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RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク) BLOG.

RC-NET STAFFによる、日常の些細な出来事から、お知らせまでいろいろなぶろぐ。

風に舞うアヒル Ducks blown off their feet by the wind

2010-12-27 22:32:10 | スタッフ日記
友達が紹介してくれた動画なのですけれども・・・・

なんだか、感動する。
なんでか、感動する・・・・!

せやな。風に吹かれて、吹き飛ばされても、
立ち上がって歩き出して、
転びまくっても、何も無いようにぴょこぴょこ歩き始めたら、

また目の前に、安心出来る場所は、やってくるかもな。

その中で、立ち上がり方を学んだり、
一緒にいてくれてたものに気づくこともあるかもな。
一人ちゃうかった、って、思うこともあるかもな。


Ducks blown off their feet by the wind




あと4日で、終わる2010年今年も。

2010-12-27 11:58:10 | スタッフ日記
「今年ももうすぐ終わってしまう。」
と、朝、起き抜けにふと感じ、なんだか妙に寂しくなった。
鬱、きたか・・・?!と思ったけど、
どうやら違うようで、
何かと言うと、

完全に、やることやっていないから、だ。
自分が「やっていない」という現実を無視して、
「終わってしまう」ということを「悲しみ」にまで消化して他人事と帰したという瞬間が、
朝の寂しさの原因となっている。


「今日やれることは今日しなさい。」

と、これまでの人生の中で、賢い先人たちがいつも語りかけてきてくれていたにも関わらず私は、

「明日出来る事は明日しなさい。」

と、ひねくれた先人たちが言う言葉に則って生きてきた節がある。
節、ではない、そう生きてきたのだ。
そして、明日になったらまた明日、と。

がしかし一方で、私は求められてもいない速度で仕事等をこなす、ということに、
至極喜びを感じやすい体質でもある。
これはもう、遊びの領域だ。

仕事を遊び化しなければ、私は真剣になれない。

どちらにしても、「求められていない」という自己本位さに、
自分の適当さを感じずにはいられないのだが、
それでも完全に放棄して手をつけなかった、ということは(あまり)ないので、
まぁいいんじゃない、と顧みない性格は、もう変わらないのであろうと思う。

要は、極端な性格である。


しかし、そんな性格を嘆きはしない。
どちらかというと、そんな自分が結構好きである。

好きな事からやる、という点において、
そして好きな事であれば寝食を忘れて働く、ということで、
「それは子どものやることだ」と言われる機会もこれまでに数回あったけれども、

好きな事を寝食忘れてやることの、何が悪いのかが、未だに理解出来ないでいる。


彼の吉田美和は、とあるインタビューでこう言った。

「これが私だ、と思える時が、
その人が一番かわいい瞬間なんだと思う」

これは凄くいい言葉だと思う。
自分らしいって思える事をやっている時、その人は一番輝くんだ。
それは、仕事じゃなくてもいいし、ただ人生の中で、きっと必要な瞬間だと思う。

この一年、レイプクライシスをやってきて思うのは、
そういった瞬間を何度も味わうことが出来た、という喜びだった気がする。

いろんな場で、人と出会い、
その都度ポータルサイトやフェスについてもいろいろお話をさせていただいたり、
性暴力被害についてや、その支援について、私が取り組もうとしている事について、
多くの方々とシェアさせてもらった。

人権研修の中やアースディでのポスター展示や、
映画上映会、交流会、
刑務所での取り組みや、大学でのお話、
ポータルサイト構築への数あるミーティングも、
その取材や問い合わせや、
支援職や当事者の方々との関わりや、
啓発資料開発や、
そうした中で、「こんなにおったんやなー」というような、
思いある方々との出会いがあった。

そこに自分がいるということに、
何度も挫けそうになりながら、疑心暗鬼になったりも、実際したのだけれども、
それでもそうした多くの仲間たちに支えられながら、
どうにかやってくることが、出来たのだと思う。
初年度からこれでは先が思いやられるかもしれないけど(笑)、

どうかみなさん、お手柔らかに。(結局、そこか。笑)


って、
何「よいお年をお迎えくださいね」的な、
〆の言葉を書こうとしているんだ自分は、そんなことでは、いけないんじゃないかと、
まだあと4日もある今年中にやらなければならないことは沢山あるだろうと、
奮起させてもいるわけですが。


なんせしかし、
今年もあと4日で〆です。
あと4日生き延びれば、2011年という、新しい年を、
拝み見ることが、また出来るわけです。

2012年の金環食、太陽のリングってやつだって、すぐ見れるかもしれません。

2011年といえば、
ドリカムのワンダーランドイヤーですし、
きっと楽しいことが待ち受けていること思います(自分ゴト)。

あと4日、
がっつり一緒に、生き延びましょうぞ。


----<RC-NETからのお知らせ>---------------------------------------

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支援者支援という枠組みの必要性

2010-12-27 00:39:20 | スタッフ日記
今年、一番多かった問い合わせは、
支援者、といっても『一般生活の中で恋人や家族をサポートしている人』からのものだった。特に男性。
そのほとんどが、あちこちと流れてきてたどり着いた、という感じだった。

こういうところでは、きっとうちの需要っていうのは、隙間産業的なんだろうなぁとよく思う。

男性が支援を求めていける場所というのは、実際ものすごく少ないという気がする。

ただ、自分はどうしたらいいのかと、
『被害当事者』の声を聞きながらも、それをシェア出来る場所を持てず、
支援者養成講座なんかにもなかなか『男だから』と行きにくい面もあったりで、
孤立してしまいがちだ。

難しいところだなぁとは思うけれども、

一人の支援職の人間がいるということは大切なことだけど、
それが『一人の被害者に対して』の話であれば、

一人の、その人の周囲でサポートしてくれる人がいることの方が、
本来はより大切なのだ。

専門家がいることよりも、多少なり知識をもち、被害者に寄り添ってくれるピアな関係が社会にあることこそが求められる。

支援職がやるべきは、そこに対するサポートでもあると思う。

もちろん、孤立していた被害者に対して、支援者の存在を開示していくことは重要だし、
専門的なカウンセリングや医療が必要であるケースは確実にある。
でもそこで全てを担うことは不可能だし、
結局のところ必要なのは社会へのフィードバック機能じゃないかと思う。

社会の中により多く、被害を打ち明けやすい環境を作ること。その中で被害者、そしてそのサポートをする人たちが孤立しないようにすること。

ということは、
被害者支援に関わるということは、社会全体と被害当事者のケーススタディをスーパーバイズする機能を担うことであるとも言える。

当事者への投げ掛けと同等あるいはそれ以上に、
周囲の人間(曰く、全ての人にその可能性がある)に対して、
性暴力ということについて伝えていく必要があるわけだ。

そう考えると、まだまだ足りていないことはたくさんあるし、
思い浮かぶだけでも事業化したいことが山ほどある。

が、しかしそれをやるためには‥‥単純にお金がないんだという辛く、そして真っ当すぎる壁が立ちはだかる。


ほんと、
宝くじ当たればいいのに。
(という微妙な〆ですみません)