中間玲子のブログ

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青年期論についてのコメント

2011-06-25 19:29:52 | 授業日記
火1の授業「ライフサイクルの中の学びと発達」では、
青年期論などを話していました。
特に、アイデンティティの理論を足場に、
それが各時代の青年を理解する上でどの程度有効か
あるいは、どう再考されるべきなのか、など。

2006~2008年度の科研で検討してきた課題を
発展させたものでもあり、
個人的にお気に入りの論考です。

まずは共有を目的に、コメントを抜粋しましょう。

「物の豊かさを求めていた時代は、それを追い求めることに
一生懸命で、その時代の青年達は迷いも少なかったのでしょうか。
心の豊かさを求める分、選択肢があって、それはそれで
不自由だとも思います。」

「表面化、同じことをすることで
自分自身を納得させている面については
今もなお続いていると思う。
「仲間がいないと自分が不安になる」これは全てに
言えていることではないだろうか」

「エリクソンから出発したidentity論が、
日本文化の中でどのような意味があるか、適応されるかについて
再考しました。
生物学的、精神的発達段階論にも、その人間が育つ社会という
大枠の影響を受けるんだなと思いました。
(中略)その中で、若者の葛藤の度合いも、自己理解も
異なってくるのではないでしょうか。」

「就職難の現代は、大学だけでなく大学院においても
就職先がないので進学するというような学生も
少なからずいると思うので、
これからは、大学院の役割や大学院生というものが
問われるのかな?と思いました。」

「大学の入学式に同伴する保護者、
オープンキャンパスで子どもよりも積極的な保護者を見ると、
すごく不思議に思う。
誰が入学し、誰がそこで学ぶのか、子どものためにと
何から何まですることが、本当に子どものためなのか、
みんなが考えるべきだと思う。
(大学生が)“幼稚園化”したというのはその通りだなと思った。
ただ、大学に行っている子も増え、
“大卒”という肩書きだけを得るために行く人と、
早くに目標を決め、専門に行ったり働いたりする人との
給料の違い、待遇の違いは、すごく残念に思う。」

「“心の時代”のところで、“物の豊かさ”と
“心の豊かさ”についての調査結果がありましたが、
それらは独立しているものなのか?
心の豊かさは、家庭円満などさまざまな要因で満たされるものと
考えられるが、“物の豊かさ”が満たされるが故に
“心の豊かさ”も満たされるのではないかと
疑問に思いました。」