わかっている人は、わかっている。
それは、レイプクライシスを自分が代表としてやりだして、もしかした一番の実感として感じたことかもしれない。
今までずっと隠そうとしてきたこと、一人ぼっちだと思っていたこと、そうした人に、どう声をかけたらいいか、わからなかったこと、
それに対して、
あれ、
こんな人もいるんだ、
あれ、
こんな思いをもってる人がいるんだ、
と、
あらゆる出会いに、私はすごく力をもらいながら、この一年を過ごしてきた。
組織というものの中では見えてこなかったこと、
自分から発信し始めてから、それでこそ見えてきたものが、本当にたくさんある。
この一年は、私にとって、すごく大切な一年だった。
RCSNKを再開させる、と決めたとき、覚悟を決めた。
私は、これで生きていけるようにするんだ、と。
私だけじゃない。
学歴だとかキャリアだとかは、正直どうでもいい。
ただ、そこに思いを向けて、それについて、人生という学びの中で、必死に学び、真剣に考え、自分としての目指すものが見えた瞬間から、
市民活動というのは始まるのだと思う。
そこに賭ける人がいるのであれば、私は、この道で食っていくことが出来る人を創出していきたい。
世界を作っているのは、偉いさんの鶴の一声ではない。一般市民の、切実な、生の声だ。
私は、生涯を通じて、プロになりたくない。
一素人でいい。一市民でいい。
同じ土台に立って、 一緒に生きていきたい。
必死に足掻いていたい。一生懸命生きていたい。馬鹿だといわれても、生き辛くても、
自分の心に正直に生きていたい。
だからこそ、自分の思いで、自分の色で、どこまでいけるだろう、とチャレンジし続けたい。
と、いうのは、RCSNKを再開させてから、一年が経った(と、さっき気づいた)今、私の心にある思い。
その思いを持続できるだけの、素敵な出会いや、出来事がたくさんあった、そんな一年だった。
ありがとうございました。本当に。
と、そんな日ですが、
今日は梅田であった「HIV陽性者をめぐる地域支援の連続性」というシンポジウムに行ってきました。
私に、こうした世界で生きていくためのきっかけをくれた、ぷれいす東京から、生島さんが参加されるということで、生島さんの隠れファン(ダンディズム。ほんとに、“隠れ”ファン。面と向かっては、話せません。爆)な私は仕事をサボって行ってきたのですが(笑)
今回のHIV/AIDSの地域支援に関する研究、調査報告を生島さんたちがした後に、
関西でのHIV陽性者へのサポートを地域社会においてされている方々のお話がありました。
一番に思ったのは、
“分かってる人”、理解ある人は、いっぱいいてる。でも、それを“地域に戻って”実践出来る人は少ない。ということ。
でも、“いる”という事実。
いくら研究が進もうが、いくらコミュニティーが大きくなろうが、それが地域に還元されなければ、どうにもならない。
HIV/AIDSに対する差別や偏見はいまだに多い。
同じ職場にHIV+の人がいたら、HIV+、AIDS発症後の人のホームヘルプに入る要請があったら、
拒絶反応を起こす人は、やっぱり多い。
いくら“分かってる人”がいようとも、実際の地域に戻ったとき、それを実践できている人なんて、地域なんて、ほんの一握りなんだ。
ということは、
まだまだ、これからだ、ってことだ。
それでも、まだまだなんだ、ということだ。
性暴力でも同じだと思う。
実際目の前に当事者がいたら、社会は差別をする。偏見の目を向ける。
生き辛い。
被害者保護がどれほどに訴えられようとも、
リアルなものだと、感じてもらえない。
一部にどれほど思いを向けてくれる人がいようとも、
実際、生活は楽にはならないし、世間的な目もきつい。大きな声を出せない人は、社会という渦の中に、飲み込まれてしまうんじゃないか。
世界中には、ありとあらゆる“問題”がある。
私だって、その全てを理解しているわけでもなければ、知っているわけでもない。
当事者にとってはとてつもなく大きな問題である一方で、「自分には関係のないこと」と思ってしまったら最後、
一生涯、触れずともすむことだ。
私は、研究者でもなく、その道のプロでもなく、
地域社会の一市民として、これから社会に対して何が発信できるだろう。
まだまだ、わからない。
存在として、こんなちっぽけな一人の人間に出来ることは、きっと限られている。
だからこそ、そのちっぽけな声を、これから一人でも多くの人に、伝えていくのだ。
問題を大きく捉えて広く全体に伝えていくこと、
目の前にある問題に対して、この社会という資源を最大限、有意義に生かして一人の人に伝え、行動していくこと、
その二つの、
マリアージュ♪を、
私はこれから、味わっていきたい。
そうした存在に、なれたらいいなと思う。
「人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい」
ミスチルが心に沁みるZ!!
