強姦罪改正についてのロビィングをしてます、と言っても、一体どう言うことを話してるの??と疑問に思われている方もいるかと思い、先月民進党のヒアリングで話したことを大体ですがここに記載してみます。ご興味ある方はぜひ読んでみて下さい。
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社会・司法が内包する性暴力への偏見・差別
当会としては2009年から相談支援事業を始めまして、その中で出会った多くの当事者、そして今はこの世の中に、様々な偏見や無理解から生きることが出来なくなってしまった当事者、仲間のことを思い浮かべながら話をしたいと思っています。
私たちが活動してきた中でもそうですし、世界的に考えても、性暴力という者は年齢や性別や性自認、自分がなんの性別であると認識しているか、だとか、性指向、誰を好きになるかというようなこと、また職業や生活環境、容姿等問わず起きるということについてはみなさんご存知のことだと思います。だけれども、そうした発生している性暴力のうちで司法的評価を受けるものというのはごく一部になっています。それは、ある意味ではスティグマや偏見、二次被害と言うものを増長させる社会や司法の問題でもあります。
性暴力を潜伏化させてきた社会や司法の問題であると考えた時に、強姦罪というのは性的自由ないし性的自己決定権を個人法益として守るということが言われていますが、現在この“守る”ということが出来ていないからこそ、今改正が必要だということだと思っています。こうした中で、メディア等で厳罰化ということが凄く言われているんですけれども、本来的には厳罰というよりは、適正に性暴力被害についてを判断していただきたいと私たちは強く、思っています。
社会・司法が問う“被害者の落ち度”の暴力性
そしてこの、スティグマ、偏見、二次被害ということについてなのですが、それこそ、性暴力被害を語る上で“強姦神話”“レイプ神話”といものは皆さん聞いた事があると思うのですが、筆頭とされるものは「強姦されるのは被害者にも問題があるんじゃないか」というような社会的な認識、誤解偏見というものであったりとか、ここに示したものについては、多くの被害者が感じ、また社会が感じているものでもあります。社会が感じていることは被害者に向けられています。被害者自身がこのことを内包して、持っているからこそより辛い状態になってしまい、加害者もこれを知っているからこそ、被害者を貶める為にこの言説を使います。そこで問題になって来るのは、この社会的な言説というものを司法も持っているということです。この暴行脅迫要件について。
例えば、家の鍵をかけ忘れたからといって、強盗があったという事実は変わらないと思います。相手を殊更に怒らせたからといって殺人があったという事実に変わりは無いと思うでしょう。喧嘩にわざわざ介入していったとしても、暴行があれば暴行であるということ。しかし、強姦罪に限っては、服装や容姿が派手、水商売をしているだとか、あるいは、歩いた時間や場所が悪いとか、“抗拒不能な程の暴力があったか”だとか。事柄があったか、という事よりも、被害者の落ち度というものがもの凄く査定されてしまう。それが重要とされてしまう。ただし、本来的には合意形成の有無の証明というのは行為者に科せられるべきものだと思っています。強姦罪が本来的に性的自由や権利というものを尊重するというのであれば、罪の適正化を図るという事。そして、例えば、司法、警察、医療機関であるとか、様々な機関において、この適正な法律の施行というものを推進していくということが必要です。
性的自由・自己決定権を尊重する本来望まれる社会・司法とは
そして、性暴力を許さない、ということを明確にしていくというのは、性行為というものを尊重するということでもあります。性行為には合意と尊重というものが必ず必要です。但し、そのことを明確にしなければ性暴力というものは起きてします。合意と尊重がないものは性暴力である。この両方は両輪であるものです。合意無きものは非合意であり、合意の有無は明確な事項、それこそ殺人があった、強盗があったという事柄と同じ様に、強姦について考えなければいけないと思っています。
この、行為の有無と言うもの以外に、暴力の有無は証明されないし、それが出来ないと結局は無用な二次被害を広めてしまう。結局、法律の中から、社会にはびこっているような偏見というものを排除しなければ、この合意と尊重というものは守られないし、“法律の中立性”という、当たり前にあるべきものが守られないということが、大きな問題になります。
性を標的とした暴力だという認識
そもそも、性暴力というものは“性交”の延長線上にあるんでしょうか。私たちはずっと、活動をしている中で、多くの被害者がこのことに苦しんでいたと感じています。レイプというのはセックスではなく、性を標的とした暴力であるということを考えていただきたいです。1991年に角田由紀子さんが性の法律学の中でこう述べてらっしゃいます。「性交は二人の人間の自発的意志によって行われるということから考えれば、暴力を伴う性交はそれ自体性交であるということの否定だ」ということ。これは尤もだと思うんです。強制性交等罪という言葉を今回、改正して名称として使うという事が言われていますが、強制性交というものは、なんでしょうか。性交が強制であるという時点で性交で無いにも関わらず、強制性交などという言葉を使うということは、全くもって私たちとしては、認められない。それが、社会の認識を更に歪め、より暴力の本質というのを見せる事を遠ざけてしまうことになるのではないでしょうか。
