中間玲子のブログ

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「ラベル」は人ならず

2011-04-14 13:45:55 | 東北関東大震災
以前、「漠然とした不安につぶされないために」という記事を書き、
そこで、私たちが情報収集の際に、
いかに、自分の歪んだ世界によってそれら情報をとらえているかという話を書きました。

私たちは、集めたいように情報を集め、
自分勝手に解釈しています。
それは、私たちのもつ、基本的な認知のしくみなのです。
上記ページにその辺りのことを詳しく書いたページへのリンクがありますので
再度、お読みくださればと思います。

さて。

福島があいかわらず苦しんでいます。

先日、原発事故の危険評価が「レベル7」に引き上げられました。
「レベル7」というのは、1つのカテゴリーに貼られたラベルです。
そして、「カテゴリー」というのは、分類の作業です。
「レベル7」というカテゴリーは、
チェルノブイリの原発事故と同じカテゴリーであり、
最大の危険度を示すカテゴリーだそうです。

ちなみに、測定における「上限」があるため、
測定の感度が低くなってしまい、
本来区別されるべきものであっても区別できなくなる問題を
心理学では、「天井効果」とよびます。
(天井効果についての説明としては非常に大雑把です…すみません)
今回が天井効果かどうかはさておき、
測定や評価には、そういう問題が常につきまといます。

さて、「カテゴリー」というのは、情報を整理するためには有用です。
情報処理の際には、分類の作業、平均化の作業が欠かせません。

しかし、実際の問題や、実際の人に対する際には、
平均とは異なるところ、それぞれの固有の側面を
きちんととらえ、向き合うことが何より大切になります。

ただ、一旦なんらかの「カテゴリー」に整理されると、
そのものではなく、その整理されたカテゴリーに貼られた「ラベル」で
判断されるということが起こってきます。
「ラベル」は、見るべきものを見えなくさせるフィルターになってしまいます。

これは、もちろん、人に対しても起こります。
(むしろ、人に対するラベルの問題から議論が発展しました)
同じ「カテゴリー」に属する人たちを
「同じ人」と見なすことを「ステレオタイプ的認知」と呼びます。
そして、その「ステレオタイプ的認知」の内容とは、
「ラベル」のもつ性質を、「その人」のもつ性質とする見方です。

身近なところにあるのは血液型です。
「あの人はA型だから」「O型だから」
一人一人は違うのに、カテゴライズされラベルを与えられることで、
そのラベルでしか見てもらえなくなることがあります。

「カテゴリー」に分け、
そこにある「ラベル」によって物事を見るのは、とても楽です。
決めつけてしまえば、どんな人だろう?と考える必要はなくなるからです。
私たちにとって「わからない」ことは不快です。
なので、なんとか答えを得ようとします。
その時、その人の属するカテゴリーに貼られたラベルから、
その人の人格を理解したことにしてしまうと、不安は消えます。
もう考えなくていいのです。
「思考停止」です。

でも、決めつけられた方はどう思うでしょう?

「カテゴリーに属する人」としてしか扱われないことは、
「私」の尊厳を脅かすことになるのではないでしょうか。
私がどんな人間であるかはもう問題にしてもらえないのです。

そして、その「ラベル」に、
何らかの価値判断が付随していたら…?

当然ながら、偏見や差別につながります。
偏見や差別は、排除という行為になり、人を傷つけます。
それはとても悲しいことです。

自分ではどうしようもない、
何らかのカテゴリーに属するという理由だけで
排除されたら…??
いっぱい努力しても、そのカテゴリーに属するという理由だけで
やはり受け入れてもらえないとしたら…??
悲しいですよね

それをふせぐには…?

まず、その人、そのもの自体、を、ラベルに惑わされず、
しっかり理解する努力をしていきましょう。
自分の「決めつけ」を疑いましょう。
それは、認知的なエネルギーを使う仕事になりますが、
大事な問題、しっかり考えるべき問題については、
エネルギーを使って考えないといけない場合があるのです。

「福島から避難した子どもへの差別」についてのニュースを目にし、
あまりに悲しく、書かせていただきました。
乱筆、申し訳ありません

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