それは、レイプクライシスを自分が代表としてやりだして、もしかした一番の実感として感じたことかもしれない。
今までずっと隠そうとしてきたこと、一人ぼっちだと思っていたこと、そうした人に、どう声をかけたらいいか、わからなかったこと、
それに対して、
あれ、
こんな人もいるんだ、
あれ、
こんな思いをもってる人がいるんだ、
と、
あらゆる出会いに、私はすごく力をもらいながら、この一年を過ごしてきた。
組織というものの中では見えてこなかったこと、
自分から発信し始めてから、それでこそ見えてきたものが、本当にたくさんある。
この一年は、私にとって、すごく大切な一年だった。
RCSNKを再開させる、と決めたとき、覚悟を決めた。
私は、これで生きていけるようにするんだ、と。
私だけじゃない。
学歴だとかキャリアだとかは、正直どうでもいい。
ただ、そこに思いを向けて、それについて、人生という学びの中で、必死に学び、真剣に考え、自分としての目指すものが見えた瞬間から、
市民活動というのは始まるのだと思う。
そこに賭ける人がいるのであれば、私は、この道で食っていくことが出来る人を創出していきたい。
世界を作っているのは、偉いさんの鶴の一声ではない。一般市民の、切実な、生の声だ。
私は、生涯を通じて、プロになりたくない。
一素人でいい。一市民でいい。
同じ土台に立って、 一緒に生きていきたい。
必死に足掻いていたい。一生懸命生きていたい。馬鹿だといわれても、生き辛くても、
自分の心に正直に生きていたい。
だからこそ、自分の思いで、自分の色で、どこまでいけるだろう、とチャレンジし続けたい。
と、いうのは、RCSNKを再開させてから、一年が経った(と、さっき気づいた)今、私の心にある思い。
その思いを持続できるだけの、素敵な出会いや、出来事がたくさんあった、そんな一年だった。
ありがとうございました。本当に。
と、そんな日ですが、
今日は梅田であった「HIV陽性者をめぐる地域支援の連続性」というシンポジウムに行ってきました。
私に、こうした世界で生きていくためのきっかけをくれた、ぷれいす東京から、生島さんが参加されるということで、生島さんの隠れファン(ダンディズム。ほんとに、“隠れ”ファン。面と向かっては、話せません。爆)な私は仕事をサボって行ってきたのですが(笑)
今回のHIV/AIDSの地域支援に関する研究、調査報告を生島さんたちがした後に、
関西でのHIV陽性者へのサポートを地域社会においてされている方々のお話がありました。
一番に思ったのは、
“分かってる人”、理解ある人は、いっぱいいてる。でも、それを“地域に戻って”実践出来る人は少ない。ということ。
でも、“いる”という事実。
いくら研究が進もうが、いくらコミュニティーが大きくなろうが、それが地域に還元されなければ、どうにもならない。
HIV/AIDSに対する差別や偏見はいまだに多い。
同じ職場にHIV+の人がいたら、HIV+、AIDS発症後の人のホームヘルプに入る要請があったら、
拒絶反応を起こす人は、やっぱり多い。
いくら“分かってる人”がいようとも、実際の地域に戻ったとき、それを実践できている人なんて、地域なんて、ほんの一握りなんだ。
ということは、
まだまだ、これからだ、ってことだ。
それでも、まだまだなんだ、ということだ。
性暴力でも同じだと思う。
実際目の前に当事者がいたら、社会は差別をする。偏見の目を向ける。
生き辛い。
被害者保護がどれほどに訴えられようとも、
リアルなものだと、感じてもらえない。
一部にどれほど思いを向けてくれる人がいようとも、
実際、生活は楽にはならないし、世間的な目もきつい。大きな声を出せない人は、社会という渦の中に、飲み込まれてしまうんじゃないか。
世界中には、ありとあらゆる“問題”がある。
私だって、その全てを理解しているわけでもなければ、知っているわけでもない。
当事者にとってはとてつもなく大きな問題である一方で、「自分には関係のないこと」と思ってしまったら最後、
一生涯、触れずともすむことだ。
私は、研究者でもなく、その道のプロでもなく、
地域社会の一市民として、これから社会に対して何が発信できるだろう。
まだまだ、わからない。
存在として、こんなちっぽけな一人の人間に出来ることは、きっと限られている。
だからこそ、そのちっぽけな声を、これから一人でも多くの人に、伝えていくのだ。
問題を大きく捉えて広く全体に伝えていくこと、
目の前にある問題に対して、この社会という資源を最大限、有意義に生かして一人の人に伝え、行動していくこと、
その二つの、
マリアージュ♪を、
私はこれから、味わっていきたい。
そうした存在に、なれたらいいなと思う。
「人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい」
ミスチルが心に沁みるZ!!