そして、強姦の要件は適当か、妥当か、ということですが、もちろん、この110年間変わらなかったものについて、例えば母体保護的な観点から見ていた強姦罪というものは罪の実情に即していないということはもちろんのことです。そして、今回の改正議論の中で私は凄く不思議だったのですが、強姦というのは、“精神的負荷に関する罪”なんでしょうか?何故、強姦を成立させるためには陰茎の存在が必要なのか。そして、陰茎と手指、器具の精神的負荷の差というのはどこに見るのでしょうか。審議会において、陰茎の挿入と手指等の挿入に関して精神的負担の差があるということが何度も言われていたと思います。だけれども、例えば同じ様に殴られた人がいたとしても、その人それぞれの感じ方は違います。一生残るようなトラウマ症状を抱える方もいらっしゃるかもしれないし、「あぁ、殴られちゃった。ちょっと痛かったな」で終わる人もいるかもしれない。だけれども、法律ではここに差異を付けるのでしょうか。それを考えた時に、“精神的差異”というものほど、中立性というものを保てないものはないと思うんです。強姦罪をちゃんと事柄として判断するということを考えなくてはいけない。
法は何を規定し、そして何を規定することが不可能なのか
(資料省略)
そして、この法律は、人は性別を超越するということを考えているでしょうか。私たちは、性的侵襲行為というものを強姦罪にすることが必要だと思っています。例えばですが、性交可能なエピテーゼと言われる医療用具、これは見た目にも、触った感触としてもかなり正確に作られているものですが、器具です。そしてペニスバンド、装着可能なディルドのようなもの。バイブや双頭バイブ、いろいろありますけれども、例えば、“精神的負担”というものを考えるのであれば、これが性器というものだということがどこまで、どこに関係があるんでしょうか。例えば被害者が目隠しをされていたとして、「あれはディルドでした」「あれはエピテーゼでした」と言われた時に、誰が証明出来るのでしょうか。挿入をされる「侵襲性」というものに、事柄の重きを置かなければ、こうした判断がつかないもの、というのが出てきます。それこそ強姦罪というのは今、性器主義に基づいて成り立っていると思います。だけれども、性的身体侵襲性や、加害者の意図というものが考えられていません。また、こうした器具等に関してだけでなく、性器というものを規定するということというのはなかなか難しいことです。男性的/女性的な特徴が混在した性別が曖昧な外性器というものもあります。インターセックス、性分化疾患というような形で、性器というのも本当に多様なんです。そのことについてや、SRS/性別適合手術において性器を形成したということについても考えなければなりません。これも審議会で話されましたが、個別判断だということが言われています。でも、性器の個別判断というのは、どこまで妥当に全国統一で出来るのでしょうか。それを法律で規定する事も無いというのは大丈夫なんだろうかと思います。また、性器だけでなく、例えばビール瓶であったりだとか拳銃であったりだとか束になった割り箸であったりとか、様々な形で性暴力は行われます。これを戦時性暴力というと現状の日本では考えにくいと思うかもしれない、だけれども、リンチと考えると、こういうこともあるというのは多少なり想像出来るかなと思います。
性暴力サバイバーにとって生きやすい社会を
また、被害者支援法についてですけれども、そもそも日本ではレイプシールド法すらありません。また今回の改正でもこのことについて考えられていません。性被害の認定をするということに、事柄ではなく被害者の背景であるとか、性経験、生活ということを、何故採用するのか。そんなものは必要ないじゃないかということ。そう言った事柄について差別をされているという現状についてまず考えないといけないと思うんです。被害者支援というのは、相談を聞くということだけではなく、ちゃんと具体的に、法律の中で、施策の中で、明確に被害者を守ると言う態度をとっていかなければいけません。そういう意味では、相談支援体制と言っても、一般社会の中で、警察でどうなんだ、医療機関でどうなんだろう。学校、小学校中学校高校でどうなんだろう。職場でどうなんだろう。性暴力被害にあったからということで、退学や退職をしていたり、生活が出来なくなっている人がいる。その人達を守る、社会のシステムがありません。それが、例えばワンストップセンターですが、もちろん無いよりはあった方がいいかもしれません。あった方がいいにしても、相談機関では出来ないことが必要なんです。それこそ、各学校、各地域社会に、どんどん通知なりを出してちゃんと対応をしていく。相談を受けられる人が地元にいる、その場所にいるということが絶対に必要です。性暴力被害というのは多くの社会的な容認の中で悪化をしています。当事者自身の問題であると同時に、当事者が相談をすればいいということではなく、社会が変わらなければいけない。その、一番先に法律がなければいけません。
議論を継続し、より有用な法改正を望む
強姦罪というものが、適正化した形で、改正されることを望みます。性暴力被害者を孤立させない法制度と、孤立させない社会システムを構築する施策について。人権として性暴力サバイバーを守る法律をつくってください。また、この改正を私たちは心の底から望んでいました。110年ぶりの改正を、どうか成し遂げて下さい。だけれどもこのように、今回の改正については議論がたりません。足らないということは、ちゃんと見直し要件を付けていただきたい。改正をして、その上で、より当事者や、支援者、様々な社会の人たちの声を聞く中で、付帯決議として3年見直し要件をつけて、よりグレードアップしていただきたい。いま、これで終わらせないでいただきたいということを考えています。よろしくお願いします。