年末と言えば、大掃除。
私の年間スケジュールにはあまり組み込まれた事のない項目ではあるけど、
年末と言えば大掃除。
みなさんは、してますか?大掃除。
私は非常に掃除が苦手です。
結婚という制度に微妙な違和感を感じ、
ジェンダー化された性別毎の役割分担みたいなものに意義申し立てる自分と共に、
「掃除とかしてくれる奥さんなんて人がいたら、なんて幸せなことだろう」
と思ったりする、
なんとも陳腐な自分を見たりもします。
何が苦手なのかというと、
まず、「捨てる事」がとても、苦手なのです。
明らかなゴミについては捨てるとしても、
「微妙なもの」というのが、基本的には部屋を乱雑にする要因となっていますから、
その微妙な者共に「去ね!」と言うことが、非常に苦手なのです。
いい思い出も、嫌な思い出も、
共に過ごしていたわけではないですか。
多少のお金や時間を払って、共有してきた時間があるわけではありませんか。
そこに対して、「不要である」ことを、
決断できないのであります。
これは非常に、人生におけるチョイスにも類似するものであるな、と、私は思います。
人生っていうのはチョイスの連続で成り立っていますから、
自分にとって必要なものか否かの判断っていうのは、すごく大切なものになります。
それを、あんまりいらないな~と、実は思っているんだけど、なかなか切り離すことが出来ない。
そんな私は、あんまり気が進まない時でも、
飲みに行こうと言われれば行ってしまいがちだし、
あまり気が進まなくても、「これやって」と言われれば、「はい・・・」と、
仕事を受けてしまいがちなのです(仕事だし、受けていいんだけど)。
究極、人間関係の中で、自分が「おかしい」とココロの中では思っている関係性を切り離せず、
自ら、ある種の被害的立場に身を置いてしまうことだって、
これまでの人生で幾度となく繰り返してきた気もします。
そこには、慢性的な「不足感」があるんじゃないか、と思います。
自分だけでは足りない、今の自分では足りないのだ、と。
そして慢性的な恐怖感。
切り離してしまった時、自分に残るものは何なのか、
安定した「自分自身」がないということも、多いに関係してくるわけで。
ありのままの自分でいいんだという充足感を持っている人は、
やはり他者との関わりも非常に築きやすいわけです。
では、どうしたらいいのか?
そこで、「大掃除」。
これは、
いつの間にか「人間関係構築の難しさ」にまで落とし込んでしまったこの話題を盛り上げる為の重要なポイントです。
どう生きるのか、
どうしたら楽になれるのか、というのは、
やはり「思っただけ」では実現出来ないもので、
日々の繰り返しから学んでいくものでもあると思います。
要は、まずは捨ててみるということ。
身近な、適当なものから捨ててみる、ということ。
もったいないけど。
もったいないけど・・・!
「もったいないけど」ハンバートハンバート
こんな曲を聞きながら、
まったりと捨ててみる。
それを繰り返すわけです。
その中で慣れて行くわけです。
そして、その「捨ててみる」ということを成すために、どうしたらいいのか?
これは私に取って一番重要な項目です。
「めんどくさい」という言葉を一旦どこかに置き去る。
これです、大掃除に一番必要な思い。
「めんどくさくは、ない!」
それが出来れば、大掃除は8割方、終わったも同然です。
綺麗な部屋で、2011年を迎えましょう。
今日が仕事納めでしたっていう人も多いのかと思います。
みなさんお疲れさまでした。
まだまだ仕事やわ、休みとかないわ、という方も多いのかと思います。
ファイト。
何より、ただ生き延びて2011年を迎えることが出来れば、
それ一番の幸いです。
出来たら、綺麗な部屋になっていれば、言うことはもうありません。
明日は、大掃除をします。
私の年間スケジュールにはあまり組み込まれた事のない項目ではあるけど、
年末と言えば大掃除。
みなさんは、してますか?大掃除。
私は非常に掃除が苦手です。
結婚という制度に微妙な違和感を感じ、
ジェンダー化された性別毎の役割分担みたいなものに意義申し立てる自分と共に、
「掃除とかしてくれる奥さんなんて人がいたら、なんて幸せなことだろう」
と思ったりする、
なんとも陳腐な自分を見たりもします。
何が苦手なのかというと、
まず、「捨てる事」がとても、苦手なのです。
明らかなゴミについては捨てるとしても、
「微妙なもの」というのが、基本的には部屋を乱雑にする要因となっていますから、
その微妙な者共に「去ね!」と言うことが、非常に苦手なのです。
いい思い出も、嫌な思い出も、
共に過ごしていたわけではないですか。
多少のお金や時間を払って、共有してきた時間があるわけではありませんか。
そこに対して、「不要である」ことを、
決断できないのであります。
これは非常に、人生におけるチョイスにも類似するものであるな、と、私は思います。
人生っていうのはチョイスの連続で成り立っていますから、
自分にとって必要なものか否かの判断っていうのは、すごく大切なものになります。
それを、あんまりいらないな~と、実は思っているんだけど、なかなか切り離すことが出来ない。
そんな私は、あんまり気が進まない時でも、
飲みに行こうと言われれば行ってしまいがちだし、
あまり気が進まなくても、「これやって」と言われれば、「はい・・・」と、
仕事を受けてしまいがちなのです(仕事だし、受けていいんだけど)。
究極、人間関係の中で、自分が「おかしい」とココロの中では思っている関係性を切り離せず、
自ら、ある種の被害的立場に身を置いてしまうことだって、
これまでの人生で幾度となく繰り返してきた気もします。
そこには、慢性的な「不足感」があるんじゃないか、と思います。
自分だけでは足りない、今の自分では足りないのだ、と。
そして慢性的な恐怖感。
切り離してしまった時、自分に残るものは何なのか、
安定した「自分自身」がないということも、多いに関係してくるわけで。
ありのままの自分でいいんだという充足感を持っている人は、
やはり他者との関わりも非常に築きやすいわけです。
では、どうしたらいいのか?
そこで、「大掃除」。
これは、
いつの間にか「人間関係構築の難しさ」にまで落とし込んでしまったこの話題を盛り上げる為の重要なポイントです。
どう生きるのか、
どうしたら楽になれるのか、というのは、
やはり「思っただけ」では実現出来ないもので、
日々の繰り返しから学んでいくものでもあると思います。
要は、まずは捨ててみるということ。
身近な、適当なものから捨ててみる、ということ。
もったいないけど。
もったいないけど・・・!
「もったいないけど」ハンバートハンバート
こんな曲を聞きながら、
まったりと捨ててみる。
それを繰り返すわけです。
その中で慣れて行くわけです。
そして、その「捨ててみる」ということを成すために、どうしたらいいのか?
これは私に取って一番重要な項目です。
「めんどくさい」という言葉を一旦どこかに置き去る。
これです、大掃除に一番必要な思い。
「めんどくさくは、ない!」
それが出来れば、大掃除は8割方、終わったも同然です。
綺麗な部屋で、2011年を迎えましょう。
今日が仕事納めでしたっていう人も多いのかと思います。
みなさんお疲れさまでした。
まだまだ仕事やわ、休みとかないわ、という方も多いのかと思います。
ファイト。
何より、ただ生き延びて2011年を迎えることが出来れば、
それ一番の幸いです。
出来たら、綺麗な部屋になっていれば、言うことはもうありません。
明日は、大掃除をします。