岡田です。イラク日報のニュースを見ながら、ふと当時のことを思い出した。
バイト帰りとかによく梅田界隈でイラク派兵反対のデモとか署名活動とかに参加していて、その辺りとの交流が多くあった。
それこそ、高遠さんたちが拉致された件とか、そこまで知らない人ではない感覚で見ていた。
世論というものが如何に恐ろしいものかということについて実感を伴って感じたのもその頃、一連の流れでだった。
特に高遠さんへのバッシングはひどかった。女であること。そして、容姿。それだけで。私が見ているものと、「社会」には大きな壁があると思った。
そしてRC-NETを始めてからは顔出しで活動することが多くなって、メディアに顔写真が載れば概ね2chで無いこと無いことを書かれることになるのだと知った。「こんなブスがレイプされるはずはない。当事者の気持ちを理解させるためにこいつを(きもいけど)レイプしようw」とかいうやつから、
「お前頭悪いな、家族とかが被害にあったとかもあり得るだろ」というお優しい擁護(苦笑)。
同性婚関係でも同様。
私は結構、こうしたエゴサーチが好きで、「見ない方がいい」という声もあるけども、どうしても見てしまう。別にそれに反論したりはしない。ただただ単純に「社会は変わっていない」ことを理解する。
これが、 #MeToo を広がせない社会の構図だと思っている。
「日本では広がらない」と言ってる人たちにはぜひ、 #WeToo より #MeToo 出来る社会を目指して欲しいと感じる。
似通った人たちがあつまって励ましあい本当の社会と向き合わない社会運動より、
とことん孤独の中にいる人たちが、声を出したら信じてもらえる社会をつくってほしい。
また、被害の検証とか、冤罪を防ぐとか、それは司法の仕事であって、私たち市民の仕事ではない。
しかも、現段階で日本の刑法は、性暴力被害を適正に計ることが出来る法律を保持していない。刑法改正への声高まる中、古めかしい規範を振りかざす社会全体の暴力に、今日も当事者たちの声は握りつぶされている。
被害経験を語ることは、全ての人の権利である。
それを否定する権利は誰も有さない。