳴いた。
待っててくれたんだね。つらいね。くるしいね。

獣医が状況を話してくれる。
選択肢は二つ。
このまま苦ませながらでも延命するか。
もしくは、。

激しく呼吸をしているメイを目の前に頭が働かない。
みー坊は取り乱している。
一度二人で外に出る。
「決めよう。」

夜中にもかかわらず、メイのまわりには4~5人の獣医が治療をしてくれている。
皆、僕の言葉を待っている。

「先生、では・・・」
言葉が続かない。
「では・・・」
頭ではわかっている。けど本当に口が動かない。口を動かすことがどんなことかわかっていたから。

「先生、、先生、、先生、、、、お願いします」

「メイ、ごめんな、ありがとな、待っててくれたんだよな、くるしいよな、ごめんな、ごめんな」
麻酔が注入され、呼吸が穏やかになっていき、そして、止まった。
僕とみー坊はメイの手を握り、見送った。
そしてその瞬間、奥にいる犬が大きな遠吠えをした。メイ君、旅立ったんだね。

午前5時45分 メイ 永眠

メイ君は生きた時間こそ短かったけれど、しっかり子孫も残して、遠く地球の裏からやってきた。
最高にバカなやつだったけど、最高にかっこよかった。

結局、髄膜炎の原因はアフリカに居るときにおかしな細菌がついていたようで、
日本にはない、初めての例だった。

メイの子供は色々な人に引き取られ、ザンビアに残っているのもいれば、僕らの友人に
可愛がられているのもいる。
その友人が、東京からわざわざメイの娘をつれてやってきてくれた。

生きているときに会わせてあげたかったけど、でもこうして娘がきてくれて
本当にうれしいよな。お前にはない上品さがあるよ。






そんなメイ君のお話。