あの大地震発生の日から
半年ですね…
まだまだ終わってないけれど…
本当に心よりお見舞申し上げます。
先日いただいた、ある方のメールにあった言葉を使わせていただくと
「考えない日は一日もありません
(これは文字通りの意味です)」
でもその心を口にしたり言葉にしたりするのは憚られるようで
あまりちゃんとは人に話してません。
ただ一方で関連することを言葉にし始めると
その言葉にのりきれなかったものが押し寄せて
堂々巡りの散文詩のような
筋のとおらない
でもなんか力をもった言葉が並ぶ
といった感じになります。
ただ、心理学用語を用いての分析になると
一気に距離がとれて議論可能となり。
概念をはじめ、さまざまな知識は
生々しい心を
取り扱い可能にする道具なんだなあと
つくづく思いました。
概念が扱える範囲を区切ってくれるからか
あるいは概念を使うことで
自動的に心理学者スイッチが入り
混沌とした自分を客観的にながめるようになるのか
ただその一方でその枠にはまらない思いがジタバタしたり。
でもそれでも、その議論で
生の私も少し整理されたりもする。
うーん
言葉にならない思いがあっても
やはり言葉ってすごいのかもしれない
「言葉にならない」も言葉だしね
半年ですね…
まだまだ終わってないけれど…
本当に心よりお見舞申し上げます。
先日いただいた、ある方のメールにあった言葉を使わせていただくと
「考えない日は一日もありません
(これは文字通りの意味です)」
でもその心を口にしたり言葉にしたりするのは憚られるようで
あまりちゃんとは人に話してません。
ただ一方で関連することを言葉にし始めると
その言葉にのりきれなかったものが押し寄せて
堂々巡りの散文詩のような
筋のとおらない
でもなんか力をもった言葉が並ぶ
といった感じになります。
ただ、心理学用語を用いての分析になると
一気に距離がとれて議論可能となり。
概念をはじめ、さまざまな知識は
生々しい心を
取り扱い可能にする道具なんだなあと
つくづく思いました。
概念が扱える範囲を区切ってくれるからか
あるいは概念を使うことで
自動的に心理学者スイッチが入り
混沌とした自分を客観的にながめるようになるのか
ただその一方でその枠にはまらない思いがジタバタしたり。
でもそれでも、その議論で
生の私も少し整理されたりもする。
うーん
言葉にならない思いがあっても
やはり言葉ってすごいのかもしれない
「言葉にならない」も言葉だしね